Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ガス人間第一号

2014年07月28日 15時54分09秒 | 邦画1951~1960年

 ◇ガス人間第一号(1960年 日本 91分)

 英題 The Human Vapor

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二 脚本/馬淵薫

     撮影/小泉一 美術/清水喜代志 音楽/宮内國郎

 cast 三橋達也 土屋嘉男 八千草薫 塩沢とき 佐多契子 小杉義男 左卜全 松村達雄

 

 ◇特撮とボク、その9

 八千草さんの綺麗なこと!

 科学空想的な題名とは真逆の、

 落剥した日舞の女師匠への恋慕と悲劇という凄い設定なんだけど、

 ガス人間を葬るために劇場を密閉して爆破するという計画は、

 凄い。

 鼓打ちの卜全に、恋にもにた憧れがあればさらに良なんだけどな…。

 ちなみにポスターも含めて予告編も本編も『第』の字が略字になってて、

 これはJISでは出ない。

 あと、予告編と本編では『一』が『1』になってる。

 この時代までは、どうやらあんまり細かいことはいわなかったんだろね。

 字も数字もまあわかればいいじゃん、みたいな。

 ちょっと驚いたのは、音楽が「ウルトラQ」や「ウルトラマン」と同じだってことだ。

 どうやら、この作品が本家本元で、

 のちに宮内國郎がテレビシリーズを担当したときに流用したものらしい。

 へ~って話だよね。

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電送人間

2014年07月27日 02時44分11秒 | 邦画1951~1960年

 ◇電送人間(1960年 日本 85分)

 英題 The Secret of The Telegian

 staff 監督/福田純 特技監督/円谷英二 脚本/関沢新一

    撮影/山田一夫 美術/浜上兵衛 音楽/池野成

 cast 鶴田浩二 白川由美 土屋嘉男 平田昭彦 田島義文 天本英世 松村達雄 児玉清

 

 ◇特撮とボク、その8

 アトムの物質電送機の巻みたいだけど、

 内容はかなり過激だ。

 というより、凄い世界だ。

 死体に認識章、軍用行李2号、銃剣殺人、

 軍国キャバレー大本営、金粉ショウ、超ミニの水兵ガール、兵隊の呼込み、

 酒の名は焼夷弾にミサイル、トランジスタに代わる絶対4度のクライオトロン…、

 凄すぎだろ!

 それにしても、クライオトロンってのをよくおもいついたもんだよね。

 設定として、来るべき時代にトランジスタに取って代わる真空管の一種ってところが、

 なんとも高度成長期らしくていいんだけど、

 絶対温度四二度という低温を保たねばならないなんていう弱点をつけてるところがニクイ。

 この当時、戦争中にとんでもない発明がなされてたっていう物語はたくさんあって、

 まあそれほど、戦時中の軍隊の研究所は秘密のベールに包まれてたってことなんだろう。

 陸軍はどんな戦術を考えてたのかな?

 ニューヨークやワシントンに一個旅団くらいをいっぺんに電送しようとかしてたのかな?

 そしたら、えらいことになっただろうな~。

 でもさ、物質電送機ってのは、そもそも誰が考えたんだろね。

 円谷英二はテレビを見てて、走査線の横縞模様に着目したって話だけど、

 やっぱ、この映画が手塚治虫にも影響を与えたんだろうか?

 ちなみに、これ、福田純の第2作目らしいんだけど、

 もともと本多猪四郎が監督するはずが『宇宙大戦争』の撮影と重なったもんだから、

 急遽、登板ってことになったらしい。

 でも監督してよかったんじゃないだろか。

 だって映画における代表作なんじゃないかって気がするんだけどな~。

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宇宙大戦争

2014年07月26日 21時28分28秒 | 邦画1951~1960年

 ◇宇宙大戦争(1959年 日本 93分)

 英題 Battle in Outer Space

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二 原作/丘美丈二郎

    脚本/関沢新一 撮影/小泉一 美術/安倍輝明

    コンセプトデザイン/小松崎茂 音楽/伊福部昭

 cast 池部良 安西郷子 千田是也 土屋嘉男 伊藤久哉 沢村いき雄 桐野洋雄 高田稔

 

 ◇特撮とボク、その7

 劇中の設定は1965年となってる。

 てことは撮影時のたった6年後で、

 いくらなんでも国際宇宙ステーションはできてないだろうって、

 誰もおもわなかったんだろうか?

 あるいは、それほどこの時代の経済成長は高度だったんだろうか?

 ただ、たしかに1965年、日本人は未来と宇宙を夢見てた。

 ごま粒のようながきんちょだったぼくも、多少ながらそんな夢を見てた。

 絵を描けばかならずロケットは登場してたし、たいがい小松崎茂の絵がお手本だった。

 宇宙人が地球に大襲来してきて、これを迎撃するっていう物語の定番は、

 いったいいつからできていたんだろう。

 やっぱり『火星人襲来』とかからだろうか?

