Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

京都に棲む45. 妙心寺境内の路

2008年12月14日 | Kyoto city
 46の塔頭をつなぐ禅寺、妙心寺境内の路は、実にアーバンデザイン的だ。境内を回遊する心地よいスケール感の道幅、風景を変化させるT字路や鍵型に曲がる路、路に対する塔頭寺院の多彩な構え方など、今でも環境のデザインに活かしたい上手な要素に満ちている。我が国には、こうした優れた環境が多い。
 こうした環境をケーススタディし、現代のデザインの知見、或いは建築言語として導き出したのが、当時、磯崎新氏をはじめとする丹下研究室の院生達である。それは都市デザイン研究体:日本の都市空間,彰国社.1968.としてまとめられている。この図書は、 我が国のアーバンデザインの先駆けであった。彼らの著作にも当然のことながら、妙心寺全体の配置図とアーバン的諸要素について記述されている。
 私もこの路は、実測調査をしたことがあり、例えば一例として掲げた、この写真の鍵型の路は、手前から4.1m幅で入り、5.1m幅で右に折れ曲がり6mほど進むと、さらに6m幅で左に折れ曲がってゆく。路幅が微妙に変化しながら、路の両側の塀や建物の高さが程よいスケールをもたらす。こうしたスケール感が、心地よく、どこかのデザインで使ってみたいと思っている。こうした設えによって風景が、柔らかくそしてパッと切り替わってゆくところが面白い。境内の路沿いに、塔頭毎にいくつかの小さな世界が広がってゆくのだろう。

妙心寺
Canon EOS kiss digital,SIGUMA3.5-5.6/18-125mm
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京都に棲む44. 市井の建築

2008年12月12日 | Kyoto city
京都人から「京都も戦災で全部焼けてしまって・・」と言われたことがあった。えっ戦災で!?。米軍によって東京、名古屋、大阪は、空襲されたが・・・京都も戦災!!?。「そうどす、応仁の乱で」。それは西暦1467年から11年間続いた、内乱であった。それ以後京都は、幸いにして大きな戦災を受けなかった。そのことが京都に、伝統様式を連綿と存続させてゆく要因となった。
 1970年代、新幹線の車窓からは、多くの古い町屋が見られ、ああ京都だと思った。しかし1980年代以降、京都から町屋が次第に消え、ビルに変わってゆく。私がこの街を歩き出した1997年以降だけをみても、古い町屋が街区毎になくなりビルに建て変わる様相をしばしば経験した。そう考えると、現代という時代は、戦災時以上に古い街を変えてゆくようだ。
 2007年9月、京都市は地上4階建てとするなどの新景観条例を制定したが、年寄り達の口から、昔は町屋があったのにと、ため息が漏れ、時すでに遅かったの感がある。
 すでに町内会規模で町屋が続くところも、祇園新橋といった伝統的建造物群保存地区や、この写真にあげた宮川町といった具合に、数え上げられるほどに減少した。
 ところで 昨日、裏のお寺さんにある銀閣寺垣の頭を、植木屋さんが刈り込んでいた。頭を1m位刈り込むと、やはり町屋越しにマンションが建っているのが見えた。

宮川町
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む43. 松室重光の明治建築

2008年12月11日 | Kyoto city
 松室重光は、京都府出身、辰野金吾の弟子であり、数少ない日本での作品である京都府庁舎はその代表作。辰野金吾がせっせと赤煉瓦洋館をデザインしていた頃、松室は京都府庁舎(明治37年)において、壁を煉瓦造としながらも、その上に漆喰を塗った斬新なデザインとしており、大正・昭和期の建築の雰囲気を漂よわせるなど、師匠よりは遙かに優れた造形力をもっていたのである。京都市内には2作品しかない。というのも部下の汚職に連座し京都府技師を辞し、中国大陸へ渡ってしまったからだ。
 ところで日本人は、能力ある人材を粗末に扱う傾向があると私は思う。或いは能力ある人材に適切な仕事を与えることが下手である。それも天性の下手さ加減である。私の回りに出没する大手建築設計事務所の幹部らと話をしていても、話はすれ違い、まあ才能のある人間など、少しぐらいほかしたところで、また後から新しいのが生まれてくるからいいさ、といったお気楽なところがあるようだ。こうした発想ができるのも、明治以後の日本が人口増加の一途をたどっていたからだ。しかし現在は人口減少の一途であり、お気楽というわけにはいかないだろう。
 さて私が松室重光に行き当たったのは、彼が京都府技師時代に行った「京都府古社寺建築調査報告」だった。このブログNO37を参考にされたい。
 
