気付きのこつ

この季節は、よく春を探しに子供達と校外へ出かけた。 
子供達はおしゃべりをしながらゆったり歩いた。
 
頭を空っぽにできた子供が「小さな春」を見つけるのがうまかったようだ。
 現代人は知識で頭がいっぱいで目隠しされたようになりやすいから、学校でも目隠し(知識)を外す勉強も追加した方ががいい。
勿論くっつけるより外す勉強の方が難しく、
 学力テストでは測れない。



 
 
 
 
 
 
 

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崩れ、崩壊、破壊

自然、社会、人間など物事の壊れ方を一応段階的にイメージして区別してみた。崩れは見過ごされ気付かれないことがよくある。崩壊は誰もが気が付き修理復元が可能。破壊はちょっと使い物にならず作り作りかえざるを得ない、と勝手に決めた。
 地球は明らかに全体的に崩れている。所、物より崩壊し、破壊されている。
 全体的な崩れは日々進行中。
 住んだ事のある日本は崩れの先進国のようで、焼け跡を連想する。(教育は崩れの段階はとっくに過ぎ、今は崩壊の段階。人間破壊もあちこちに出て来るところまで来ている。)
 でもいい、焦土のあちこちから新しい芽が吹き出しているから。
若きも老いも、新しい芽と新しい芽が繋がり線になり面になる。
新しい芽の目印は、自己中心的思考ではなく俯瞰思考。(環境・平和・人権の順。)
 社会的には地球を視座にした産業構造の転換。
 今しばらくはこれを目途に物事を見ることにしよう。
(蛇足  だから囲碁と畑の手伝いは良いのだ!と強引に結びつける輩がいても、それが自己中心なのだ!と言う説があってもおかしくないし、あったほうが面白い。すり合わせると確実に想像はふくらみ、力が湧き元気が出る。世の中それが不足していないか?皆その芽は持っていても奥の方に仕舞い込み、自分で出せない事もあるモンね。周りの崩れに気か付くと自分の中に新しい芽が吹いてくるよ。)

  
 


 
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ある林業再生

兵庫県と鳥取県との境にある西粟倉村は平成の大合併を拒み、昔から生業にしてきた林業で自立する事を村挙げて誓い実行している、と4月19日の朝日新聞朝刊が社説で(小さな挑戦大きな意味)として取り上げていた。
関連した流通や加工面も改革し、産地直送住宅や木材加工品の商社を作り、都会の若者も積極的に雇うと言う。
小さな山里で始まった小さなグリン・ニューディール政策だ、と全国に広がる事を期待した社説だった。(私は世界に広がって欲しい)
珍しく良いニュースで良い記事だった。
 今世界に求められてる景気対策や経済対策の本来はこれだと思う。これまで日記で「産業構造の転換」と言ってきたが、このことを言いたかった。
 農業・漁業にも似た動きが出てきてるとのことだが、これは地球を視座にした次代を担う産業構造の基盤であり発展方向をも示してる。
 
この発想なら地球的に見て持続的にどこまでも発展出来るから、未来に希望が湧く。
 こんなニュースがこんなに早く新聞で見られるとは思いもしなかった。
 新しい芽はあちこちで確実におおきくなっている。
 道上正寿村長と彼を生んだ村民にエールを送りたい。
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お前の物は、俺の物

昔、日本で流行ったギャグだが、今はさらに進化した。
 日本は世界1の借金大国でありながら、貯蓄もしている不思議な国。国が気前よく景気対策を講じているが、当てにするところは国民の貯蓄以外にない。
 「お前のものは俺のもの、俺のもの(借金)はお前のもの。」とギブアンドテイクに新装したようだ。地球上に、国と国民が固く団結して世界をリードする稀有な国がある。
 その国は差引残高をチェックしないから、誰も気にせず元気?よく
 世界のスポーツの祭典をやりたいと言う。世界は未曾有な経済危機、有り難いに決まってる。本当に美しくて良い国だ。
  