 ただ、ナタール星人っていう名称がなんかしっくりこない。

 いったい、かれらは地球を征服してどうしたかったんだろう。

 なんで、大襲来をしてこなくちゃいけなかったんだろう。

 そのあたりの深みがないのはまあ当時らしくていいんだけど、

 ま、そんなことはさておき、

 演技陣がいい。

 千田是也のきわめて自然な演技はたいしたもので、

 大仰な芝居の多いこの時代に、よくもまあこんなに素朴な喋りができたもんだ。

 土屋嘉男はちからいっぱいの芝居だけど、でも、月面の歩き方が実にいい。

 三宅島の溶岩地帯で撮影したらしいんだけど、いや~リアルだ。

 たったひとりだけ、月の重力を表現できてる。

 とはいえ、月面探検車に全員で戻るときには、みんな、土屋歩きになってるけどね。

 でも、なんといってもいいのが、安西郷子だ。

 演技というんじゃなくて、そのエキゾチックな存在感だ。

 もともと日本人ばなれした顔立ちながら、この時期はきわだって美しい。

 こういうインターナショナルな作品にはよくはまるよね。

 でも、なにより凄いな~とおもったのは、伊福部昭だ。

 ラスト20分の戦闘場面は、もはや特撮の当時の限界をおぎなって余りある。

 いやもうブラスの連中の息が続かなくなっても、

「かきならせ!」

 とばかりに延々吹奏されつづけるんだから、凄まじい。

 実際、胸を躍らせないわけにはいかない。

 いや~堪能したわ。

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美女と液体人間

2014年07月25日 01時01分20秒 | 邦画1951~1960年

 ◇美女と液体人間(1958年 日本 86分)

 英題 The H-Man(Beauty and Liquid Men)

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二

    原作/海上日出男 脚色/木村武(馬淵薫)

    撮影/小泉一 美術/北猛夫 音楽/佐藤勝

 cast 佐原健二 平田昭彦 白川由美 小沢栄太郎 土屋嘉男 中丸忠雄 千田是也 佐藤允

 

 ◇特撮とボク、その6

 水爆実験ていうか、放射能の恐怖はこの時代の寵児のようだ。

 いろんな映画の主題にされてる。

 この映画もそうで、南洋で放射能を浴びた第二竜神丸の船乗りにその恐怖が始まる。

 つまり「強烈な放射線を浴びた生物は液体状になり、液体生物に変化する」というもので、

 この液体生物に触れた生物もまた液体生物になり、しかもこの生物は意識を持っている。

 なんとも破天荒な設定なんだけど、そこはそれ、東宝特撮のすごいところだ。

 日劇ダンシングチームが全盛の頃で、

 園田あゆみの踊りがまたいい。

 もうヌードも同然のビキニで踊りまくってるんだけど、いや~、アダルトな映画だったわ。

 佳境に入って、下水道に連れ込まれた白川由美が「脱げ」といわれて、

 液体人間に触れて死んだことにしろと強制されるわけなんだけど、

 そこはやっぱりシミーズになるのが精一杯とはいえ、

 そのまま下水道を逃げてゆくってのは、この時代の邦画の中ではかなり挑戦的だ。

 ちなみに、

 1872年12月5日の午後、

 アゾレス諸島 のサンタ・マリア港近くでマリー・セレステ号事件ってのが起こり、

 船内からすべての乗組員が消え去ってしまったっていうやつなんだけど、

 コナン・ドイルが『J・ハバカク・ジェフスンの遺言』っていう短編にしたりして、

 以来、世界中で評判になった幽霊船の話がある。

 第二竜神丸は、第五福竜丸とマリー・セレステ号が二十写しになった感じだね。

 問題の液体人間なんだけど、

 これは最初に襲われるのが白川由美の愛人で、三崎って男だ。

 けど、役者のあらかたが三崎って名前を五音階のラソミで発音する。

 佐原健二だけが正確なソソラで発音する。

 この間違った訛りのような発音がどうにも耳についちゃって、いかん。

 それはともかく、液体人間だ。

 怪物が液体のため、なかなか恐怖に感情移入できないとおもったのか、

 ときおり、緑色の幽霊のような気体とも個体ともつかない形に変じてはくれるものの、

 いまひとつ、凄さがない。

 なんだか『怪奇大作戦』でも見てるような錯覚すら受けちゃうんだな、これが。

 ただ、下水道で退治するとき、油を流して水面をぼうぼう燃やすんだけど、

 これはすごい。

 下水道中が炎につつまれ、下水が流れ出る港湾一帯が火の海になってゆくラストは、

 いやまじ、これからどうすんのって感じのラストカットでした。

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地球防衛軍

2014年07月24日 03時02分35秒 | 邦画1951~1960年

 ◇地球防衛軍(1957年 日本 88分)

 英題 The Mysterians

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/圓谷英二(円谷英二)

    原作/丘美丈二郎 潤色/香山滋 脚本/木村武(馬淵薫)

    撮影/小泉一 美術/安倍輝明 音楽/伊福部昭

 cast 佐原健二 白川由美 河内桃子 平田昭彦 志村喬 藤田進 土屋嘉男 中丸忠雄

 

 ◇特撮とボク、その5

 なんのことはない。

 火星から月へと移住した土星衛星人が敷地占拠と女性狩に来るっていう、

 もう大変なくらい凄まじい物語なんだけど、

 土星の衛星に生命体が棲んでいる可能性があるっていうのは、

 当時からすでにいわれてたことなんだね。

 そういうところからすれば、

 東宝の空想科学映画もまんざらじゃないってことになるのかしら。

 まあ、それはそれとして、

 弱いぞ、モゲラ!