京都府庁舎・中庭
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む42. 原広司氏・都市の玄関

2008年12月10日 | Kyoto city
 私が、浜野商品研究所の仕事で最も関係性がなかった建築家が原広司氏である。ここにいた頃、原氏との仕事は皆無であった。それにしても原氏のデザインしたJR京都駅ビルは、人が集まる場を、ダイナミックに空間化し、コンコースから広がるように、大階段広場、ホテルの広場が対面し、庭園や空中径路といった都市の構成要素を建築化して取り込み、大きな建築空間をつくりあげ、多彩な風景をつくりあげている。現代の駅舎建築の中では、傑出した作品となっている。都市の玄関というものを建築として表現し、実際に多くの人々が集まり利用され、この地区のイメージを一新しており、個人的には、好きな建築の一つである。
 昨今の都市では、こうした複合機能を大規模に展開する施設需要が少なくなってきた。今後建設される可能性も、少ないものと思われる。だが、建築家の個性を表現しつつ、環境としてまとまりある都市拠点を作ろうと思えば、京都駅クラスの規模は必要である。なかなか矛盾する話ではあるが。
 そんなとき、私はCG上で大規模な仮想環境をつくることにしている。いつかはこうした仕事をするための訓練だというべきであろう。或いは、そのまま、仮想環境だけで終わるのかもしれない。だが、こまい施設づくりに汲々としているよりは、仮想環境の方が健康的だと思う。京都駅を目の当たりにしていると、そんなことを考える。

京都駅コンコース
Canon EOS Kiss Digital,SIGUMAF3.5-5.6/18-125mm
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京都に棲む41. 磯崎新氏の記憶

2008年12月09日 | Kyoto city
 私が勤めていた、プロデュース企業である浜野商品研究所のディレクターをしていた頃だから、1990年頃だったと記憶している。会社の小さな会議室で、磯崎新氏と浜野安宏さんとが打合せをしていた。JR上野駅の改築計画だったと思われる。このときの成果は、後に磯崎作品集に超高層の模型が掲載されているが、実現には至らなかった。もし実現していれば、上野界隈のイメージが一新されたと思う。
 私の恩師の土肥博至先生が、筑波研究学園都市の整備に関わっていた最も最後の時期に、磯崎新氏に依頼されたのが、筑波センターだった。筑波センターを目の当たりにみていると、磯崎氏は商業施設には縁のない人だっ思った。実際彼の作品には、商業施設は大変少ないと記憶している。
 もう一つ私が、記憶しているのが、磯崎氏をはじめとする元丹下研究室の面々が執筆した、「都市デザイン研究体:日本の都市空間,彰国者,1968」、がある。日本の伝統集落や京都の街並みなどをフィールドサーベイしてまとめた都市デザインの著書である。このなかに、磯崎氏が後に多用する建築言語のはしりが、みらられる。若い頃私は、この本から大分勉強させて頂いた。だから磯崎氏の建築をみるたびに、いつもこの本にでてくる集落や京都の街並み、そして「さおび」とか「重層」といった建築言語を思い出す。
 こう考えると、私にとっては遠い存在だが、影響を与えてくれた建築家だとおもう。

京都コンサートホール
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5
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京都に棲む40. 高松伸氏の建築

2008年12月07日 | Kyoto city
 私は、デザインのエスキースが、文章でいえばブログだと思われる。大変アクセス数の少ない、このブログを1年以上も書き続けていられる理由というのは、実は別途原稿を書くためだと思う。実際このブログで最初の頃に書いたセカンドライフの一連のブログ記事は、発展して今年の大学の図書である「芸術工学への誘い」に掲載したし、今これに執筆しようとしている原稿も、とっかかりはブログであった。
 ところで、北山通りを歩くとわかるが公共施設やお洒落なファッションビルが集積している。磯崎新、安藤忠雄、高松伸、妹野正治・・・。私自身プロデュース企業に在籍していた頃から、ファッション建築づくりを推進してきた立場だったから、こうした風景は見慣れているのだが、最近、連続した都市景観という視点から見ると、これは奇っ怪な風景だと思うことがある。
 つまり建築家の仕事は、敷地境界線からでられないのだ。敷地の中で完結するといってよい。そんな完結性が、異なる敷地が続く都市景観という視点で見ると、結果として博覧会のパビリオン群のような奇っ怪な風景になる。この写真のように高松伸氏の頭や模型には、道路の電柱や樹木もない、或いは排除されているだろう。
 都市景観という視点で考えていたら、神戸や福岡や東京にも同様のストリートがある。他の都市にも・・と考えると。これは一つの共通性ある都市現象として捉えられそうだし、次年度の原稿のテーマになるかも知れない。
 といった具合に、ブログは、原稿をかくためのエスキースとしての役割を果たしているようだ。ものをつくりはじめる最初の段階から公開してゆく。劇場型社会の所以だろうか。

Times
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む39. 安藤忠雄氏の建築

2008年12月05日 | Kyoto city
 京都府資料館をL字型の中心とし、両翼に巨匠建築家の作品が建っている。磯崎新氏と安藤忠雄氏とである。こういうときは、どちらを取り上げようかと比較できるのは面白いのだが、私は安藤作品の陶板美術館としたい。
 なによりもこの建築は、チケットブースなどを除くと、すべて屋外空間であるとするコンセプトが秀でている。それに両側からかなりしつこいぐらいの滝の音だけが響いている。たったそれだけの建築空間である。何もないことがとても心地よい。
 陶板の壁画にどれほどの価値があるかは、わからない。陶板作品も増えているわけではないが、それにしても事業者は、一体何を考えてこのようなものを企画したのかと思う。社会的には、建築の遊びなどと中傷されるかもしれないが、そう建築は遊びなのである。
 それにこの建築?が高くせずに、下に掘り下げたというデザインも、北山の風景にとけこんでいる。建築には上に建てるという自明の手法だけではなく、逆に下へもぐる建築もある、とする 考え方への再認識をさせてくれる。下に降りても地下とは思われない明るい屋外空間が続く。 そこがコンセプチュアルだ。

京都府立陶板美術館
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む38. 図書館

2008年12月04日 | Kyoto city
 若い頃だと、昼食をおしんで資料を求めて図書館を探しまくった。今考えると、このスタイルは、進められない。そんなに頑張ったところで、探している資料が見つかるわけではない。人類の文化遺産は、もっと深淵だということを悟った。そこで、昼ぐらいは少しリッチな時間をすごしたい。
 最近北山通りにある京都府資料館に、よく出かける。ここは歴史資料の宝庫であり、研究者にはよく利用されている。私の場合は、北山通りにはバンが旨い進々堂等があり、ここで昼を食べたいがために、資料館に出かけ、そして原稿のテーマが決まるといったほうが正しい。そうなると原稿内容も、自ずと歴史系に向かうということになり、私の専門分野とは異なる。まぁいいか、それも学際的だし、異分野算入も文化だと思っている。
 つまり図書館の回りに、行きたいお店があることが重要だ。私の経験では、都立中央図書館は広尾にあり、ここはリッチだ。国立国会図書館の回りにはお店などなく、ここは貧しいから可能な限り避ける。名古屋市内の図書館に至っては番外地というほかないから、出向いたことがない、といった具合に。
 資料探しで根を詰め、少しお洒落なレストランでリラックスする、といった変化ある頭の刺激が、大切なのだ。そんな変化の中で、資料探しのヒントや次の原稿のアイデアを思いついたりする。そういう時間を持つことが研究には大切なのだ。
 ところで進々堂で昼を食べているときに、私は気がついた。八坂塔の図面は、あそこになら図面があり、そして複写をくれそうだ。それは役所だ!

