不正献金問題と世論調査

やっぱり、小沢氏の不正献金問題の検察ややマスメディアは
総選挙対策で 小悪を大悪が叩く構図が浮かぶ。
特に民主党や小沢氏を応援するわけでもないし、不正なら叩けばいい。
 検察が法律上での処置とするなら、誰が考えても政権与党にお金が多く流れていると考えるのは常識だろうし、実際大臣などの個人名も挙げられている。何故他は免ぜられるのか?
 メディアが個人の失策を国益上として指弾するなら、国や国民に対し今日に至った何倍もの
 失政を報道し糾弾するのは当然ではないか?
 社会的正義も不正も部分を摘出しても意味がなく社会全体を見て論じ、処理すべきではないか。さもないと、大きな不正が小さな不正を叩き逃げられる。
  これでは、やくざ映画か時代劇になる。
 
 これまでの経過は何か解明に必要なな情報がずーっと抜けている感じがして、
 田中角栄氏の時を思い出し、国内問題では済まない物が思い浮かんだ。
 特命を受けたような検察の動きとメディアのヒステリックは報道振りが特に気になる。
 これだけ問題だと言うなら、やるのは人間だから政界全体に拡げて全容解明に動き根を絶つべく動くはずである。それをやらずに検察は説明を避け、メディアは世論調査をし、支持率の変化を流して何になる?それがどうして全容の解明や根絶に繋がるだろう? 政局的、党派的過ぎないか?
思惑通り、(世論)は変わり与党は喜び、批判派はそれに乗る。
 
不正献金問題は聞きなれているが、検察やメディアの動きは気持ち悪い。
   
   小沢氏の代弁者や、本格的に全容解明を主張する人々が出てこないことも不思議。
 「世界は不正が不正を生む構造なのか?」と 天道様が言ってるかも知れない。
   騙すにも限界があるだろうから、踊るのは勿論可笑しいが、踊らされる事も悩む事もない。
  でも、小沢氏はその葛藤の中にいるようだ。
   時代の端境期は色んな事が起きる。
  

 
 
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新しい状況に適応するために避けられない感覚との戦い

国の内外を問わず、まだまだ格差は拡がるだろう。しかし物事には限界があるから、ちぎれるわけにもいかない。その時、軌道は競争から共生・共同へと向かう。今の経済をはじめとした社会的機能が
本当の意味で限界を感じた時だろうから、価値感や文化の転換と軌を一にする。
 
ところで張り切って出かけた首相はASAN関連の首脳会議も中止になり、急遽帰ってきた 。
 日本は東アジアの中にあって、いち早く欧米文化を取り入れ先進国の仲間入りを果たし、GDP世界第2位、総貯蓄1400兆円の経済大国?で今日に至っているが、これからの日本の立場はどうなるだろう?
 世界が多極化・無極化する中で、経済的には守旧的な欧米を新興国が追い上げる形になる。日本は貿易立国だから、どうしてもその流れにも乗らざるを得ないが
 周囲の国を【第3国】としてきた伝統的な行動様式も変えざるを得ない立場になる。
 その辺の識者?やリーダーの感覚がどうなのか気になることが多い。
 一言で国益と言うが、視座やどこを見て言うかにより全く異なる。
  いずれにしても、世界第2位の経済大国と自称し傲慢な態度は世界も東アジアでも通用しない。
  足元を見られるだけ。
啖呵を切って出かけ、酔っ払って記者会見するなど
  行儀の悪さ以前の国の外交の立場や感覚が問われる。
  これは1大臣の問題として他人事に終わらせたようだが、否が応でも歴史の中で肌にしみこませた感覚との戦いは、今後我々一人ひとりが避けられない。
 
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どうするんだ!