 モゲラは実はその名称がいつつけられたのかわからなくて、

 映画の中では名前を呼ばれてないような気がするんだけど、

 ともかく、2度も登場する。

 ところが、鉄橋爆破で川に落ちるのと電波砲塔が倒れるのとで、

 どっちもすぐにやられちゃう。

 弱いんだ。

 もうちょっとなんとかしてくれよ~とはおもうんだけど、

 尺の問題だったのかしらね。

 まあ、モゲラの弱さはさておき、

 この作品は、伊福部昭の独壇場だ。

 3つも交響曲が入ってるなんて、それを聞くだけでも観る価値がある。

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空の大怪獣ラドン

2014年07月23日 03時48分46秒 | 邦画1951~1960年

 ◎空の大怪獣ラドン(1956年 日本 82分)

 英題 Rodan

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/円谷英二

    原作/黒沼健 脚本/村田武雄、木村武(馬淵薫) 撮影/芦田勇

    美術/北辰雄 音響効果/三縄一郎 音楽/伊福部昭

 cast 佐原健二 白川由美 平田昭彦 中谷一郎 中田康子 村上冬樹 田島義文

 

 ◎特撮とボク、その4

 ラドンは2匹いる!

 これがものすごくわかりにくいんだけど、

 北京に11時に現れ、マニラに11時20分に現れるのは無理だろうってことから類推して、

 てなことかもしれないけど、

 これ、音速だとそれくらいの速さになるのかな~とかおもってしまいたくならないかしら。

 でもまあ、攻撃を受けている際、いきなり2匹になってて、

「あれま」

 とかって感じになるんだけど、物語中で「2匹だったのか!」とかいう台詞ないんだよね。

 だから、つがいとはおもいにくいものの、

 なぜか、阿蘇山の大爆発のために溶岩の上へ折り重なるように落ちていくのを見てると、

「ああ、つがいなんだな~」

 っていうもの悲しさを感じる。

 でも、そう、日本の怪獣映画はこうでなくちゃいけないんだよね。

 哀愁っていうのか、怪獣が死んでゆくさまを見てもの悲しいと感じ、憐憫を傾ける。

 こういう惻隠の情を忘れてしまった怪獣映画は、単なる子供だましに堕してしまった。

 ただ、実をいうと、阿蘇山の火口へ落下するラドンは、

 鉄を溶かして溶岩に見せかけてた撮影の際、

 あまりの高温のためにラドンを吊っていたピアノ線が溶けて切れ、ラドンが落下したらしい。

 つまり、ラドンは脚本上では落下することなく火口の上を旋回したまま終わるはずだった。

 けどまあ、怪我の功名ってやつで、

 咄嗟に「これだ!」と判断した円谷英二は流石といわざるをえないよね。

 流石といえば、衝撃波をくらってビルや家屋が崩れていくところの細かさや、

 防衛軍の戦闘機が西海橋を潜り抜け、さらに橋が捻じ曲がるという画期的な特撮に、

 ぼくが感激したのは大学生のときだった。

 この映画を初めて見たのは小学生で、しかもテレビ放送だったから、

 炭鉱とその長屋の薄暗い中でのメガヌロンっていうかヤゴとの絡み合いが延々と続いて、

 当時のぼくにしてみればかなり苦痛な映画だった。

 しかも、白川由美が妙に色っぽくて、浴衣の赤い花がなんだか血に見えたりもして、

 かなり陰鬱な気分になったりもした。

 なんで怪獣映画なのにこんなに生々しいんだろうっておもったことだけは、

 ものすごくよくおぼえてる。

 だから、大学に入って、名画座で観たとき、

 真っ青な大空に飛行機雲っていうかラドン雲が引かれてゆく演出がなんともからっとしてて、

 炭鉱のじめじめ感がぬぐい捨てられてるじゃんとかっておもった。

 いや~映画ってのは観る時期によって、こうもちがうんだね。

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ゴジラの逆襲

2014年07月22日 03時07分17秒 | 邦画1951~1960年

 ◇ゴジラの逆襲(1955年 日本 82分)

 英題 Godzilla Raids Again(Gigantis the Fire Monster)

 staff 監督/小田基義 特技監督/円谷英二

    原作/香山滋 脚本/村田武雄、日高繁明

    撮影/遠藤精一 美術/北猛夫、安倍輝明 音楽/佐藤勝

 cast 小泉博 若山セツ子 千秋実 志村喬 清水将夫 土屋嘉男 星野みよ子 木匠マユリ

 

 ◇特撮とボク、その3

 ゴジラはもう一匹いた!

