世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
胆力
インフレもウクライナも「いつ収束するか分からない」と言うのが世界の実態かと思う。
個人的には 少しづつ解決へとは進むものの 綺麗に収束するのは 5~60年先のビッグストリーではないか。
少なくても両者の基底を成すものは 人類的な長い歴史的産物であって 目先の政治的な手法で解決できるものとは考えられない。
80憶の現代人は 解決の胆力が試されている。
時代の読み
時代の転換期においては 古い体制の動きに世界の目が注がれるのは止むを得ない。
変化の筋の読み取りが大事になるが、どうだろう?社会の情報化は避けられない。
野蛮な手法
力で御するのが 文化的だとは思わない。文化的(’幸福)な価値で関係を結ぶのが良い。
大 大局的にはその方向に進んでいると思うが 身近なところでは力関係で動くものがまだまだ 圧倒的に多い。地上には80億の人がいる。
戦争は あまり良い事だとは思わなけど‥
物心がついたころ この国は戦争をしていた。今は よその国が戦争をしていて この国は一方を応援している。
一体 この国は何がどう変わったんだろう? 戦争は昔も今も将来も あまり良い事だとは思わなけれど‥子供のころはチャンバラごっこや戦争ごっこをよくやったし映画もよく見たもんだ もちろん強さに憧れていた‥ そんな国が 今でもあるのかなあ‥
いつの間にやら
思い出してみると
物心がつき始めたころは 何一つ心配することもなく 全てが穏やかだった。
途中 色々あったが 今は 次々良い事がありそうな希望と期待に満たされてる感じもしている。
勿論 心は常に模様を成して移り変わっている。
明るい情報も目に付くことが増えてきた。いつのまにか 内外の全体が短調から長調に変わっている。
信仰の大切さとは
どんな信仰もそこにあぐらをかいたら意味を失う。信仰とは ある価値を終生追い求め続けることだと 昔 教わった。
仰ぎ見ているその価値の正体は人智を超え 永久に分からないものだが 追い求めることの大切さを 宗教は教えているんだろう。
主客転倒
地球と太陽の動きの関係で言えば 天動説は主客が転倒している。
人は主体性を保ちながらも 自他の関係を転倒しては正しい認識とは言えない。
他人に礼をつくすのが 普遍的な倫理である由縁で もある。世界の国々のリーダーがこの倫理を大事にしていれば 世の中は もう少し変わっているだろう。強者が弱者に耳を傾けず自分の意向を押し通すところには平安や発展はない。
猫は悟ってる
人は誰もが幸せを求めている。しかし、実際にはその感覚や感情にムラ(斑)が出来、幸せに反するようなことを考えたり行動したりしてしまうのではないかと 思う。 家の大ちゃん(猫)を見ていると つくづくそう思う。ねこは どんな時も頭のてっぺんから尻尾の先までいつも一様でむらがない。だから可愛いんだろう。滅茶苦茶を言う権力者も優しいおじさんやおばさんの時がきっとある。
自分を問う意味
(勿論自分を含め)世界は何処も自分は正しく他がおかしい と言っているように聞こえるんだけど 果たしてそうだろうか。
ちょっとしたら自他を区別するところに間違いがあるのではないか。人と人の関係も物事の関係も 簡単に区別するほど個別にはなってはおらず より大事なのは 人や物の相互の関係を問うことではないか。
庄助さん
夏草のお風呂に入り
色づいたお風呂に入り
真っ白な邪魔けのないお風呂に入り
若葉のお風呂に入る庄助さんのようだ
年中庄助さんのようだ
今日は田中優子の市民塾
安全保障の社説 等元気を貰う記事も目に付いて ラッキー!