世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
意味を知って使っているのだろうか?
私たちが 企業と政府のお蔭で 暮らしているのは 事実なのだが、どうしてこうも 企業と政府の都合の良いようにばかり報道されるのだろう?
新聞もテレビも経営のスポンサーが企業であったり政府だから仕方ないとは思うが、こんな自己中心の振る舞は そんなに続くものではない。
何故なら、権力の存在が他者があって成り立っているからである。他者の一方的な否定は己の否定に繋がる。
主が格好をつけて 「地球的俯瞰」と言わず「(地球儀)的俯瞰」と言うところがいかにも である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
行動観察の基本は
人の行動や意味も 止まることなく常に変化する。 その(はしり)の様に表われるのが(探索行動)と言われる行動だろう。
行動の観察には探索行動の変化と意味づけが基本として必要だろうと思う。
子供を育て教育する立場にある者(ある意味では全ての人間)は この眼が必要だが、環境が自然から離れ人間性が自然からかい離すると この基本的な感覚が失われるかもしれない。 現代社会はそんな人間を大量に生みだし、それが一般的で普通になっているかもしれない。
【子どもが見えない時代】になっているような気がする。 人為的な知識が人間を見えない生き物にしていはいないか。
学歴や知識と社会や人間の関係を考え直さなければならない時代が来ているような気がしてならない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )