◇マッドマックス2(Mad Max2:The Road Warrior)
頭ぶっつけライダーのカットは回想で出てくるけど、油田の人々を守る話で、要するに『七人の侍』と『用心棒』を足して割ったのね。
見せ場なのか、延々と続く囮のタンクローリーとバイク野武士の追走劇なんだけど、それにしても長過ぎる。油井のほかの連中があまりにも弱すぎて、どうもね。それと、のちに長になる個人用ヘリコプターをもうすこし使えないかな~。
◇マッドマックス2(Mad Max2:The Road Warrior)
頭ぶっつけライダーのカットは回想で出てくるけど、油田の人々を守る話で、要するに『七人の侍』と『用心棒』を足して割ったのね。
見せ場なのか、延々と続く囮のタンクローリーとバイク野武士の追走劇なんだけど、それにしても長過ぎる。油井のほかの連中があまりにも弱すぎて、どうもね。それと、のちに長になる個人用ヘリコプターをもうすこし使えないかな~。
△ジョーズ3(Jaws 3-D)
リー・トンプソンが水上スキーのビキニ・ガールでデビューするほかには、なんの面白味もない。
左の太腿に傷を負って救急車で運ばれていったあとはたぶん幸せになってるとおもうんだけど、それにしても最後のジョーズの突入に口の中に酸素ボンベだかの爆弾を入れて爆発させるくだりの合成はひどすぎるし、そのあと歯型だけが残るってのも、なんだかつらくなったぞ。
◎勝利への脱出(Escape to Victory)
この映画には原案になった事実があるそうだ。1942年8月のウクライナで行われた「死の試合」がそうだ。ウクライナの代表選手を中心にしたチームとドイツ空軍のチームの親善試合だったんだけど、負けた腹癒せかどうかわからないものの、ウクライナのチームの面々は強制収容所に送られたらしい。
なんだか、きなくさい時期にウクライナ物をアップしなくてもいいんだろうけど、これはまあ偶然だ。
ともかく、映画はのんびりしてる。
あと、競技場のビジター用の浴槽、記憶の四分の一だわ。封切りのとき、もっと大きかったとおもったのはなんでなんだろう?
まあそれにしても、スタローンの若いこと若いこと。マックス・フォン・シドーはいつでもおじいちゃんだけど。ペレはおもったより出て演技してた。上手じゃん。CGのない時代の超大作でもない映画に、スタジアムの観客も当時の列車もよく用意できてるって感心するわ。やっぱり、ジョン・ヒューストンの演出力なんだろうね。
あもしろいのはラジオの実況。
〝将来、人は聞くでしょう『本当にあった試合か?』今日、明言しておきます。これは現実なのだと〟
◇スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!
どうやら、ぼくは『カーンの逆襲』と『スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!』を合わせて一本の映画のように記憶していたらしい。
どうしてこんなことが起こったのかわからないけれども、ともかく、スポックがわが身を犠牲にして死んだところ、その棺が再生されてゆく惑星ジェネシスに投棄されてしまったことで赤ん坊として生まれ変わり、驚異的な速度でスポックに成長していくという一連の物語がひとつの作品で語られていないことと、カークの息子がいきなり大人になって登場してやがてその犠牲的な心を汲み取って結果的に父親が息子を殺してしまうことになるというあまりにも衝撃的な展開もまたひとつの作品として捉えていたらしいんだけど、問題はひとつあった。
ここの悪役クリンゴンとカーンが同化してしまってたことだ。
なるほど、ふたつの映画の悪役は当然べつべつになるんだよね、納得したわ。
◇ハンバーガー・ヒル
空挺部隊のヘリコプターが煙の中を飛んでくと後ろでそれが渦を巻く。こういうのはCGじゃできんだろな~と信じたい。
封切りされたときから何度見直しても頭に残るのは淫売窟で一緒に風呂に入ったり泥濘をトラックがゆくところだったりする。
937髙地のアパッチ・スノー作戦はどうも印象が薄いんだけど、なんでなんだろう?
まあそりゃそうで、兵士になりきれない若者たちがどんどん戦争の狂気に駆り立てられながら、ひとりひとり仲間が死んでゆく中で、絶望と友情が生まれては消えてゆくわけだから、作戦の全体像もその目標も語られることはないし、当然、髙地奪取の到達点に到っても喜びなんかはこれっぽっちもない。そんな『ハンバーガー・ヒルへようこそ』ていうラストの立て札に語られる皮肉しか存在しないって物語なんだから仕方ないけどね。
◇リトル・ニキータ
リバー・フェニックスのための映画だね。ゴルバチョフとレーガンの首脳会談の中継を見ながらKGBのスパイはいう。なにも変わらんよ。むまったくだ。結局、なんにも変わらない。
それはともかく、20年も潜伏してたソ連のスパイ夫婦の子供フェニックスが親の秘密を探ってゆくわけなんだけど、なんかほんわかしてて軽い調子なのがいいのかどうか。
まあどちらにしてもちょいと単調かな。
ところで、スキューバと呼ばれるソ連を裏切ったスパイのあぶりだしがメインになるんだけど、このリチャード・ブラッドフォード、刑事コロンボの異色作品の『初夜に消えた花嫁』でカメラマンをやってる気がするんだけど、ちがうかな?
ちなみに『初夜に消えた花嫁』はエド・マクベインの<87分署>シリーズの一作「命果てるまで」が原作だそうで、なるほど、制作もかねたピーター・フォークは87分署がやりたかったのねとおもいつつ、また『リトル・ニキータ』にもどるんだけど、ソ連が崩壊してから米ソ融和になってる頃は、こういう手を携えた感じに仕上がってたんだね。
◇ネバーエンディング・ストーリー
懐かしい。レーザーディスクまで買ったのに、もう観られなくなってた。それはそれとして、主人公が愛馬と悲しみの沼を渡ろうとしたとき馬が悲しみにとりつかれて沈んでしまうんだけど、でもそれを助けられなくておいおいと泣きくずれる主人公は悲しみにとりつかれないんだろうか?ふつうなら沼に沈むんじゃないか?とかおもってたら生きた化石とやらのいるとかいう島に着くんだが大亀で、そういえばこんな展開だったとおもいだしたんだけど、むかし観たときもやっぱり『海のトリトン』をおもいだしたんだっけ?弱い心を見抜いたら光線で殺してしまうスフィンクスも走り抜ければ弱くてもいいのかって話でここはやっぱり堂々と抜けていけないとなあ。
▽男はつらいよ 花も嵐も寅次郎(1982年 日本 106分)
監督/山田洋次 音楽/山本直純
出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 田中裕子
▽第30作 1982年12月28日
タイトルバックはまたいつものように江戸川の土手になるんだけれども、夢の中でジュリーが歌って踊ってた。
沢田研二と田中裕子なんだけど、映画の中は湯平温泉でなんとも純情可憐な出会いをする。
まあそれはそれとして、なんだか寅は好きになったのかならなかったのかあやふやなまま、ずうっとふわふわしどおしで、沢田研二が振られるように仕向けたり応援したりでなんとも中途半端なまま時間が流れ、ふたりが観覧車で添い遂げたんだろうな~とおもったとき、嬉しいのか嬉しくないのかわからないまま旅に出る。
ほんと、ちからがなくなってきたのか、やっぱりそれなりの年齢になってきちゃったのか、シリーズはつらいね。
△スワンの恋(1983年 フランス、西ドイツ 110分)
原題/Un Amour de Swan
監督/フォルカー・シュレンドルフ 音楽/ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ
出演/ジェレミー・アイアンズ オルネラ・ムーティ アラン・ドロン
△貴族と娼婦とカトレアの花
退屈だな。
単調な構図とべったりした色調で、せっかくのアラン・ドロンはホモかどうかもよくわからない脇役で、現実と唐突な幻想との区別もなく、だらだらと単調な物語が進むんだけど、この時の流れがあまりにも遅い。失われし時を求めちゃうわ。
◇緑の光線(1986年 フランス 98分)
監督/エリック・ロメール 音楽/ジャン=ルイ・ヴァレロ
出演/マリー・リヴィエール リサ・エレディア
◇シェルブール、7月
グリーンフラッシュの話。
