世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
固定化した空間意識
世界の全体的な現状を認識することなく、部分的に経済や争い事が情報化され論じられていては 問題の解決は難しい。
論者の固定化した空間意識の狭さが為している業だろう。
伝統的な空間意識はに拡げられるものではないが、状況によって変化するのは自然且つ道理。 今は(自然と道理)に逆らい空間意識を固定化している。
世界の現状認識
社会の経済力を高めるべく地上の自然や原資に限界を見せ始めているのではないか。
検証できる一部の識者はそのことを認識するも 社会に組み込まれたマスメディアは 社会を維持させるためにそのことはまともに報道されず、多くの市民も認識することができないまま 社会的には 満足な手だてが構じられないまま推移している。
国家によって多少の差はあるものの、現在 私たちは そういう状況下で生活しているんだろう。
第3極から見た世界
搾取されて来た歴史を持つ第3極の目に 世界はどう映っているだろう?
対等な国際関係を望んでいながら、道は遠い。
歴史的には 搾取されて来た第2極ーと共有するところもある。
このような国際関係の中で 経済力の劣るアフリカはオリンピックをただの1度も開いたことが無いが、この事自身がオリンピックの意義を貶めている。
これはアフリカの問題ではなく人類の世界認識の問題だろう。何年も。生きられないだろうが、アフリカでのオリンピックをこの目で見たいと思う。せめて人るいは世界を共有してほしい。その証として。
時代が決定
多くの人が望んでいた社会とは かけ離れた社会になってしまった。
あたかも社会が 壊れてしまったかのようだ。
かつては聖書の「予定説」が説かれた時代もあったが、今は 自然科学的な作用による時代転換が人為的な発展を乗り越えて進み始めたようだ。
今後さらにこの流れは増幅し、時代転換の主流になるだろう。
それによって現在の国際的な紛争や経済の行き詰まりも 一応解消へと向かうだろう と期待している。
どうしたいの?
パンデミックが完全に収まっているわけでもない。
世界はインフレ経済で先行きが見通せない。
そんな中で人類は 世界を2分するような戦争をしている。
人類は何を望んでいるのか? どうしたいのか? 人間であるはずの「私」は解らない。
先ず、やるべきこと
ロシアとウクライナの武力紛争は どこの国家からも国際機関からも「停戦」の声すら掛からない。常識的には一般市民の多くは即座に「停戦」を望んでいるだろう。
多くの市民の望みは 何処の国家や国際機関 民間のマスコミからもからも声は上がらず、無視され蓋をされているかのようだ。
人類が長い歴史の中で作った世界は この程度の世界でしかなかった。
忌まわしい戦争を「先ず、止めて!」の声が今どうなっているのか、一人一人が問われているんだろう。
埋め尽くされた情報空間
ウクライナの反撃が始まったようだ。
戦闘は一段と激しさを増し、何が起きるっか見当もつかない。
しかし より危険な自然災害や世界的経済不況が 今後どうなるか?はより深刻だろう。
必ずしも報道はその体制ではない。むしろ政治や経済から目を反らした観光や美食 お笑いや サスペンス ・・何より 物を売り込むコマーシャルが私たちの情報空間を隙間なく埋め尽くしている。
価値観のズレ
昨日、皆で是枝監督 の映画「怪獣」を見て来た。
国際的な賞をもらった有名な映画らしかったが、周波数が違うんだろう 私は、開始早々居眠りを挟んで見てしまった。
私が時代に遅れたのか 映画が時代に遅れてるのか 私にとって「名画;では無かった。
目立たぬが 拡がりつつある目覚め
世界の経済はきちんとした対策なしに 限り無く下降の道を辿っている。
「世界的インフレ」 と嘆きながら競争原理が優先され、抗えない自然災害か激化しても、戦争をしても、自分の身の危険を感じない限り、歩を緩めないのかもしれない。
しかし、目立ちはしないが 市民レベルの目覚めは 拡がりつつある。
発想の転換の難しさ
世界経済は 極悪の環境下で1990年頃を想起させる史上最悪な不況経済に陥っている。
従来繰り返してきた不況とは全く次元の違う内容が原因している。それは 地球が持つ避けられない限界にある。
そのことに気がつきながら、人類は社会の構造的な転換(発想の転換)が出来ないでいる。
« 前ページ | 次ページ » |