「今日、初めての還暦を迎えまして・・・」と言ったのは長嶋茂雄氏だったが、私事ながら先週、その還暦を迎えた。60歳を機に現役を引退し、悠々自適の第二の人生を歩むといえば様になるが、疾うに第一線を離れた自由業の身ともなれば、それにより仕事や環境が変わるわけではないし、生活サイクルも同じだが、大きな節目を迎えるのは感慨深い。赤い頭巾とちゃんちゃんこが不思議と似合う。
さて、エリントンは還暦のときにどんな音楽に取り組んでいたのか。1899年生まれなので60歳というと1959年である。59年といえばマイルスのカインド・オブ・ブルーが出たジャズにとってメモリアルな年だが、エリントンは小編成のコンボで録音に臨んでいる。それもエリントニアンは盟友のジョニー・ホッジスだけで、ベイシー・バンドのハリー・エディソンとジョー・ジョーンズ、そしてモダン期のサム・ジョーンズ、レス・スパンという組み合わせが面白い。さらに選曲は両バンドのお得意曲ではなくブルース曲ばかりである。活躍したバンドや方向性は違えど基本は同じである、というエリントンならではのアイデアだろう。
名手が揃っているだけありどのブルースも味わい深いが、ルイ・アームストロングが十八番にしていた「ベイズン・ストリート・ブルース」が素晴らしい。力強いピアノのイントロから艶のあるアルトと張のあるトランペットが呼応するテーマ部分は、ビッグバンドで鳴らした花形だけが持つ華やかさで彩られているし、メリハリが利いた長めのソロは小コンボという編成ならではである。「私の楽器はオーケストラだ」と語ったようにエリントンは自身が弾くピアノさえもそのオーケストラに溶け込ませるが、このアルバムはピアニストとしての側面もそのソロでたっぷり味わえる貴重な作品ともいえる。
「back to back」はジャケット写真のように「背中合わせ」という意味だが、「引き続いて」という意味でも使われる。エリントンはこの後、フランスの批評家アンドレ・オデールに演奏をもって反論した「ポピュラー・エリントン」や、大作の「極東組曲」、「ニューオリンズ組曲」に挑む。還暦だからといって立ち止まらず常に前進するエリントンに見習いたい。引き続き拙いブログを書き続けて10年後に「70th Birthday Concert」を話題にしたいものだ。
さて、エリントンは還暦のときにどんな音楽に取り組んでいたのか。1899年生まれなので60歳というと1959年である。59年といえばマイルスのカインド・オブ・ブルーが出たジャズにとってメモリアルな年だが、エリントンは小編成のコンボで録音に臨んでいる。それもエリントニアンは盟友のジョニー・ホッジスだけで、ベイシー・バンドのハリー・エディソンとジョー・ジョーンズ、そしてモダン期のサム・ジョーンズ、レス・スパンという組み合わせが面白い。さらに選曲は両バンドのお得意曲ではなくブルース曲ばかりである。活躍したバンドや方向性は違えど基本は同じである、というエリントンならではのアイデアだろう。
名手が揃っているだけありどのブルースも味わい深いが、ルイ・アームストロングが十八番にしていた「ベイズン・ストリート・ブルース」が素晴らしい。力強いピアノのイントロから艶のあるアルトと張のあるトランペットが呼応するテーマ部分は、ビッグバンドで鳴らした花形だけが持つ華やかさで彩られているし、メリハリが利いた長めのソロは小コンボという編成ならではである。「私の楽器はオーケストラだ」と語ったようにエリントンは自身が弾くピアノさえもそのオーケストラに溶け込ませるが、このアルバムはピアニストとしての側面もそのソロでたっぷり味わえる貴重な作品ともいえる。
「back to back」はジャケット写真のように「背中合わせ」という意味だが、「引き続いて」という意味でも使われる。エリントンはこの後、フランスの批評家アンドレ・オデールに演奏をもって反論した「ポピュラー・エリントン」や、大作の「極東組曲」、「ニューオリンズ組曲」に挑む。還暦だからといって立ち止まらず常に前進するエリントンに見習いたい。引き続き拙いブログを書き続けて10年後に「70th Birthday Concert」を話題にしたいものだ。