 そりゃあ、ジュラ紀からずっと生きながらえてきたわけだから、当然、複数いる。

 それどころか、種の保存が為されているわけだから、かなりの数がいて当然だ。

 どころが、これ以降、ゴジラは地球上でたった一匹しかいないっていう感じになる。

 なんだかな~。

 原作者の香山滋は「ゴジラがかわいそうだ」といって氷に閉じ込めたらしいんだけど、

 これでゴジラは死なずに生き続けることになってしまったんだから、

 はたしてよかったのかどうか。

 それと、ゴジラが生きていたわけだから、

 ジュラ紀の肉食恐竜で、暴竜とされるアンキロサウルスも生きていていいわけで、

 結局、水爆実験はいったいどれだけの生物を怪獣化させてしまったんだろね。

 この罪は重いぜ。

 映画の出来栄えとしては、かなりいいんじゃないかっておもうんだよね。

 海軍航空隊の生き残りたちが共同してゴジラと戦うなんて、なんかいいじゃん。

 そうした主人公たちの社内や料亭や機内とかの描写は、

 やけに時代性を帯びてていいんだけど、

 脱走犯のくだりはちょっと思い入れが強すぎて、

 肝心な話から遠くなってるような感じだから、

 ぼくとしてはちょっとばかり外してほしいって感じはある。

 でもまあ、

 その辺もひっくるめて、映画全体にそれなりの現実感が漂ってる。

 この作品の良さは、そのあたりだよね。

 やっぱり現実味が薄れていくと、怪獣映画はどんどんつまらなくなっちゃうもん。

 それと、

 セットもなかなかいいし、戒厳令を布かれたような大阪の雰囲気が実にいい。

 さらにいうと、ゴジラとアンギラスの戦いが妙に現実味を帯びてていい。

 怪我の功名からコマ落としで撮影したらしいんだけど、

 いやまじ、怪獣ってこんなふうに戦うんじゃないかっておもえた。

 スローモーションは大きさや重さを表現するにはいいかもしれないけど、

 以外にコマ落としの迫力ってあるもんなんだね。

 そうそう、

 実は、自衛隊がゴジラを封じ込めた唯一の作品じゃないかって気がするわ。

 そんなことないのかな?

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透明人間(1954)

2014年07月21日 14時50分55秒 | 邦画1951~1960年

 ◇透明人間(1954年 日本 70分)

 staff 監督/小田基義 原案/別府啓 脚本/日高繁明

     撮影・特技指導/円谷英二 美術/安倍輝明 音楽/紙恭輔

     光学撮影/荒木秀三郎 合成/幸隆生 特撮美術/井上泰幸

 cast 河津清三郎 三條美紀 土屋嘉男 森啓子 重山規子 近藤圭子 藤原釜足

 

 ◇特撮とボク、その2

 サイパン帰りの透明人間だなんて、

 なんとまあ、哀愁に満ちた透明人間だこと。

 放射線研究の偶然の産物が、

 特殊部隊という戦時秘話はおもしろいし、

 透明人間がピエロとして生きざるをえないとか、

 盲目の少女を出すとか随所にいい感じなんだけど、

 それがほとんど生かされてこないところが、

 なんだか辛いかな~と。

 街頭TVは、4チャンネルだった。

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ゴジラ

2014年07月20日 21時25分03秒 | 邦画1951~1960年

 ☆ゴジラ(1954年 日本 97分)

 英題 Godzilla

 staff 監督/本多猪四郎 原作/香山滋 脚色/村田武雄、本多猪四郎

    撮影/玉井正夫 美術/北猛夫、中古智 音響効果/三縄一郎

    特殊技術/圓谷英二 音楽/伊福部昭

    劇中歌「平和への祈り」/作詞:香山滋、作曲:伊福部昭、斉唱:桐朋学園女子生徒

 cast 志村喬 河内桃子 宝田明 平田昭彦 高堂国典 菅井きん 堺左千夫 鈴木豊明

 

