今日は大晦日だ。京都シリーズも60回と区切りがよい。さて1年半続けてきたこのブログもここで終わりとするか、あるいは続けるかは、年が明けないとわからない。というのもOS10.5に更新したら、3DCGで使用してきたstrataCXJとshade7が使えなくなってしまったからだ。少し意欲減退している。
今日は、湖上に浮かぶバーチャル環境のインスタレーションといった類の3DCGをあげた。正方形のブロックに、フィレンツェにあるドゥオモの空間断面でくりぬいてみた。ソフト上はブーリアン減算で処理したことになる。これぐらいシンプルなオブジェだと、綺麗にみえる。
こんなシンブルなオブジェは別として、通例3DCGは、相当な集中力を必要とする作業である。というのも、かって制作した作品ファィルを開けると、どのように制作したかを思い出すのに、一寸時間が必要なときがある。また、膨大で地道な作業を思い出すと、あまり引き受けたくない仕事だと、思うときもある。あるいはCGに向くデザインと、そうでないデザインもある。作品によって表現ツールを見極めてゆく力の養成は、やはり設計がうまくなる方法につながるのなのだろう。
設計というのは、エスキースにしろ、図面にしろ、模型や3DCGをつくるときにしろ、常に完成系をイメージしながら、抽象的要素から、具体化への作業が暫時進められる行為なのである。少しまとめみたいな結論を述べて、今年は終わりとする。よいお年を。
制作:2006年
今日は、湖上に浮かぶバーチャル環境のインスタレーションといった類の3DCGをあげた。正方形のブロックに、フィレンツェにあるドゥオモの空間断面でくりぬいてみた。ソフト上はブーリアン減算で処理したことになる。これぐらいシンプルなオブジェだと、綺麗にみえる。
こんなシンブルなオブジェは別として、通例3DCGは、相当な集中力を必要とする作業である。というのも、かって制作した作品ファィルを開けると、どのように制作したかを思い出すのに、一寸時間が必要なときがある。また、膨大で地道な作業を思い出すと、あまり引き受けたくない仕事だと、思うときもある。あるいはCGに向くデザインと、そうでないデザインもある。作品によって表現ツールを見極めてゆく力の養成は、やはり設計がうまくなる方法につながるのなのだろう。
設計というのは、エスキースにしろ、図面にしろ、模型や3DCGをつくるときにしろ、常に完成系をイメージしながら、抽象的要素から、具体化への作業が暫時進められる行為なのである。少しまとめみたいな結論を述べて、今年は終わりとする。よいお年を。
制作:2006年