なにかって、映画の台詞を借りれば「太陽は赤・黄・青の光を発しているが、青い光が一番波長が長い。だから、太陽が水平線に沈んだ瞬間、青い光線が最後まで残って、それがまわりの黄色と混ざって私たちの目に届く」ってことらしく、まあ、めずらしい現象だから、これを観た者には幸せが届くってことになるわけで、当然、なかなか観られない。
観たいわね、そう聴くと。
途中、なんとなく画面のどこかに緑色のものがある。車のボディ、洗濯物のタオル、髪を縛っているハンカチーフ、鉢植えの観葉植物。
とはいえ、これは無口で、その場にいるかどうかわからないような男が身近な女の人達をただ観察しているような映画としか受け止められなかったのは、僕の感受性が稀薄なせいだろう。
「緑はわなしの今年の色らしいの。行く先々で緑色のものを見るの」とかいっていろんな事物をあげていくんだけど、だからなんなんだっていいたくなるし、実際、突っ込まれてるし、いやまあ一部の女の子にはこういうことをすぐに口にしちゃったりする子もいたりするけどさ。
「緑色の男に出会うかもね」とかいわれると、なんとなくフィリップ・K・ディックをおもいだしたりもするんだけど、まあ結局、情緒不安定な女の子の日常以外のなにものでもない。同時録音がリアルな効果はあげてるけどね。
◇ダンス・ウィズ・ウルブズ(1990年 アメリカ 181分/236分)
原題/Dances with Wolves
監督・主演/ケビン・コスナー 音楽/ジョン・バリー
出演/メアリー・マクドネル グラハム・グリーン モーリー・チェイキン ロバート・パストレリ
◇1863年秋、サウスダコタ州
シュンカマニトゥタンカ・オブワチつまり「狼と踊る男」の物語だ。
でも、物語をつくるうえでいちばん作りやすかったのかもしれないんだけど、この男ことケビン・コスナーが北軍の中尉だったという設定はどうにかならなかったのかしらね。というのも、インディアンの描かれてきたハリウッド作品に一石を投じたことはまちがいないものの、やっぱりどうしても優越的な立場にある白人から眺めたインディアンっていう構図になっちゃうからだ。そういうことから『アラビアのロレンス』の西部劇版のような批評を受けたりもしたんだろうけど、むりからぬことだったのかもしれないね。
とはいえ、ケビン・コスナーのがんばりようはたいしたもので、まるでデビッド・リーンみたいな大平原を撮ってみせたし、バッファローの大群をどうやって集めて撮影したのかっていうくらい映像的な驚きはある。
もちろん、インディアンの言葉が男性語と女性語に分かれてたせいで言語担当の女性にだけ頼ってしまったため男はみんなオネエ語になっちゃってたとか、そういう細かなまちがいはあったにせよ、うん、よくやったな~っていう印象はある。
◇フラットライナーズ(1990年 アメリカ 114分)
原題 Flatliners
監督 ジョエル・シュマッカー
出演 キーファー・サザーランド、ジュリア・ロバーツ、ケヴィン・ベーコン、ウィリアム・ボールドウィン
◇臨死体験
臨死体験をした人に話を聴いたことがある。
三途の川のほとりに立ってて水に入って渡ろうとしたんだけれど、あまりにも寒くて、それと後ろから自分を呼んでいる声を聞いたような気がして引き返したら目が覚めたと。で、三途の川、これってたぶん日本人に多いんだろうね。それからあと多いのは花畑だ。なんだろうね、花畑。
心臓が停止してもまだ脳内で血は流れてるわけだからそのときに観た画像が臨死体験ってことになるんだろう。そのとき、脳がどんな作用をするのかわからないんだけど、アルファ波っていうのか、それが流れる場合、とっても幸せな気分になるものだから、綺麗な風景を見ちゃうのかもしれない。でも、そうじゃないとき、たとえば不安や恐怖や後悔や悔悟がある場合、過去の記憶にまつわる悪夢のような映像体験をするのかもしれない。
で、この作品の場合は後者で、それぞれの登場人物たちは忌まわしい思い出を持っていて、それが不安の原因になってるものだから、臨死の際、それが追体験される。ところがむりやりに臨死体験をしてしまったものだから、精神のアンバランスが引き起こされて、悪夢がそのまま現実世界でも起こっているようにおもっちゃうんだけど、さてどうしようって話なんだが、そういうことからすれば、理屈を逸脱することのないおとなしい物語だったな。