世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
40円で済むか?
《 輸入小麦、18%値上げ 4月から農水省 国際価格高騰で》は3月24日付け朝日新聞の経済欄のトップ見出し。
続いて 小麦を原料とするパンやうどんの価格に影響し、1世帯の1か月の消費支出を約40円上げると見ると、書き出していた。
食べる量にもよるだろうが、 ホンマに40円の支出増で済むのか?の疑問が湧いた。
4月以降を見ないと確かなことは言えないが、政府やマスコミが出す情報内容に疑問を持つことが重なってきたから、つい(またか)と思ってしまった。
視野と視座
これまで(視野)と(視座)の違いをうまく言葉にできなかった。
見ている人の位置が同じで、見ている範囲の広さが(視野)で見でいる人の位置やそこで見られる全景が(視座)かなとと、いま思いついた。
(地球を視座に)と考えてきたが、見ている位置を変えず地球を視野に収めることはできない。
とにかく(宇宙に浮かぶ地球)を収めず物を見るのは合理的ではない。 不合理な情報が多い。
畏れから遠のく
それが神であれ自然であれ、いつから感謝や恐れ畏れから遠のいたのだろう?
アンチテーゼのような科学の虜になったのか、科学的と言われているのに理に合わないことが多い。
「一寸先は闇」
原油の国際価格が100ドルにせまり、リビアのリーダーが自国の国民への空爆を指示することを、1週間前に誰が想像できただろうか?
「政治は一寸先は闇」とは言うけれど、世界も同じなのか。
原油価格や政治は自然現象ではないから、結局人間は自分たちのやっていることの意味がわからないまま活動していることになる。
言い換えれば、現状を認識するための情報を持たずに行動していることにならないだろうか?
(結果論だが)権力やお金で流布される(デマ)とも言える情報の責任はどこにあるのだろう。メディア発信の当事者が政治家であれ学者であれメディア関係者であれ間違った情報は個人を越えた視野の狭い時代感覚から生まれたや仕組みの問題だとは思うが、責任が曖昧になるから(責任者)があっても良い。そうしないと解決の目途も立たない…