 
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語順で意味が変わる

人権・平和・環境 これは近所のお寺(曹洞宗)の総本山の管長さんが世界に発したメッセージを書いて貼ってあったポスターの1文。
人間の大事なもの並べた素晴らしいいメッセーだと思ったが、何故、環境・平和・人権の順に並べなかったのだろう?
 「人は息をして空気を吸っている。」とも「空気があるから、息が出来る。」とも言える。
 思考の順序が反対になっている。
人の生きてる様を「人が生きている。」と言う言い方と「人は、生かされている。」と言う言い方があるのと同様、地球環境あっての平和で、平和あっての人権とも言える。客観的にはどうだろう?
もし後者の思考からすると、前記のポスターの1文の語順は反対になっていたはずである。
 俯瞰は後者の見方だろう。
もし、人が後者の思考順序を取っていたら世の中は全然違っていて管長さんが憂えている事もなったろうし、これからも大いに変わるだろうと思うのだが‥。
 社会的な立場や考え方以前の認識の問題だろうが、あの語順が反対だったら良かったのに‥そこが禅宗の自由闊達さかもしれないが。
お寺さんのメッセージだったから、「エッ?」と言うか「やっぱり」と言うか
 微妙なものを感じた。
 
 
 
 
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またやったドジ

40年近く前の教えた子のお母さんが亡くなったとの連絡があり仏前にお参りしようと、複雑だがいそいそと西新井へ行って来た。
 待ち合わせの時間より1時間近く待っていたけど、相手の姿が全然見えない。
 勘違いかと家に電話したが当然妻も分らない。
 仕方がないから一人でその家を訪ねた。ドアが開くので3~4回声をかけたら、
 何と、「はーい」の声が昔の教え子の声そのまま。姿を見て感動と同時に驚いた。顔が亡くなったお母さんそっくりだ。
40年前、その子はお姫様のように目がパッチリしていつもニコニコしていた。
母親は戦前からの苦労人で、歯もボロボロのいかにも(おっかあ)だった。
 娘はおっかあと言う感じではないが姫の目ではなく母親の目だった。不思議なもんだ。涙を流した後聞くと、約束は明日と言う事だから、明日も行くことにした。メモの書き違いはどうすれば良いか?
帰って妻に話すと、明日も行けてよかったね、とニコニコしてる。そりゃそうだけど、今日は曇っていて少し寒かった‥大師さんは花(ボタン)まつり。 

あそこは、 やけに懐かしく、寅さんのように人間らしさが濃い感じがする。
空気も濃いのか何となく息がしやすい。
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不安定

遠くから地球を見ていると安定してるとか、だんだん安定の方向に向かってるとは思わないのではないだろうか。それは地球のどこを見るかにもるだろうが。
地球や世界の安定・不安定を基準にして安全保障(軍事力)を見るのも面白い。
とかく、日米安全保障条約や憲法9条の枠で語られる事が多い。
 戦争や平和が社会全体の安定と関係しているとすると、上記の枠からの議論だけではない。
経済や社会・自然災害・疫病・人心や犯罪など、実際に生命を脅かし安全を損なうものは他にもある。
 人々はそれら全体の中で不安を感じ安定を求めて生きているはず。
 戦争や平和も縦割りでそれだけを取り出して議論される事が多いような気がする。将来もそうなるだろうか?
 オバマ氏は経済と戦争を並べて安定のために経済を優先して考えているようだ。
 それに比べ、ブッシュ氏は経済を犠牲にして戦争によって安定を得よとしてとしたと言えるかもしれない。昔からの古い手法である。世界はオバマ氏を大歓迎した。
 日本はどうだろう?全体的な傾向はブッシュ時代と似ているようだ。
 今、日本全体を見て、生命を脅かす不安を感じさせるものは何か?
 少子化や自殺などを見ていると戦争を最も恐れているとは考えにくい。
 どんな人も、安全第1だから政治はより恐れているものから優先して手を打てばいいのに。
 そうすれば政治への信頼は違ってくるかもしれない。
 自分の安全や安心に無関心な人がいるはずがない。


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時代劇【時代錯誤】

地球のホモサピエンスは何をやってるのかのう‥。どうも分らない生き物だ。
 もうここ40年、青い地球はもやがかかりどんどんおかしくなっていと言うのに、
 相変わらず景気対策だの何だのといって、ますますもやをがふえている。
あんな子ことやっていてホモサピエンスは生きられるのかなー?
 
