Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Village Design 29.  石鼓鎮

2007年11月19日 | field work
 石鼓鎮の路地を歩くと、多様性ということに気づかされる。先ずビスタが真っ直ぐ見通せない。路地自体が微妙に曲がっているので、アイストップとなる正面には、民居の家並みが見える。各民居自体も、近代建築や郊外の建売住宅地のように定規をあてた規則正しい配置ではない。路地が微妙にふくらんだり、狭まったりし、それが塀の連なりとなって多様な景観を呈していて面白い。また各民居玄関の位置も路地に面したり、斜行したりと、結構多彩である。こうした不整系な民居配置の場合、一般的解釈として考えられるのは、長江から吹き上がってくる川風を避けようとする説が浮上してくる。先ず民居の暑い土壁で遮り、さらに曲がりくねった路地によって、川風が集落の中心を通り抜けないようにする知恵の所産だと思われる。実際高台にある、集落の中心部は、長江の側に立地していることを忘れさせてくれる位に、風の影響は感じられない。
 そう言えば、このVillage Designシリーズの始めの方で紹介した、琵琶湖沿岸北小松の民居路地は、正面に琵琶湖が眺められる。居住者も冬は、琵琶湖からの雪や風が路地を通り抜けると言っていた。石鼓鎮とは対照的な配置である。北小松はそれでまた石鼓鎮とは異なる理由から、敢えて風の通り道をつくったのだと思われる。様々な地域を尋ねると、その土地固有の考え方が見いだされる。それらは、風土との関わりの中で、時間をかけ了解されてきたデザインである。環境と人間の関係性を築こうとする際の作法といってよい。
 近年建築技術の発展で、風土の作法に従わなくても、快適性ある居住環境を設えることができる。そう思っていたら、地球温暖化により化石燃料の使用制限が、これから厳しくなってくるのが、世界の環境事情である。北海道のように暖房を石油に依存している土地では、液化天然ガス等、環境負荷が少ない燃料に切り替えるといった事態が、予想される。
 現代文明が、後追い的技術しか持てないのであれば、環境と良好な関係性が形成できる建築自体のデザインを、考え直した方がよさそうである。そういう点で世界の民居には、多くの知恵が集積している。民居から学べるのは、今をおいて他にない。中国も次第に近代建築が、山奥の集落でも建てられつつある。実際上の写真の正面には、既に以前から近代建築が建てられているではないか。造るのは後でも可能だが、知恵を学べるのは、今しかない。
 
1999年9月撮影
Canon EOS3.F3.5-5.6/EF28-135mm.コダクロームⅡ.
Nikon Coolscan3.
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