今、投票して帰ってきたところだが、自分にとっての選挙は既に終わった。
市長選ミュージカルの1幕も終わった。勝ち負けの結果はある意味でどうでもよく、このミュージカルが新しい小さな芽が大きくなるために、後に繋がるかどうか
にだけ関心がある。結果はどうあれ、何が良くて何が拙かったかのまとめを、時間をかけても丁寧にやればいいと考えている。それがこのミュージカルの実質的な第2幕の幕開けであり、逆にこれ無くして表面的な当・落の結果は意味がない。
 何故なら、ドラマの舞台は、地球であり、世界であり、日本であり、これからの子供達の未来に向けて長く長く続くのだから。
 何れにせよ、その壮大なドラマの1こまに過ぎなく、本当のミュージカルにするかどうかは一重にこれからどうするかにかかっている。

 目の前で、NHKの政治討論会をしている。
 昨日書いた(私の描いてる)筋書きの中で討論を見ていると、自民党から共産党まで、司会者も含め「そんな事を言っていて大丈夫?」と率直に思う。
 経済を語るのに、稼いだお金をどう分けるかの論議ばかりで、どう稼ぐ【仕事をするか】かの
 前提がない。
 何れの党も、景気対策といっても、(以前日記に書いたように)経済対策どころか将来の経済を弱体化させ、ツケを先【子供達】に回すのを(どなたも)気にもかけない。
 経済や国民生活が今日に至った原因を明らかにして、制度的な改善を図れという野党も、緊急政策、中期、長期の経済対策の言葉を駆使する政府与党の何れも、景気対策と経済対策を混同している。
 テレビの中だけなら良いが、日本が際立っているとは言え、大雑把に言えば、国を超え世界が同じように指向している背景もある。
 
どっからか「おいおい、よく見て見れよ、地球の上で何やってんだ?
  皆、地面に立ち、空気を吸って食を取っているのを忘れたか?」
 
小さい声で  「地球ミュージカルは、始まったばかりだよー。」
 
どこからか 「どうするんだ!本当はどうしたいんだ!」の声が、優しく聞          こえてきそう。
 
少し大きな声で 「このままじゃ寂しいよな!」の答え。
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本物かどうか、理かなっているかどうかが問われ始めた

こんな事昔から問われているに決まっている。しかしこれまで、ヒトビトのすることは必ずしもそうではなかった。反対に権威やお金、資格、学歴、身分や立場‥等の
本物や理とは別の社会的な立場や位置がより尊重されてきた感があった。
黒人のオバマ氏が世界のトップリーダーになったのはその意味で新しい時代の象徴出来事と言えるかもしれない。
それが、特別な事だけでなく、日常的な身の周りの出来事や人間関係に至るまで、問われ始めて来た感じがする。
 権威やお金など理とは別のものを挟んでいる余裕がなくなって、割と早く結果が証明する時代になってきた感じである。
 例えば景気対策が経済対策にならないことは誰の芽にも明らかになる日は遠くないし、丁寧に検証すれば現時点でも不可能ではないはず。
 子供の学力と学歴?をつけいいところに就職させ子供を幸せにすると言う、現在の行動様式のほころびは既に出ているが、誰の目にもとはなっていない。
 しかし、今回の経済危機で、20~30代の不正規雇用やリストラを見るまでもなく、これまでの行動様式の理のなさをまざまざと見せてくれている。
 経済競争の激烈さは、見かけではない本物でしか勝負が出来ない所に来ている。
 だから、子供を持った親は逆算した方がいい。
へんてこな学力や学歴より健康や体力は勿論だが、総合的な人間力、コミュニケーション力、直感力、想像力  ようするに本物に育てる事。
 (病気や障害は本質的にはハンディではない。)

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望外の喜び

ドジは 高校を卒業してから、(向こう三軒両隣)的な近所づき合いは諦めていた。時代の変化もあったし、忙しくて余裕がなかったせいもある。
 近所付き合いは退職してからの希望だったが、やろうとして出来るものでもない。
 でも、7年たって気が付いてみると思っていた以上にうまくいっていた。
近所の人との気持ちのいい挨拶は殆どだし、世間話や談笑する人も沢山いる。その上、 我が家にはスズメや山鳩と一緒に近所の男の子がエサやりを手伝に毎朝来てくれる。
 満足!満足!これなら 落ち着いてここに住みつける、とドジは納得し、
今回の「市長選ミュージカル」とも綺麗に噛み合っていると思った。
 
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あの感じは、近くも無いが遠くもない

地球のヒトビトを見ていると、昭和18,9年の日本と似ていないかと思う。
 根拠といっても、その当時ドジは3~4歳だから殆ど記憶は無く、戦後の経験や印象、得た知識などから全体的だが何となくとしか言いようが無い。
 あの頃、日本は武力戦争に突き進み今は世界が経済戦争に突進中。
 