オーッと、慎太郎さんが東京でオリンピックをやりたいんだって?
 東京のリーダーは、何んでも、元気があり成熟した東京を世界に見せ、日本をアピールしたいらしい。
 このイベント【祭り】は日本に大きな経済効果をもたらすとか‥も言っている。しんちゃんは子供や若者に夢をと、歴代のメダリストたちを並べ、税金をたっぷりかけて、先頭にたって旗を振っている。(お前の趣味か?)
 やっぱりおかしい。あれで地球のもやが少なくなり青い地球が広がるか?
 世界が日本にお金を落としても、コンパクトに実施したとしても、借金国日本はこでまた膨大にお金や物を消費する。
 1960年代までならこのリーダーの発想もしかたない。外から地球全体を見た人いなかったのだから。
 しかし、いまは地球にもやが増え続け、景気対策
 をする度に経済や地球が崩れてる。
 お前達はどうしたいんだ?
  東京の知事さんも、太陽の季節は55年前、今は異常気象の時代だよ。
  時代の変わり方は早いから昔感覚ならなら最低500年は遡らなくてはならない。
  風か柳か、しんたろさんんは、ちょんまげ結って刀を振りかざし【われこそは!日本のシンタロ、ナリ!】と息をまく。時代劇の舞台と間違っているようだ。
 また、テレビにも顔を出し、我こそは!シンタロナリ!出合え、出合え!と啖呵切りそうだ。
 あいつの時代劇には飽きが来てるのに。テレビ局は好きじゃのう!
 
 
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発達障害児を考える会に参加して

昨日、市内にある発達障害児を考える会にはじめて参加した。
お母さん方の集まりで、皆元気で明るく、率直な話が生で聞けてよかった。
 社会的には未知の領域であり、社会的な背景があることも夫々が述べていたようだった。自分の経験や実感ともほぼ一致し、学ぶのにいいところを見つけたと思った。
 あのように明るく言葉に出来るようになるまでいくつもの葛藤を越して来たに違いない。
 自分が学んできた対応への到達点は、≪子供から学ぶ≫だが、昨日は話さなかった。
 タイミングを考えてかみ合わせようとおもう。
 言葉上は否定の仕様がないからそれだけに「そうだ」と合点しても、中身が滑りかねない。
 おかーさん方の話を聞いて夫々の経験や感性が出される中で、私の経験や感性が位置づくこともあるだろう。学びは最終的には擦り合わせ、長い経験をしてきたから逆にたたきわったり、押し付けたり、否定したりして土足で踏み込みかねない。自分に言い聞かせ、慎重に学ぼう。
自分が先生などと言われて経験者面して物を言い、そういう自分をコントロールできない時は、学びは【失格】だから、気が付いたら自ら退場しようと思う。その時はお寺へ行って坐る。
 年とったドジはやることが単純明快で面白い。
 
 
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大きくなーれ!

勝っても負けても、選挙戦をするより後の振り返り(まとめ)の方が難しいに違いない。
 授業でもスポーツでもそうだが、力のある人はたいてい本番後の振り返りがしっかりしている。
 個人的なことでも目を逸らし、まともに自分と向き合えず俯瞰できないことはよくあるし、まして他人と共同してする仕事に向き合い俯瞰する作業?は難しい。
下手すると  非難しあったり、(無難だと)口を閉ざしかねない。
 
 何故か?
 元々自分も構成するメンバーの一人ひとりも立場や価値観が他と異なっていることを軽く見て(  )で括るからではないだろうか?
 乱暴だったり安易な振り返りは伸びるチャンスを逸しかねないからあくまでも丁寧さが求められる。
 一つの仕事を終えて、ただの一人もこぼれることなく、互いに擦り合せて磨き、新しい力を得て、次に飛躍できればいいなー。
   地球に育つ新しい芽よ!大きくなーれ!だ。



 
 
 
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