画像は、朝牧志の公設市場へ向かう道すがらで再会した安藤忠雄さんの建築である。
1980年代、私が仕事をしたプロデュース企業が開発したものであり、当時”Festival”という名前のファッションビルとして全国の話題になった。そのこと自体は、沖縄の認知という点では大いに貢献したであろう。建築は、安藤建築そのもののコンクリート打ち放しの外観に、壁に明け放れた縦横に連続する小窓は外気の取り入れ意図したものである。大きな吹き抜けを内部に有し、少しでも沖縄の気候風土になじませようと努力したわけだ。
その後オーナー企業の経営本位姿勢でテナントはOPAに代わり、やがてこのオーナー企業もなくなり、今では量販店のドンキホーテとなってしまった。商業建築の推移をみるようで興味深い。
つまり長期的視点のない凡人サラリーマン集団が文化をつくろうとすると、彼らの手法はフィジビリティの経営収支だけだし、文化といってもたしなんでいるわけではないので口あわせの口実だけであり、そうした結果単なるつまらないテナントビルに落ちこぼれてしまうという通例の転落の道を歩むことになる。そんな経営本位のビル群によって、実は現代日本の都市景観が成立している。当然つまらない景観が乱立するわけだ。経営本位でつくられたつまらない都市をフィジビリティ・シティと呼んでおこうか。
現代都市は、生活する上で便利ではあるが、その都市固有の空気は薄れ、どこでも同じような顔になってくきた。日本のように敗戦の復興から立ち直るのに精一杯で、文化や建築様式に思い至らなかったのは、長い目で見ると次第に、そうした欠如が顕著になってくるようだ。様式を捨てた都市の末路は全国いたるところでみられる日常的な風景でもあり、誰も不思議には思わない。そんな非個性的都市を我々は営々とつくって来たんだ。
そんななかで今でも確固たる建築群だと思わせるのは、宮本忠長:小布施堂界隈だ。日本の都市景観といえば、この方向が正解の一つなのであろう。沖縄で長野を思い出す。
沖縄県那覇市
OLYMPUS E-M1,LEICA MACRO ELMARIT45mm/F2.8
ISO500,露出補正+1,f2.8,1/100
1980年代、私が仕事をしたプロデュース企業が開発したものであり、当時”Festival”という名前のファッションビルとして全国の話題になった。そのこと自体は、沖縄の認知という点では大いに貢献したであろう。建築は、安藤建築そのもののコンクリート打ち放しの外観に、壁に明け放れた縦横に連続する小窓は外気の取り入れ意図したものである。大きな吹き抜けを内部に有し、少しでも沖縄の気候風土になじませようと努力したわけだ。
その後オーナー企業の経営本位姿勢でテナントはOPAに代わり、やがてこのオーナー企業もなくなり、今では量販店のドンキホーテとなってしまった。商業建築の推移をみるようで興味深い。
つまり長期的視点のない凡人サラリーマン集団が文化をつくろうとすると、彼らの手法はフィジビリティの経営収支だけだし、文化といってもたしなんでいるわけではないので口あわせの口実だけであり、そうした結果単なるつまらないテナントビルに落ちこぼれてしまうという通例の転落の道を歩むことになる。そんな経営本位のビル群によって、実は現代日本の都市景観が成立している。当然つまらない景観が乱立するわけだ。経営本位でつくられたつまらない都市をフィジビリティ・シティと呼んでおこうか。
現代都市は、生活する上で便利ではあるが、その都市固有の空気は薄れ、どこでも同じような顔になってくきた。日本のように敗戦の復興から立ち直るのに精一杯で、文化や建築様式に思い至らなかったのは、長い目で見ると次第に、そうした欠如が顕著になってくるようだ。様式を捨てた都市の末路は全国いたるところでみられる日常的な風景でもあり、誰も不思議には思わない。そんな非個性的都市を我々は営々とつくって来たんだ。
そんななかで今でも確固たる建築群だと思わせるのは、宮本忠長:小布施堂界隈だ。日本の都市景観といえば、この方向が正解の一つなのであろう。沖縄で長野を思い出す。
沖縄県那覇市
OLYMPUS E-M1,LEICA MACRO ELMARIT45mm/F2.8
ISO500,露出補正+1,f2.8,1/100