北山通り、資料館前の進々堂
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む37. 建築図面

2008年12月03日 | Kyoto city
 実は、ここ1週間ほど法観寺八坂塔の建築図面を探している。重要文化財だから工事をしていれば、図面があるはずだ。だがみつからない・・・つまり図面化を伴う工事をしていないのか。ならば府立資料館でライブラリアンを訪ね、またWEBで図書館資料を国会図書館、筑波大学図書館と検索したが、みつからない[注1]。市井のサイトにはないだろうか。写真は数多くあるが、図面はない。そんな経験をしていると、写真と図面との違いをあらためて実感させてくれる。
 写真には、先ず撮影位置やレンズの画角が様々であり、撮影者の気分も加わる。なによりも最大の欠点は詳細な各部の建築寸法がわからないといった具合に主観的な性質なのだ。それに対して図面は、実測を伴って作図されるので細部に至るまで建築寸法をおいかけることができるし、建築自体の構造もわかる。つまり図面の方が建築形態の理解における定量的な客観性があるということになる。写真と図面との違いを改めて再認識させられる。
 こうした経験をすると、意外と図面化された古建築は、少ないといえる。図面が存在するのは、「日本建築史基礎資料修正」[注2]をみると定説的な建築的価値を有するか、文化財として特に重要な価値を与えられた対象に限られてくる。
 それにしても世の中のブログは、写真という主観的な媒体を通じて、古建築を理解しているのか、それは随分といい加減な態度だと思ったりもする。そんなわけで建築理解における客観性ある図面化は、重要な活動だとおもったりするが、ないですねぇー・・ヤ・サ・カの塔の図面は。

[注1]明治期に松室重光「京都府古社寺建築調査報告」がなされている。この中に八坂の記述があるが文章のみ。この文献については、山崎幹泰:松室重光「京都府古社寺建築調査報告」、日本建築学会計画系論文集、564号、2003.p323-330に掲載されている。
[注2]太田博太郎:中央公論美術出版社、1984.
霊山観音
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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京都に棲む36. 吸い納め

2008年12月02日 | Kyoto city
 今年の紅葉も終わりに近づきつつある。それは短い期間であり、私は仕事もあり、それほど紅葉狩りに出歩けいたわけではないが、少しは味わった。何故紅葉狩りに人はでかけるを考えると、勿論風景が美しいとか、1年の実りの時期といった理由が一般的だが、私は、あの寒い冬が来て家の中に閉じこもることを余儀なくされる生活が続く日々の前に、少し外の空気を吸いだめておきたいとする潜在的な動機があると推測した。そう、外気の吸い納めだ。
 そうした性癖は、実は、少し歳をとると増してくるようである。というのも、私の大学の学生達をみていても、さて今日の制作はどうしよう、といった間近の事柄に対する関心の方が高く、紅葉は、視界の隙間に垣間見えるといった程度で、吸い納めどろこではない。ところが、そうした学生達も社会人になると、情報が増える故か、或いは周囲の誘いもあり、せっせと紅葉狩りにでかけるようである。実際紅葉の名所は、多彩なカップルが多いのも事実だ。但し彼らの場合は、思い出の舞台として意味づけているのだろう。
 ・・・とまあ色々と、思わせてくれる紅葉も終わり、少しづつ冬が近づいてくる。

常寂光寺
Fuji FinepixS5pro,AF-S NikkorF3.5-5.6/16-85mmmED
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