 ☆特撮とボク、その1

 もともとこの作品の仮題は『海底二万哩から来た大怪獣』だったらしい。

 ま、それはいいとして、

 大学時代、まだそれほど『ゴジラ』に始まる特撮が市民権を得ていなかった時代、

 どちらかといえば、特撮とか子供だましのように捉えられていた時代、

 ぼくはかなり特撮に入れ込んでいて、

 東宝の特撮作品が名画座で掛かるとまっさきに観に出かけてた。

 大学の何年だったか、文芸地下に『ゴジラ』が掛けられたとき、

 タイトルに伊福部昭の名前があがった瞬間、にわかに拍手が沸き起こった。

 後にも先にもそのときだけだったけど、

 その時代にしてはかなりマニアックな連中がその日の劇場につめかけてたんだろう。

 だって、その時代はまだビデオとか普及してなくて、

 映画音楽のLPがかろうじてレコード屋さんの片隅にあるくらいなもので、

 ゴジラシリーズとか、

 日曜の昼すぎになるとたま~にテレビで放映されるくらいしかなかったから、

 僕たちはずいぶん相当、東宝特撮っていうか、伊福部昭に飢えていた。

 そんな時代だった。

 でも今じゃ、レンタル店があるから、

 好きなときに好きなだけ、東宝特撮に浸たっていられる。

 時代の流れってのはすごいもんだ。

 で、ハリウッドで『ゴジラ』が復活したついでに、

 この際、観られるかぎり『ゴジラ』に始まる特撮映画を観てみようっておもい、

 まあその初っ端はやっぱり『ゴジラ』でしょってことで観たんだけど、

 いや、やっぱり、すごかった。

 でも、この作品がどれだけすごいのかってことは、今さら書く必要もないわけで、

 元ネタのひとつには『原子怪獣現わる』とかあってさとか、長ったらしくなるだけだし、

 ここではゴジラっていう怪獣について、ちょっと書いておけば、ま、いいかなと。

 で、ゴジラのことだ。

 ゴジラはいちばん最初、北緯24度、東経141度の洋上に現れる。

 これがどこかっていうと、米軍と壮絶な死闘を繰り広げた硫黄島の南あたりだ。

 この頃、海底火山が大噴火して陸地がどんどん出来上がりつつある西之島の南でもある。

 そこからゴジラは東京に向かってくるわけなんだけど、

 そもそもゴジラは高堂國典の棲んでる大戸島にはそれまでにもよく現れていたらしい。

 大戸島は伊豆諸島のどこかにあって、江戸時代よりも前から人が棲んでたらしい。

 志村喬演じる山根京介博士はいう。

「ゴジラがどうして、今回、わが国の近海に現れたか、その点でありますが、おそらく海底の洞窟にでもひそんでいて、かれらだけの生存をまっとうして生きながらえておったと、それが、たびかさなる水爆実験によって、かれらの生活環境を完全に破壊された。もっとくだいていえば、あの水爆の被害を受けたために安住の地を追い出されたと見られるのである」

 ちなみに、大戸島は伊勢志摩の三重県鳥羽市の石鏡町でのロだケそうだから、

 初代ゴジラの雰囲気を味わいたければ、伊勢志摩まで出かければいいんだけど、それは余談。

 大戸島だ。

 ここの呉爾羅大明神ってのがゴジラの正体になる。

「やっぱり、ゴジラかもしんねえ」

「またじいさまのゴジラか。今どきそんなもんがいるもんかよう」

「おい、昔からの言い伝えバカにすると、今におめえたちアマっ子、ゴジラの餌食にしなきゃなんねえぞ」

 記者が漁師に訊く。

「たしかに生き物か?」

「奴は今でも海の中で暴れまわってる。だから雑魚いっぴき獲れやしねえや」

「だけど、そんな大きな生き物が」

「だからおらぁ話すのは嫌だって言ったんだ。いくら正直に話しても誰も信用しやしねえんだ」

 祭礼の烏帽子に天狗の神楽舞を奉納しているとき、今度は村長に、

「ゴジラ?」

「へえ。おそろしくでけえ怪物でしてね、海のウオを食い尽くすと、今度ぁ陸へ上がってきて人間までも食うそうだ。むかしゃあ、長く時化のつづくときにゃあ、若ぇ娘っ子を生け贄にして、遠ぉい沖へ流したもんだ。へぇ。今じゃあ、そんときの神楽が、こうやって厄祓いで残ってるだ。へぇ」

 つまり、呉爾羅は、ジュラ紀に生息していた太古の生物で、

 こいつが海底の洞窟を棲み処にしてたんだけど、魚が取れずに飢えたりすると、

 大戸島へ現れては牛や馬、ときには生贄にされた若い女性を食べてたらしい。

 ところが、アメリカの水爆実験によって棲み処を追い出され、

 放射能の影響で巨大化したばかりか、

 背びれが発光して口から火炎なのか放射能だかよくわかんない破壊炎を噴くようになっちゃった。

 つまり、どういうことかっていうと、大明神が怪物になっちゃったっていうわけで、

 もしかしたら、

 全身が水爆によって焼け爛れ、怪物にされてしまったゴジラはその苦しさに悶え狂いながら、

 助けを求めるようにして日本をめざしたのかもしれない。

 アメリカの水爆で死ねなかったばかりか怪物化し、さらに日本の自衛隊から攻撃される。

 ゴジラの咆哮は「なにもしないよ。苦しいんだから、助けてくれ。いっそ殺してくれ」とか、

 もう断末魔のようにして泣き叫んでいたのかもしれない。

 となれば、これは悲劇以外の何物でもない。

 ゴジラはたしかにかつては荒魂だったかもしれないけど、

 それは大戸島が戦争にも巻き込まれず、穏やかな海に囲まれていた時代のことだ。

 後世、破壊神とかって、名称だけはかっこいいものに祀り上げられたゴジラは、

 ほんとうにそれで満足だったんだろうか。

 正義の味方にされていく過程の中で、呉爾羅大明神だった素朴な過去を、

 ゴジラはどんなふうに思い起こしていたんだろう?

