世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
大きな1っ歩
「世界」が基本的に好ましい方向に変化していることは喜ばしいが、変化が遅くまどろこっしく感じられるのは、人類が自然の理と公正さをないがしろにした社会を形成してきたことが原因しているに他ならない。
しかし、このことが社会的に認識されちょうせい改善される日が近づいていることも明示されてきた。世界が見えやすく事実の認識が容易になってきた。改善への大きな「1っ歩」を踏み出した。
情報の自由化
一方的に縛られるマスコミ報道に 最近はネット報道が加わり報道が解放されてきた感がある。今後の「世界」を占う最も大きな変化だろう。
出口の見えない行き詰まった「閉塞社会」といわれるが、そこから抜け出す最大の社会的ツールになるだろうと思われる。
この世が天国
実際は この世が天国なんだと思う。
全てが整っているわけではないけれど、だから天国を完成する楽しみがある。こんな天国がいつまでも続いてほしい。
昨日より今日 今日より明日 これが永遠に続くこの世は天国だった❣ この認知に問題があるだろうか? 実際は 人それぞれなんだろうな・・・・
拘りからの解放
人が自由を失うとき 外部から疎外されるときと自らが自分を縛り結果的に失っているときがある。
世界の紛争もある意味で自由を各tぽくするためのものだが、大義名分おかげに、それを見ることがある。本当の(自由)が描けていないように見えることがある。
拘りからの解放
新たな変化に適応するには 過去のこだわりが障害なることが多い。
新たな技術を習得する場合も悪い癖が新たな習得を邪魔することがあり、筋の良さ悪さが問題になることもある。
世界の成長率の変化がしりたい
世界全体のトータルしたGDPの変化が知りたい。予想としては3=4ぐらいだろうと思うが、減少傾向ではないか?
錯覚
錯覚 だまし絵 画家の名前は忘れたが キリストと時代の異なる風俗の人物が同一画面に絵が描ている広場
有名な絵画に錯覚を促した絵がある。
特別な絵画だけではなく錯覚は いつの世も どこにも存在する普通のことではないだろうか。世界はかなり行き詰まっているようだが、いくつかの錯覚に気が付けば 解決するものもあるにちがいない。とりあえず 人類と自然を区別して活動している様は 人間中心の錯覚ではないだろうか。
意識化
目の前の一面的な事象に捉われ全体的な意味を見失ったとき 問題の解決を困難にする。人類は自らそれをやっているかのようだ。
戦争 経済の不振 自然環境の悪化 人心の乱れ これら長きにわたる現象を止められずにいる。部分的には意識化はされても全体的な認識として意識されていないからに他ならない。
通底した自然環境と人類
「環境」は読んで字のごとく 「人類」を内包した言「言葉ではない。しかし 「自然環境」としてとらえるなら通底し、一体のものと言えまいか。現代社会には対峙した弊害が 出てはいまいか?少なくても2者の関係を吟味する必要がありはしないか。
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