 いま思えば、あの戦争は日本に勝ち目は無かった。今、進行中の経済戦争は結局は地球相手だから勝ち目があるとは考えられない。
 中でも日本はあのころの様に国はあちこち崩れ火の車、借金は雪だるま、犠牲や被害を出しながら大本営発表を信じて戦い続けている。
 忘れれられないのは、戦争に負け全面降伏した後の日本。
 青ぱなをたらした子どもだったが、貧しさと共に開放感と将来への希望が溢れているのを何となく周りに感じていた。
 あの透き通った青空を見るような時代が再び来るのは早くは無いが、そんなに遅くもないような気がする。
 その時、これまでの【現在の】文化や価値観、とりわけ産業構造から新しく転換することを余儀なくされ、子供や教育、政治・経済や戦争も自然を軽視できない時代が来ると思う。
 物質が氾濫する今の感覚では物不足を感じるカも知れないが、人々が生きるための希望と、確かさを手に入れるから、虚ろな目は再び輝きはじめる。
 その境目であの時代と同様、国は増税どころか半端でないインフレを経済対策として実施するだろう。
 これも新しい持代を生み出すため仕方ないかもしれないga,
 
国も国民も喜んで景気対策(借金)をして子や孫にツケを回してる。


 
そんな筋書きが思い浮かんだ。
 

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経済と景気の混同

地球上のヒトビトは、全体的に経済と景気を混同し始めたようだ。
 先のG20の世界経済建て直しの合意事項、それに呼応した日本政府の10兆円の景気対策、ここに至っても、箱物作りやイベント的発想を優先したこの町の地方政治。家計や常識では考えられないような事が、社会のシステムとして動き出し止められないでいないか?

普通、経済力と景気は将来に対する経済活動に対する可能性と、現在の経済活動の状態とを区別して使われていないだろうか?もしそうだとすると、国債発行してまでする財政出動や金融の量的拡大はツケを将来いに回すのだから景気は良くなっても将来への経済力は減退するはずである。
 体力をつける運動なら良いが、へとへとになって体を動かすと、体力はダウンする。
 勉強をして、益々勉強する気になれば学力がついたといえるが、勉強して今回は仮に100点取っても勉強や学ぶ事が嫌いになっては学力がついたとは言えないのと同じ。
 日本は1950~60年代に高度経済成長したと言われてる。
 そうだとすれば、それ以前に経済成長する可能性の力を持っていたことになる。
 今、日本の経済規模は当時と比べ物にならないほど大きい。
 その当時、日本は借金もしていなければ、人々は総じて将来に希望を持っていた。公害は言われても、地球の異変や資源の枯渇まで今ほど問題にはならない中で経済成長を遂げた。
 現在は日本だけでなく世界中が景気対策がと経済力を犠牲にした形になっている。
 今の地球環境の中で、景気と経済が矛盾しない形の対策が求められているのではないか?
 今は、ごちゃ混ぜの感じがする。
 産業構造を転換する以外に考えられないが‥時間がかかりそう。
 ≪角を矯めて牛を殺す。≫ 

   

 
 
 
 
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初体験

昨日、市長選挙で支持している候補者の街頭演説の弁士?をやった。
 お昼近くに、何か手伝う事でもあるかと、ぼけーっと選挙事務所へ行ったら
 宣伝カーが帰って昼ごはんを食べている間、回って弁士?をやってくれないかと突然頼まれた。ごちゃごちゃやるのもなんだから、声がかすれている事と、勝手に喋って良いかを確かめてやることにした。
 3~4箇所でやった。やっぱり教室とは勝手がちがったが、マーマーかと思った。今日も頼まれ,昨夜、構想だけは練ったが途中でやめた。授業もそうだが、あんまり考えると、逆に実際はそれに縛られ旨くいかないものだ。
 この歳になって初めての経験だが、人生だからまーまーではないかな?
 2~3日前、公園へ行った時のこと。
 30代のお父さんと、2~3年生の坊やがキャッチボールをしていた。
 段々体が思うように動かないのを感じていたのでそれを確かめるつもりもあってそのお父さんに、「1球だけ投げさせてくれる?」と尋ねた。
 すると、そのお父さん、黙ってグローブをはずし、子供ところへ寄っていった。
 きっと、息子に「1球、受けてやれや!」ぐらいを言いにいったのだと思って見ていた。すると、その親子、そそくさと荷物をまとめて、引き上げていった。
 その間、私には全く無言だった。
 〈オットット)と言う感じだった。
  世の中どこで何がおきてもおかしくない。あのお父さんもそう思っていたのだのだろうか?
 あの男の子にあの場面はどう映っただろうか? やれやれ。
 選挙に関わって外へ出てみると、初体験や変わった経験をするものだ。それはそれでいい。
「ドジーはようやるのう、自分を褒めてやりたい! のう‥ のう」〈あの世で見ている親父やおふくろ)
 