 宝田明は、いう。

「あの凶暴な怪物をあのまま放っておくわけにはいきません。ゴジラこそ、われわれ日本人の上に覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」

「その水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きているその生命の秘密をなせ解こうとしないんだ」

 芹澤博士の発明したオキシジェン・デストロイヤーによって永遠の眠りについたとき、

 もしかしたらゴジラは、

「これでようやく地獄のような苦しみから解放される」

 とかおもってたんじゃないだろか。

 そんなふうに『ゴジラ』が見えてくるようになった僕は、

 たぶん、ずいぶんと年を食ってしまったのかもしれないね。

 ラスト、志村喬は含みをもたせる。

「あのゴジラが最後のいっぴきだったとはおもえない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」

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善魔

2014年05月15日 15時22分44秒 | 邦画1951~1960年

 ◇善魔(1951年 日本)

 三國連太郎、デビュー。

 作品中の新米記者三國連太郎の役を演じたことで、

 そのまま芸名になったという記念すべき作品ながら、

 ちょっと中途半端な印象の残る作品な気もするんだよね。

 主人公の森雅之がなんとも消化不良な役回りで、

 正義感はあるし、社会の矛盾を糾弾しようとしてるのに、

 愛人なのか彼女なのかわかんないけど、

 ともかくさほど愛しているともおもえない小林トシ子と、

 つかずはなれず、粘着感ありありの関係を結び続け、

 そのじめじめした性格のとおり、

 大学時代に惚れていた淡島千景が官僚の妻になってるのに、

 それでも忘れられずにいたところ、

 疾走別居とかいうニュースを手にするや、

 部下の三國連太郎を遣って取材させるんだけど、

 それはなにも官僚のスキャンダルを暴こうとするんじゃなくて、

 あくまでも自分のためで、あわよくばモノにしたいような感じが濃厚に漂う。

 これが善魔っていうには、あまりにもしょぼいんだけど、

 一方、三國連太郎の相手役になる淡島千景の妹役桂木洋子は、

 黒澤明の『醜聞』とおんなじで清純無垢かつ病身薄幸の可憐な美少女なんだけど、

 彼女が死ぬことがクライマックスにもってきてる以上、

 どうしてもこのカップルに物語の比重が掛かってくる。

 なんというのか、物語の構成がちょっとまずったんじゃないかって気もするわ。

 ただ、岸田國士の原作を読んでないから、

 脚本がよくなかったのかどうかってところはよくわからない。

 まあ、森雅之が、正義を旗印にしてそのとおりに行動しながらも、

 愛欲ばかりはどうにもならないっていう葛藤に苛まれるなら、

 もうすこし惹かれるものがあったかもしれないんだけどね。

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風花

2014年05月07日 19時26分44秒 | 邦画1951~1960年

 ◎風花(1959年 日本)

 生まれて初めて実物の風花を見たのは、小学生のときだった。

 当時、ぼくらの小学校には用務員さんが棲んでいて、

 かまどが土間に置かれてて、

 給食の食パンをそこで焼いてもらって食べてる子もいたりした。

 ぼくはそこまで出来なくて、

 朝礼台のうしろ、ていうか、運動場へ下る端っこに立ってる用務員室は、

 なんとなく入り辛いところだった。

 ま、そんな用務員室が取り壊されて花壇になってしまったのは、

 小学3年生だったか、その年の冬、ぼくは朝、花壇の脇に立ってた。

 空は真っ青なのに、なんでか知らないけど、雪が真横に飛んでた。

 ぼくの頭や肩にはまったく降ってこないで、空に浮かぶ川のように飛んでた。

 風花だった。

 まあ、そんな思い出話はさておき、

 農村メロドラマなんていう括りがあるとは知らなんだ。

 けど、たしかに農村メロドラマだ。

 とはいえ、デビューまもない和泉雅子の可愛さもさることながら、

 岸恵子がとっても好い。

 彼女ために木下恵介が書き下ろしたって話だから、

 当たり前といえば当たり前かもしれないけど、

 信濃川の流れる信州善光寺平を舞台に、

 土地の名家である名倉家が没落していく最後の20年間を、

 きわめて斬新な編集でまとめてる。

 普通、こういう手の作品は、堂々3時間あまりの超大作になって、

 観るのも辛くなるような淡々さで描かれていくんじゃないかっておもうんだけど、

 さすがに木下恵介はそうしただるさなんて微塵もない。

 なんといっても凄いのは、

 まったくおなじ構図で人物入れ込みのカットが続くんだけど、

 それが20年の歳月をぴしゃんと感じさせる演出と作り込みだ。

 これは、ほんとにたいしたもんだ。

 それと、

 セットはまあ上手に作り込んであるんだけど、

 ちょっと目を奪われるのは、名倉家の全景だ。

 どこでロケしたんだろうっておもわせるくらい、物語にマッチしてる。

 信濃川にかかる半分壊れた下の橋はたぶんロケセットを組んだんだろうけど、

 この全景も建て込んだものなんだろうか?

 たしかに映されてるのは引きも寄りもおなじ方角からだから、

 オープンセットとおもえばおもえないこともないこともないんだけど、

 だとしたら、たいしたもんだ。

 ちなみに、上の橋は、

 千曲川にかかってる長野市若穂の関崎橋らしい。

 でも、いまはあんな風情はなくて鉄骨橋梁になってるみたいだ。

 残念でならん。

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警察日記

2014年04月30日 01時50分16秒 | 邦画1951~1960年

 ◇警察日記(1955年 日本)

