Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

京都に棲む41. 磯崎新氏の記憶

2008年12月09日 | Kyoto city
 私が勤めていた、プロデュース企業である浜野商品研究所のディレクターをしていた頃だから、1990年頃だったと記憶している。会社の小さな会議室で、磯崎新氏と浜野安宏さんとが打合せをしていた。JR上野駅の改築計画だったと思われる。このときの成果は、後に磯崎作品集に超高層の模型が掲載されているが、実現には至らなかった。もし実現していれば、上野界隈のイメージが一新されたと思う。
 私の恩師の土肥博至先生が、筑波研究学園都市の整備に関わっていた最も最後の時期に、磯崎新氏に依頼されたのが、筑波センターだった。筑波センターを目の当たりにみていると、磯崎氏は商業施設には縁のない人だっ思った。実際彼の作品には、商業施設は大変少ないと記憶している。
 もう一つ私が、記憶しているのが、磯崎氏をはじめとする元丹下研究室の面々が執筆した、「都市デザイン研究体:日本の都市空間,彰国者,1968」、がある。日本の伝統集落や京都の街並みなどをフィールドサーベイしてまとめた都市デザインの著書である。このなかに、磯崎氏が後に多用する建築言語のはしりが、みらられる。若い頃私は、この本から大分勉強させて頂いた。だから磯崎氏の建築をみるたびに、いつもこの本にでてくる集落や京都の街並み、そして「さおび」とか「重層」といった建築言語を思い出す。
 こう考えると、私にとっては遠い存在だが、影響を与えてくれた建築家だとおもう。

京都コンサートホール
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする