渡辺京二 平凡社ライブラリ
読みはじめたばかり。断定を恐れない剛直な文体がいい。江戸時代を「日本文明」と高唱する違和感さえ越えられればだが。まるで「インカ帝国」を祖述するように霧深い「日本文明」像という印象も持った。
ほかに、『日本人のための歴史学』(岡田英弘 WAC)、『世界は「使われなかった人生」であふれている』(沢木耕太郎 幻冬舎文庫)、『荒涼の町』(ジム・トンプソン 扶桑社海外文庫)。
沢木耕太郎を「卒業」したのは、TVに登場した際のその軽薄な話しぶりにがっかりしたからだった。あんな話しぶりのインタビューで、あれほど重要な証言が話されたり、心奥をうち明けられたりするはずがないと、そのノンフィクション作品まで深く疑いはじめたからだ。だから、小説家に転向したときはなるほどなと思った。ただ、この本は映画エッセイなので買う気になった。俺の好む文体ではないが、やはり文章はべらぼうに上手い。
日本を中心にして世界史を眺望する『日本人のための歴史学』。学ぶのならそれでいいのかも知れない。「欧米中心の世界史」や「世界史のなかの日本」を研究するのは必要だが、教育と研究は別物なのだから。マルクス主義史観の呪縛が解けたいま、新鮮な視点なのだろう(7/2読了した。「日本を中心にして世界史を眺望する」ではなく、「中央ユーラシア」を中心として、の間違いだったので訂正)。
ジム・トンプソンの「新刊」が読めるのが最近の楽しみ。「再刊」されるのだから、きっとまた傑作なのだろう。
おっと板金万太郎、『わらしべ偉人伝』(ゲッツ板谷 角川文庫)も買った。最近のライターでは、このゲッツ板谷と内田樹のものにはずれはない。『寝ながら学べる構造主義』(内田樹 文春新書)の明快さは痛快なほどだ。あとがきで内田はこういっている。
引用開始
構造主義の諸思潮が怒濤のように日本に流入してきたのは、私が仏文の学生だった頃です(内田は1950年生まれ)。私は「最新流行の思想のモード」にキャッチアップしようと必死になりましたが、構造主義の主著はどれも法外に難解でしたし、やむなく頼った日本語の解説書は、むずかしい概念をただむずかしい訳語に置き換えただけのものでした。それらの書物が何を言おうとしているのか、二十歳の私には結局少しもわかりませんでした。
(中略)
それから幾星霜。私も人並みに世間の苦労を積み、「人としてだいじなこと」というのが何であるか、しだいに分かってきました。そういう年回りになってみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。
レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、ロラン・バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。
引用終わり
青少年期に難解な書物に挑戦するのは、過大な負荷を頭脳に与えて鍛えるという点では意味があるが、それと書いてあることが理解できるかどうかは別物だ。構造主義の「4銃士」(内田樹命名)にしても、長年の研究と思索を紡いで構造主義を提唱したはず。大人が大人に向けて書いた本を子どもが読んでわかるわけがない。大人こそ、中高年こそ、哲学書や思想史を読むに適しているのかもしれない。知的好奇心というより、自らの知見と漠然とした考えを整理して確認するために。
読みはじめたばかり。断定を恐れない剛直な文体がいい。江戸時代を「日本文明」と高唱する違和感さえ越えられればだが。まるで「インカ帝国」を祖述するように霧深い「日本文明」像という印象も持った。
ほかに、『日本人のための歴史学』(岡田英弘 WAC)、『世界は「使われなかった人生」であふれている』(沢木耕太郎 幻冬舎文庫)、『荒涼の町』(ジム・トンプソン 扶桑社海外文庫)。
沢木耕太郎を「卒業」したのは、TVに登場した際のその軽薄な話しぶりにがっかりしたからだった。あんな話しぶりのインタビューで、あれほど重要な証言が話されたり、心奥をうち明けられたりするはずがないと、そのノンフィクション作品まで深く疑いはじめたからだ。だから、小説家に転向したときはなるほどなと思った。ただ、この本は映画エッセイなので買う気になった。俺の好む文体ではないが、やはり文章はべらぼうに上手い。
日本を中心にして世界史を眺望する『日本人のための歴史学』。学ぶのならそれでいいのかも知れない。「欧米中心の世界史」や「世界史のなかの日本」を研究するのは必要だが、教育と研究は別物なのだから。マルクス主義史観の呪縛が解けたいま、新鮮な視点なのだろう(7/2読了した。「日本を中心にして世界史を眺望する」ではなく、「中央ユーラシア」を中心として、の間違いだったので訂正)。
ジム・トンプソンの「新刊」が読めるのが最近の楽しみ。「再刊」されるのだから、きっとまた傑作なのだろう。
おっと板金万太郎、『わらしべ偉人伝』(ゲッツ板谷 角川文庫)も買った。最近のライターでは、このゲッツ板谷と内田樹のものにはずれはない。『寝ながら学べる構造主義』(内田樹 文春新書)の明快さは痛快なほどだ。あとがきで内田はこういっている。
引用開始
構造主義の諸思潮が怒濤のように日本に流入してきたのは、私が仏文の学生だった頃です(内田は1950年生まれ)。私は「最新流行の思想のモード」にキャッチアップしようと必死になりましたが、構造主義の主著はどれも法外に難解でしたし、やむなく頼った日本語の解説書は、むずかしい概念をただむずかしい訳語に置き換えただけのものでした。それらの書物が何を言おうとしているのか、二十歳の私には結局少しもわかりませんでした。
(中略)
それから幾星霜。私も人並みに世間の苦労を積み、「人としてだいじなこと」というのが何であるか、しだいに分かってきました。そういう年回りになってみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。
レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、ロラン・バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。
引用終わり
青少年期に難解な書物に挑戦するのは、過大な負荷を頭脳に与えて鍛えるという点では意味があるが、それと書いてあることが理解できるかどうかは別物だ。構造主義の「4銃士」(内田樹命名)にしても、長年の研究と思索を紡いで構造主義を提唱したはず。大人が大人に向けて書いた本を子どもが読んでわかるわけがない。大人こそ、中高年こそ、哲学書や思想史を読むに適しているのかもしれない。知的好奇心というより、自らの知見と漠然とした考えを整理して確認するために。