 大学時代、ぼくは原付で下宿から大学に通ってた。

 原付スクーターは、

 いまではもうほんとに町中を走る姿は少なくなってるけど、

 当時、おばさんスクーターとかお買物スクーターとかいわれたやつで、

 ぼくの愛用してたのはキャロットってやつだった。

 バックミラーをわざわざ左右につけて、しかもノーヘルで通用した。

 こいつを手放したっていうか、友達にあげちゃったわけは、

 ヘルメット着用が義務づけられたからで、

 それがなかったら、ずっと乗ってただろう。

 で、その原付で、ぼくは名画座にも通ってた。

 いちばんよく出かけたのが銀座の並木座で、

 当時、並木通は自動車だってそっと置いておけたし、

 原付にいたっては並木座のまんまえに堂々と駐車できた。

 のんびりした時代だったわ、ほんと。

 で、この映画も、

 その並木座で観たのが初めてだったんだけど、

 当時よりも遙かに映画の中はのんびりした時代の話だった。

 この映画は、

 刑事が取り調べをするときの定番、

「天丼食うか?」

 といって天丼を食べさせてやる場面を、

 日本でいちばん最初に撮ったらしい。

 ほんとかどうかは知らないけど、たぶん、ほんとなんだろう。

 この後、刑事ドラマではその丼がかつ丼になったり親子丼になったりした。

 ま、人情刑事物にはいちばん似つかわしい挿話なんだろね。

 それと、もうひとつ。

 この映画でデビューしたのが、宍戸錠だ。

 ちっちっち、エースの錠もまだ青二才だぜ。

 ところが、いまひとり、

 最高の子役が登場してる。

 仁木てるみだ。

 初めてこの映画を観たときには、いやもう、泣いたわ、てるみちゃんに。

 ものすごく好い演技をして、もうすべてをかっさらってくれた。

 ところが、だ。

 今観直すと、いやあなんていえばいいんだろ、間延びしてるんだよね。

 ひとつひとつの挿話はおもしろいんだけど、

 この会津磐梯山のふもとにある田舎町を撮った映画は、

 いったいなにがいいたいんだろうってな疑問にかられ、

 ほんのちょっとため息をつく。

 團伊玖磨の見事な調べから始まるタイトルバックは、

 その重低音にしても合唱にしても天下一品だし、

 姫田真佐久のカメラワークも秀逸だし、

 バスに花嫁さんが乗ってくるくだりの調子は、いや、たいしたもんだ。

 ところが、

 その小気味良さが最後まで持続しないで、途中、間延びする。

 当時としては軽快な喜劇だったはずだし、

 それから30年間くらいは、観客もちゃんとついてきたはずだ。

 なのに、時代は変わってきてる。

 もっとも、これは『警察日記』だけの話じゃなくて、

 デジタルが登場するあたりまでの映画は、

 なんとなく間延びした感じを受けるようになっちゃってる。

 いやだな~と、ぼくはせかせかしてる自分に対しておもうのだよ。

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地獄門

2014年01月07日 13時36分21秒 | 邦画1951~1960年

 ◇地獄門(1953年 日本 89分)

 英題 Hell's Gate

 別英題 The Gate of Gate

 staff 原作/菊池寛『袈裟の良人』 監督/脚本:衣笠貞之助 撮影/杉山公平 色彩指導/和田三造 技術監督/碧川道夫 美術/伊藤熹朔 助監督/三隅研次 音楽/芥川也寸志

 cast 長谷川一夫 京マチ子 山形勲 黒川弥太郎 田崎潤 千田是也 清水将夫 香川良介 澤村國太郎 殿山泰司 伊達三郎 市川男女之助

 

 ◇つまりはストーカー?

 原作を読んだことがないのでよくわからないんだけど、その題名からすると主人公は京マチ子の夫を演じた山形勲ってことになるんだけど、これってただのお人好しってことになるんじゃないのかな?

 まあどだい菊池寛だの直木三十五だのといった往年の作家について作品を読むような機会はなかなかないわけで、ことにぼくみたいな活字嫌いには縁遠い存在だから勝手な想像にしかすぎないんだけど、いったい、この物語の主題ってのはあるんだろうか?

 平清盛の厳島詣の留守を狙って起された平康の乱、その後始末が物語の背景にはなってるんだけど、実をいえば、そんな背景はあんまり関係ないわけで、戦乱の中で夫があるということを知らずに見初めてしまった女のことが忘れられずやがて夜這いして密会を重ねるんだけど結局は女を苦しませるだけのことでしかも女が夫を殺してくれと嘘をいって夫の代わりに布団に入りみずから刺されて死んでしまったために嘆き悲しんで出家し旅立つという、いつの時代でもかわまないような普遍的な劣情が主題といえば主題になってる。

 しかし、なんでこの物語がアカデミー賞の外国映画賞なんだ?

