Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし329. ラチチュード

2010年06月04日 | Kyoto city
 昨日の京都は、気温28度で少し暑く入道雲がたちあがり、街では日傘をさしている姿が見られた。午後からは遠雷の音が聞こえ夏の時間のようでもある。
 前回述べたラチチュードについて加筆しておきたい。例えば仕事柄、露地沿いにある京都の町屋などを撮影するのだが、晴天日だと、周囲の空の光や道に露出を合わせれば町屋は黒くつぶれるし、町屋に露出を合わせれば、逆に空や道は白く飛んでしまう。つまり1枚の画面のなかでも、輝度差が大きいので、このような現象が起きるわけである。その両方を撮影しようとすれば、曇り空か夕方のような輝度のバラツキが少ないときに撮影する他ないのである。
 デジタルの世界では、リバーサルフィルム並にラチチュードが狭い。従って輝度差の大きい被写体は撮さないのに限るの。言い換えれば撮せない被写体が晴天日には数多く発生するということである。そんなことを言えば、何のためのデジカメかと思われるだろうが、厳密に言えばそれがデジカメの仕様である。人間の眼或いは意識が白く飛んでいても(つまり情報がなくても)、画像として認識しているのである。
 今日の画像のように、雨の日で少し薄日が射すぐらいだから、白く飛ばずに空も薔薇もそこそこに描写されているのであり、晴天日ではこのようにはゆかない。従って曇りや雨の日こそ、京都の撮影日和なのである。ただし他所の土地のことは知らんぜ。
 こうした経験を踏まえると、撮影機材というのは、ホントに光の産物だと実感するわけである。

京都市・京都府立植物園,2010年5月24日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/1000,絞りf4.ISO100,カラーモードF2.
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