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情報と実感の乖離

市長選で旧知の一人の候補者の選挙を手伝って駅頭でビラを配ったり宣伝カーを運転したりしていて感じる事がある。普通に暮らしている大多数の人々の意識は政治や選挙どころではなく、メディアの言葉で言えば「無関心・不信感」かもしれないが、とにかく現実の政治からは可也はなれたところにいるなと感じる。
 無関心であったり不信感を抱いた人々のせいというより、ちょっとしたら当たり前かな?と思った。
 原因が、日々の生活が忙しくそんな事に関わってていられないかもしれないし、
政治に関する情報が現実生活とはかけ離れたものに感じたり、政治で良い思いをした実感が無いからかもしれない。
 それは与野党や党派が差異を大言するほどのものではなく、ニューアンスの違であり、政治以前の社会の仕組みや全体的な文化の問題が横たわっており乗り越えられないでいるのかもしれない。
 仮にどこかの熱心な支持者であっても、意識や行動と実感は大きく乖離しているかもしれない。一致していると考える方が難しい。
 麻生総理ではないが、郵政民営化は本音は賛成でなかったと言うように政治家そのものも言ったりやったりしている事と本音が違っている。それが普通かもしれない。自然な行動が取リにくくなっていないか?
 人々は全体的に心と体が分離し、情報と実感が分離し乖離して来ているかもしれない。
 今の仕組みやメディアで刷り込まれた情報で、自ら手足を縛り、他人の手足も縛っていないだろうか?
 そんな網をかいくぐって内側から湧くように出てくる力が次代を担う新しい芽なのかもしれない。
 選挙の勝敗や当落よりそこにどうしてもそんなところに目が行く。
 世界が閉塞し混迷しているからこれも自然なのかもしれない。
本来は政治もメディアも教育も実感と情報〈体と心の)一体化を求めるのだろうが、実際はそうは行ってない。
 しかし、地球や自然はそんなに人間中心、自分中心には出来てはいないから、そんなに心配する事はない、復元し調整するように出来ている。
 
この3日間、日野市は春もうららで桜が満開。
今日は8時を過ぎた頃、スズメや山鳩と一緒に庭に近所の男の子も遊びに来た。子供だと、スズメも大して警戒しないところが面白い。
 地球も人間もスズメも色々やっているんだなー。
 
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G20、財政出動500兆円の間違い

G20首脳宣言で、500兆円の財政出動を決めた。
 各国の景気対策も同様の発想で行われる。
 これで、経済の持続的発展、本格的な発展を期待すると言う。
 この経済対策は経済そのものの体力を損ない、劣化させることは日本も世界も十分経験済みなのに修飾語までつけ宣言する地球人のやることはよく分らない。
 応急措置の輸血はある程度仕方がないが、輸血で本格的に体力を回復することは出来ないだけでなく体力は消耗する。景気は回復し、経済は崩壊に向かうはず。
 今回の世界経済の危機の中で、日本は利下げや財政出動の余地は実質持っていなかったが、
 次回は先進国の殆どは日本同様、対策の手を大幅に失うに違いない。
 それでもやるのがヒトビトが持っている文化や知恵の現在の到達点なのだろうか?
 地上に次の時代を担う新しい芽が出てきても、これまでの古い伝統的な価値観や行動様式で押しつぶす。
 世界もこの町も、立場を超えてそれをやっていないだろうか?
 現在の文化〈政治・経済・社会・文化)が細分化され総合性を欠いたた専門家?
の力によってつぶされ壊されてきたのに‥そのまま、未だ続く。
 でもそれでも負けずに出て来る芽が、新しい時代の本当の芽なのかもしれない。
 
 
 

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