 たしかに男女のどうしようもない、いわゆる抜き差しならない恋なのかもしれない。恋に惑われてしまうことで人生をも狂わせてしまうという、人間の儚さや脆さを描いているのかもしれない。けどな~観終わったあとには決して晴れ晴れとはしないんだよな~。

 ただまあ、撮影は凄いわ。色彩もまた凄い。そういう技術的な面においてはいうことないし、世界的にも上々のレベルだってことはよくわかる。邦画の技術の高さと感性の凄さに世界が感嘆したであろうことはうなずけないこともない。

 そのあたりのことを加味すると、そうだね~、ある意味においては傑作なのかもしれないね。

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新・平家物語

2014年01月06日 18時43分06秒 | 邦画1951~1960年

 ◇新・平家物語(1955年 日本 108分)

 英題 Taira Clan Saga

 staff 原作/吉川英治『新・平家物語』 監督/溝口健二 脚色/依田義賢、成澤昌茂、辻久一 撮影/宮川一夫 色彩監修/和田三造 美術/水谷浩 音楽/早坂文雄

 cast 市川雷蔵 久我美子 木暮実千代 進藤英太郎 千田是也 澤村國太郎 菅井一郎 伊達三郎 香川良介

 

 ◇保延三年初夏、京都今出川

 その昔、東京駅の八重洲口を出たところに名画座があった。八重洲スター座っていうんだけど、そこではよく溝口健二の作品を上映してた。それも英語字幕の版で、もうほんと、気がつくと溝口週間になってた。まあそんなこともあってちょくちょく出かけて、溝口の作品はかなり観た。この映画を観たのもそうした中でのことで、最初に観たのは大学2年生だったんじゃないかしら。ただ、そのときはやけに賑々しい天然色だな~とおもい、実をいうと肩にちからの入りまくった感じがして、あんまり溝口っぽくないな~とおもってた。

 ところが、あらためて観直すと、これが意外によかったりした。

 まあ、さすがに時代というべきか、清盛がまじめで好い奴なんだよね。父親おもいだし。

 ただ、宮川一夫のカメラがものすごくいいかといえば、なんでフランスのヌーヴェルバークに影響を与えるほど絶賛されたのかいまひとつわからない。たしかにクレーンショットの長回しはたいしたものではあるけれど、そんなのこれまでにいっぱいやってるじゃんっておもったりもする。けど、色は凄い。みごとなもので、さすがに色彩設計が慎重になされただけのことはある。っていうか、やっぱり和田三造が凄いんだろうね。

 ちなみに、大映はこの『新・平家物語』は3部作にしたようで、実をいうと、ぼくはまったく知らなかったんだけど、どうやら第2部と第3部はそれぞれ役者も監督もちがうらしい。長谷川一夫の木曽義仲を衣笠貞之助が、菅原謙二の源義経を島耕二が監督してる。へ~ってなものだけど、これ、どこかで一挙上映すればいいのにね。

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浮雲

2013年12月16日 14時22分13秒 | 邦画1951~1960年

 ◇浮雲(1955年 日本 123分)

 英題 Floating Clouds

 仏題 Nuages Flottants

 staff 原作/林芙美子『浮雲』

     監督/成瀬巳喜男 脚色/水木洋子 撮影/玉井正夫

     美術/中古智 音楽/斎藤一郎 監督助手/岡本喜八

 cast 高峰秀子 森雅之 中北千枝子 金子信雄 山形勲 岡田茉莉子 加東大介

 

 ◇破れ鍋に綴じ蓋

 当時のポスターに書かれた惹句を見れば、

「漂泊(さすらい)の涯てなき

 恋の旅路の歌か

 あわれ女の情炎図」

 とある。

 いや、凄い。

 男と女というのは、

 南方の雨季のように隠々滅々とした腐れ縁で結ばれてるってことを、

 情け容赦なく突きつけてくる。

 出会いの場が、農林省の仏印出張所というのがなんともいい。

 異国情緒の中で、農林省の技師とタイピストの恋愛というのは、

 なんだか夢を見ているようなふんわりした印象があるのと同時に、

 南洋のむせかえるような風土の中で汗がぐっしょりするような印象もまたある。

 これがふたりの未来を予測しているのが、なんともいえない。

 森雅之はどうしようもない自堕落な男を演じ、

 高峰秀子はこれまたどうしようもなく男に流されてしまう女を演じる。

 このふたりが付かず離れず、

 おたがいに不倫し、情夫と絡み、さらにまた不義不貞を重ね、義兄に囲われながらも、

 結局、破れ鍋に綴じ蓋のことわざどおり、

 屋久島の濃密な大気の中で死化粧をほどこしてやるまで密着し続ける。

 いや~これほど陰気くさくて根暗で、じとじとに濡れる映画があるだろうか。

 雨と湿気が、この作品を支配してる。

 濡れるという語句が、そのまま内外かまわず空間と男女を包み込んでる。

 成瀬巳喜男によれば「このふたりが別れられないのは体の相性のせいだ」という。

 えてして、男女の仲というのは、そういうものだろう。

 なによりも大切なものは体の相性で、

 こればかりは体験した者でないとわからない。

 どんなに聡明で、直感と洞察と理解と応用に長けた人間だろうと、

 男と女の抜き差しならない関係を味わい、

 体の相性を実感しないかぎりわからない。

 たぶん、

 林芙美子も成瀬巳喜男も、そうした人間のひとりだったんだろう。

 人間として生まれてきて、

 そういう男女の腐れ縁を体験しないまま死ぬのはなんとも哀れな気もするけど、

 こればかりは出会いがないかぎり、ひとりじゃどうしようもないことだしね。

 ただ、

 この成熟した映画が当時の日本では絶賛されながらも、

 いまではほとんど顧みられず、そのかわりフランスとかで評判になるのは、

 ほんと、よくわかる。

 おとなになろうぜ、みんな。

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