コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

逝きし世の面影 ほか

2007-06-20 06:29:31 | 新刊本
渡辺京二 平凡社ライブラリ
読みはじめたばかり。断定を恐れない剛直な文体がいい。江戸時代を「日本文明」と高唱する違和感さえ越えられればだが。まるで「インカ帝国」を祖述するように霧深い「日本文明」像という印象も持った。

ほかに、『日本人のための歴史学』(岡田英弘 WAC)、『世界は「使われなかった人生」であふれている』(沢木耕太郎 幻冬舎文庫)、『荒涼の町』(ジム・トンプソン 扶桑社海外文庫)。

沢木耕太郎を「卒業」したのは、TVに登場した際のその軽薄な話しぶりにがっかりしたからだった。あんな話しぶりのインタビューで、あれほど重要な証言が話されたり、心奥をうち明けられたりするはずがないと、そのノンフィクション作品まで深く疑いはじめたからだ。だから、小説家に転向したときはなるほどなと思った。ただ、この本は映画エッセイなので買う気になった。俺の好む文体ではないが、やはり文章はべらぼうに上手い。

日本を中心にして世界史を眺望する『日本人のための歴史学』。学ぶのならそれでいいのかも知れない。「欧米中心の世界史」や「世界史のなかの日本」を研究するのは必要だが、教育と研究は別物なのだから。マルクス主義史観の呪縛が解けたいま、新鮮な視点なのだろう(7/2読了した。「日本を中心にして世界史を眺望する」ではなく、「中央ユーラシア」を中心として、の間違いだったので訂正)。

ジム・トンプソンの「新刊」が読めるのが最近の楽しみ。「再刊」されるのだから、きっとまた傑作なのだろう。

おっと板金万太郎、『わらしべ偉人伝』(ゲッツ板谷 角川文庫)も買った。最近のライターでは、このゲッツ板谷と内田樹のものにはずれはない。『寝ながら学べる構造主義』(内田樹 文春新書)の明快さは痛快なほどだ。あとがきで内田はこういっている。

引用開始

構造主義の諸思潮が怒濤のように日本に流入してきたのは、私が仏文の学生だった頃です(内田は1950年生まれ)。私は「最新流行の思想のモード」にキャッチアップしようと必死になりましたが、構造主義の主著はどれも法外に難解でしたし、やむなく頼った日本語の解説書は、むずかしい概念をただむずかしい訳語に置き換えただけのものでした。それらの書物が何を言おうとしているのか、二十歳の私には結局少しもわかりませんでした。
(中略)
それから幾星霜。私も人並みに世間の苦労を積み、「人としてだいじなこと」というのが何であるか、しだいに分かってきました。そういう年回りになってみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。
 レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、ロラン・バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。

引用終わり

青少年期に難解な書物に挑戦するのは、過大な負荷を頭脳に与えて鍛えるという点では意味があるが、それと書いてあることが理解できるかどうかは別物だ。構造主義の「4銃士」(内田樹命名)にしても、長年の研究と思索を紡いで構造主義を提唱したはず。大人が大人に向けて書いた本を子どもが読んでわかるわけがない。大人こそ、中高年こそ、哲学書や思想史を読むに適しているのかもしれない。知的好奇心というより、自らの知見と漠然とした考えを整理して確認するために。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緒方供庵と銀の鈴下ブローカー

2007-06-20 05:45:55 | ノンジャンル
 マカ不思議な朝鮮総連の売買契約だが、緒方供庵氏によると、60億円を出すという出資者とは東京駅構内の喫茶店で会ったという。「名刺は持ち合わせていない」といわれ、「姓だけは聞いたが名前は忘れてしまった」そうだが、「意気投合」したので、土屋元日弁連会長に「出資者を確保できそうだ」と連絡を入れたという。

俺はこの事件に関して何ら独自の情報を持っていないが、いわゆる「ブローカー」の世界はいささか知っている。不動産や金融が代表的だが、世間のあらゆる儲け話にはブローカーが介在する。緒方供庵に出資者を仲介して朝鮮総連から4億円取ったという元不動参会者社長とは、ナミレイ事件の松浦良右(現在は朝堂院大覚と名乗っている)であり、最近では六本木のTSKCCCビルの地上げにも顔を出す「フィクサー」といわれている。が、要するにブローカーだ。

フィクサーと呼ばれるようになれば、ピンに近いブローカーで、都心に立派な事務所を構えたり、一流ホテルの一室を借り切っていたりする。秘書の数人も抱えている。それに引き換えキリのブローカーは携帯だけ。儲け話を聞きつけては、「ぶら下がり」でおこぼれにありつこうとあくせくしている。「ぶら下がり」とは、たとえばこういうことだ。

かつて「地上げ王」と呼ばれた最上興産の最上太吉は地上げがまとまりそうになると、ブローカーを喫茶店に呼びつける。すると、見も知らぬ20人ほどがやってきて、「自分が仲介した」と、それぞれが相応の仲介手数料を要求する。一般的な仲介手数料は5%、10億円の不動産物件なら5000万円になる。それをどう分けるかでブローカー同士が揉める。最上太吉は、「よしわかった。一人50万出そう。それで嫌なら降りてくれ」と携えてきた札束を配り出す。たいていのブローカーはそれで承知したそうだ。何百万何千万の儲け話を吹聴して歩いても、手持ちの金は喫茶店のコーヒー代しかないからだ。

ドトールなどのコーヒーショップに席巻されて、最近は、こうしたブローカーが屯する「ブローカー喫茶」が激減した。昼間の喫茶店とは、仕事をさぼるセールスマンか、ブローカーたちの根城になっていた。いまではわずかに「ルノアール」くらいが残っている。俺が知っている高利貸しは、こういうブローカー喫茶に顔を出すと、席のあちこちから会釈が返ってくる。高利貸しは、その場の全員の伝票を持ってこさせて支払いをするのが常だった。「あんなのでもたまによい情報や客を連れてくる」そうだ。「あんなの」がキリのブローカーとすれば、キリのキリを「銀の鈴下」ブローカーという。

彼ら彼女らは、喫茶店に入る金もない。東京駅の代表的な待ち合わせ場所である「銀の鈴」の下のベンチに終日座っている。携帯が鳴ると、「いま東京駅にいるが」と話す。「大阪から帰ってきたところ」だとか、「広島から来る客を迎えに来た」とか、適当に話すのに都合がいいわけだ。したがって、東京駅を会見場所に指定するブローカーを「銀の鈴下」ブローカーといい、「千三つ」のブローカー話のなかでももっとも当てにならないと冷笑される。

緒方供庵さんが会ったのは「銀の鈴下」ブローカーではなかったか。詐欺師と皮一枚だから、名刺は持たず、持っていたら有名無実の会社であり、名前も教えず、教える場合は偽名か変名になる。公調の元長官や日弁連の会長がキリのキリのブローカーにしてやられるか? 1対1ならたいていやられる。肩書きや地位で生きてきた人間ほど、あっけなくやられる。昔、全日空の大庭社長がM資金詐欺に引っかかったように。最近では柳沢厚労相が好例だが、世間知らずで洞察力を欠き、言葉遣いがなっていないエリートとは、ようするに赤子なのだから、その手をひねるのは簡単なのだ。

しかし、ピンの松浦良右がキリのキリの「銀の鈴」下ブローカを紹介するのは変に思える。といっても、ピンだろうとキリだろうとしょせん同じ穴の狢の世界。謀略の噂がかまびすしいが、実のところただの間抜け話だったかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする