CATVの<ムービープラス>で放映を観た。DVDで酷いハリウッド映画を観た後の口直しになった。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009X59K4/
往年のハリウッド映画『草原の輝き』のようなボーイミーツガールの恋愛映画と思いきや、ノア(ジェームズ・ガーナー)とアリー(ジーナ・ローランズ)の老年夫婦が若き日の2人を回想する仕掛けに手が込んでいる。
認知症となって、ノアさえわからず老人医療施設で暮らすアリーに、ノアが二人の物語を書いたノート(原題THE NOTEBOOK)を少しずつ読み聞かせていくのだ。ノアには二人の大切な想い出だが、アリーは見知らぬ男女の美しい恋物語として聴く。ノアにとっても、実はアリーを取り戻す出逢いかもしれない。5分ごとにアリーはノアから遠く離れてしまうからだ。アリーの症状の進行に胸ふさがれる思いに耐え、飄々とアリーに接するノアだが、それだけは隠せない切実な眼差しがたまらない。けっして眉根を寄せないジェームズ・ガーナーの軽みが活きている。沈みゆく夕日に寄り添う二人は、ノートに書かれた、すべてが光輝いていたあの夏の日々に戻っていく。
まだ少年少女だった二人の出逢いから歓喜の日々、悲しい別れ、再会を演じる、若き日のノア(ライアン・ゴズリング)とアリー(レイチェル・マクアダムス)が、大物老優二人に少しも負けていない。とりわけ、レイチェル・マクアダムスの南部の娘らしい開けっぴろげな笑顔と肢体。子馬のようにノアにまっすぐ駆けつけ抱きついてゆくアリー。わき目もふらぬ一途な思いを小柄な肢体から発散させて、すばらしい躍動感がある。そのすぐ後に、別れが訪れるなどとても予想できない。
恋愛映画の醍醐味は、非現実的な出逢いの鮮烈と、きわめて現実的な別離の残酷にある。認知症という深刻な現実を振り子に、幾たびもの出会いと別れを繰り返させたところに、この恋愛映画の成功の鍵がある。それはつまり、時間が止まったかのような恋の瞬間と、時間に育まれたような愛の持続を、ともに慈しむ永遠(とわ)の視線をこの映画が持ったということだ。そこでは、不可逆に進行する認知症さえ、出会いと別れの輪廻として奉仕しているようだ。したがって恋愛映画の基本パターンのひとつに数え上げられる「難病もの」には、この映画は入らない。ここでは認知症は病気というより、老いの象徴であり、老いてともに死ぬことを「愛の奇跡」として完結させた、滋味深い老人映画ともいえる。
音楽の趣味がまたよい。Billie Holidayの名唱"I'll Be Seeing You"、Duke Ellingtonの"Alabamy Home"、ChopinやBeethovenのピアノ曲が配されている。Billie Holidayの"I'll Be Seeing You"は「また逢えたわね」と女が男に甘く語りかけている風情だが、最後に挿入されるJimmy Duranteの"I'll Be Seeing You"は男っぽくかき口説く対照の妙がある。
Billie Holiday "I'll Be Seeing You"
監督は、ジーナ・ローランズの亡夫にして、ニューヨーク独立愚連隊の雄だったジョン・カサベティス監督の息子のニック・カサベティス。ジョン・カサへのリスペクトか、大物サム・シェパードがノアの父親役でちょっと出ている。
(敬称略)
往年のハリウッド映画『草原の輝き』のようなボーイミーツガールの恋愛映画と思いきや、ノア(ジェームズ・ガーナー)とアリー(ジーナ・ローランズ)の老年夫婦が若き日の2人を回想する仕掛けに手が込んでいる。
認知症となって、ノアさえわからず老人医療施設で暮らすアリーに、ノアが二人の物語を書いたノート(原題THE NOTEBOOK)を少しずつ読み聞かせていくのだ。ノアには二人の大切な想い出だが、アリーは見知らぬ男女の美しい恋物語として聴く。ノアにとっても、実はアリーを取り戻す出逢いかもしれない。5分ごとにアリーはノアから遠く離れてしまうからだ。アリーの症状の進行に胸ふさがれる思いに耐え、飄々とアリーに接するノアだが、それだけは隠せない切実な眼差しがたまらない。けっして眉根を寄せないジェームズ・ガーナーの軽みが活きている。沈みゆく夕日に寄り添う二人は、ノートに書かれた、すべてが光輝いていたあの夏の日々に戻っていく。
まだ少年少女だった二人の出逢いから歓喜の日々、悲しい別れ、再会を演じる、若き日のノア(ライアン・ゴズリング)とアリー(レイチェル・マクアダムス)が、大物老優二人に少しも負けていない。とりわけ、レイチェル・マクアダムスの南部の娘らしい開けっぴろげな笑顔と肢体。子馬のようにノアにまっすぐ駆けつけ抱きついてゆくアリー。わき目もふらぬ一途な思いを小柄な肢体から発散させて、すばらしい躍動感がある。そのすぐ後に、別れが訪れるなどとても予想できない。
恋愛映画の醍醐味は、非現実的な出逢いの鮮烈と、きわめて現実的な別離の残酷にある。認知症という深刻な現実を振り子に、幾たびもの出会いと別れを繰り返させたところに、この恋愛映画の成功の鍵がある。それはつまり、時間が止まったかのような恋の瞬間と、時間に育まれたような愛の持続を、ともに慈しむ永遠(とわ)の視線をこの映画が持ったということだ。そこでは、不可逆に進行する認知症さえ、出会いと別れの輪廻として奉仕しているようだ。したがって恋愛映画の基本パターンのひとつに数え上げられる「難病もの」には、この映画は入らない。ここでは認知症は病気というより、老いの象徴であり、老いてともに死ぬことを「愛の奇跡」として完結させた、滋味深い老人映画ともいえる。
音楽の趣味がまたよい。Billie Holidayの名唱"I'll Be Seeing You"、Duke Ellingtonの"Alabamy Home"、ChopinやBeethovenのピアノ曲が配されている。Billie Holidayの"I'll Be Seeing You"は「また逢えたわね」と女が男に甘く語りかけている風情だが、最後に挿入されるJimmy Duranteの"I'll Be Seeing You"は男っぽくかき口説く対照の妙がある。
Billie Holiday "I'll Be Seeing You"
監督は、ジーナ・ローランズの亡夫にして、ニューヨーク独立愚連隊の雄だったジョン・カサベティス監督の息子のニック・カサベティス。ジョン・カサへのリスペクトか、大物サム・シェパードがノアの父親役でちょっと出ている。
(敬称略)