Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Village Design 24.  大理〜麗江・洱源周辺

2007年11月10日 | field work
 ニューアーバニズムのデザインエッセンスは、建築様式をみれば一目瞭然であり、多くはアメリカ植民地時代にデザイン規範を求めている。当時の植民地様式自体が、ヨーロツパから持ち込んできたデザインを基調としながら、アメリカの風土に応じて形成されてきたのである。こうしたルーツはイタリアやフランスやイギリスの集落などにあり、さらにイスラム様式である中庭を配するといった具合に、世界各国の建築様式を加味したデザイン・コンプレックスの一面があると、私は解釈している。それ故に、ニューアーバニズムのアメリカでの呼び習わし方である、新伝統主義(ニュートラディッショナリズム)は、概念としては大変わかりやすい。
 さて日本のルーツはどこかと考えれば、屋根瓦や土壁といった素材に着目すれば、当然中国の建築様式が取り入れられているのであるが、しかし空間構成原理である院子(中庭)が書院造りの頃から存在しない。ヴィェトナムに国境を接する雲南省と日本とは、高温多湿であることに変わりがないから、類似性がみられてもよいが、歴史上の事実はそうではない。日本では縁と呼んでいる回廊によってかろうじて、中庭のような囲われた空間はあるが、院子のような強い求心性はみられない。当然法隆寺伽藍といった中国伝来の様式による影響を受けての書院造り様式であるのだから伝播といってもよいのだが、民居の世界では、文献もなく、実際はわからない。恐らく弥生時代の様式を敷衍し、母屋に、敷地の周囲を柵で囲った位の館だったのかもしれないが、実際はわからない。
 よくわからない日本はさておき、中国に話を戻すと、この地方の様式である三合院による民居の中庭が、上図の写真である。外部に対しては、およそ開口部を持たない厚い土壁で遮断されているが、中庭に面しては建具を活用し開かれた空間構成となっている。中庭は、採光や生業の場として使われ、院子なくして、この様式の民居は成立しないだろうということが理解できる。
 特に中庭と母屋との敷際に設けられた下屋が、憩いや農作業や生活といった多目的な利用が、周囲に於かれた道具などから伺える。こうした下屋が中庭を囲むようにデザインされているのであるから、当然入り隅空間となっている。これに対し日本での書院造りでは、母屋の周囲に下屋に該当する縁を回しているのであるから、出隅空間となっている。こうした違いは、空間構成原理の基本に関わる大きな相違点である。三号院の入り隅空間の典型といえば、街路といった屋外空間を自分たちの住まいの延長空間として扱ってきたヨーロッパの古い都市である。このブログでは、たびたび中国とヨーロツパとの類似性を指摘してきたが、シルクロードを通じた文明往来の経緯とを併せて考えれば、中国建築の空間構成原理の一部には、ヨーロッパとの相互交流の所産が含まれていると思われる。
 さて数時間後に、朝一の新幹線で拷問のように退屈な、名古屋に行かなければならないので、二日ほどブログを休みにする。早々に引き上げて、また次の集落を紹介したいと思う。
 
1999年9月撮影
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.コダクロームⅡ.
Nikon Coolscan3.
CanoScan9950F
コメント
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