先に「霧深い」と読みはじめの印象を書いた。とんでもない。幕末から明治期に来日した外国人観察者たちの記録は具体的だし、その感想は率直なものだった。霧深く思えるほど不可視だったのは、観察者たちの背後に佇立する著者・渡辺京二の思想であった。とんでもない。著者が渉猟した観察者たちの史料を扱う手つきに恣意や偏りは感じられない。明晰を尽くしている。にもかかわらず、読後感は霧が立ちこめるように冥い。とんでもない。本書に描かれた日本人はどこまでも明るく伸びやかな人たちだ。
中華に「十八史略」に「鼓腹撃壌」という話がある。
日出でて作き、
日入りて息う。
井を鑿りて飲み、
田を耕して食う。
帝力何ぞ我にあらんや。
江戸期の庶民はまさに、この「鼓腹撃壌」であったと外国人観察者は口を揃えているようだ。孔子が理想の帝と仰いだ堯舜の理想の統治の話である。「こふくげきじょう」とは腹鼓を打ちながら木の独楽をぶつける遊びらしい。老爺が「帝力なんぞ何の足しになるか」と独楽遊びをしながら上機嫌に歌っているのだ。とんでもない。本書では徳川の幕藩体制を理想の統治などとは持ち上げていない。政治についてはほとんど言及しておらず、「貧しい庶民の豊かで美しい暮らし」に驚嘆する外国人観察者たちに著者は共感している。共感しつつ、しかし頷いてはいないようだ。懐手をしながら瞑目しているように見える。死児の齢を数える空しさを噛みしめるものなのか。あるいは、明治期にいきなり青年になった奇形・日本を知るがゆえの空しさなのか。空しさを知りつつ語るその姿は霧の奥に隠れている。
外国人観察者たちが見た江戸期の庶民のライフスタイル、つまり前工業化社会の「文明」は今日のポストモダン、すなはち脱工業化社会の「文明」を考える上で、有益な契機を内包しているかもしれないなどと読んだなら、著者は、本代返すからどうかその本をうち捨ててくれないかと頼むだろう。あるいは、日本特殊論の延長として、日本にも独自な文明があったなどと語られることはもちろん、代替医療のようにかつてあり得た、もしくはあり得たかも知れぬ一つのオルタナティブな文明への幻視と読んでも、著者はまったく不服だろう。
それでは、『オリエンタリズム』のサイード以下の「文明論」であると。ちなみに、まさにオリエンタリズムの視線を露わにする欧米帝国主義者の軍人や政治家、外交官などの外国人観察者たちがものした、日本に関する著作をテキストにする著者であるから、サイードの「オリエンタリズム批判」への再批判を加えている。手短かだが説得力がある。
およそ考えつくような解釈のほとんどを反古にするような周到な伏線を張り巡らせて、上述のような誤読を許さない。日本の湿気に馴染めなかった大連という植民地育ちの異邦人だった著者は、外国人観察者たちの「可憐な日本」への共感に、実相を見ようとしている。しかし、「だから」とはけっして続けず、「もし」とつじつまも合わせない。そうした姿勢や態度こそかつてあり得た「日本文明」への理解の最大の妨げだとでもいうように。「日本文明」について著者の推断の多くに典拠はないと思う。しかし、外国人観察者たちの幾人かが抱いた「日本文明」への惜別の予感に対する、著者の共振に根拠がないとは思えない。
たとえば、2人の詩人が以下のように「祖国」への惜別を歌っている。
マッチ擦るつかの間海に霧深し(寺山修司)
惜別の銅鑼は霧の奥で鳴る(野村秋介)
明らかに、「惜別の銅鑼」は、「マッチ擦る」への返歌である。もちろん、「マッチ擦るつかの間海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」が正しいのだが、明らかに「マッチ擦るつかの間海に霧深し」だけで完成型だ。「身捨つるほどの祖国はありや」は言わずもがな、若気の至り、才気走ってはいても低俗とさえいえる。ましてや、この下りは拳を握るところではけっしてない。蛇足である証拠のひとつに、「惜別の銅鑼は霧の奥で鳴る 身捨つるほどの祖国はありや」と続けてもまったくおかしくない。まるで「根岸の里の侘び住まい」である。
野村秋介は「霧」を重ねながら、実は「祖国」を踏まえているのだが、自らの歌から「祖国」を消しただけでなく、寺山の歌からも消してしまった。オマージュと批評性が両立した見事な返歌である。霧深い波止場に立ち、船を見送っている寺山と、霧の奥で銅鑼を聴きながら船尾に立つ野村が見える。霧の彼方の祖国に近づこうとしているのは、あるいは「祖国」を離れようとしているのはどちらなのか。本歌を改変させたくなるほど、野村は独自の境地を示していると今までは思ってきた。本書を読んだ後では、寺山もまた「逝きし世の面影」として祖国を見ていたのではないかと思えてくる。「祖国はありや」と寺山は問うた。それから30余年の時間を隔てて、野村は霧の彼方に去った。その両者に、本書は語りかけているようだ。
しかし、本書の「弥次喜多珍道中」の解説には参った。「東海道中膝栗毛」の前段、弥次喜多が道中に出かけるまでの物語を本書ではじめて知ったが、これが呆れるほどデタラメなのだ。そして、このデタラメ極まる物語が江戸庶民のベストセラーになったということにもっと驚く。落語の世界は、デフォルメされたものと思ってきたが、実は写実だったのかもしれない。志ん生は奇天烈でもシュールでもなく、正統な江戸落語の後継者だったのかもしれない。酒と児戯が大好きでよく笑ったという江戸庶民の末裔なのかもしれない。巻措くに能わず、おかげで2日も仕事をさぼって読み耽ってしまった。
中華に「十八史略」に「鼓腹撃壌」という話がある。
日出でて作き、
日入りて息う。
井を鑿りて飲み、
田を耕して食う。
帝力何ぞ我にあらんや。
江戸期の庶民はまさに、この「鼓腹撃壌」であったと外国人観察者は口を揃えているようだ。孔子が理想の帝と仰いだ堯舜の理想の統治の話である。「こふくげきじょう」とは腹鼓を打ちながら木の独楽をぶつける遊びらしい。老爺が「帝力なんぞ何の足しになるか」と独楽遊びをしながら上機嫌に歌っているのだ。とんでもない。本書では徳川の幕藩体制を理想の統治などとは持ち上げていない。政治についてはほとんど言及しておらず、「貧しい庶民の豊かで美しい暮らし」に驚嘆する外国人観察者たちに著者は共感している。共感しつつ、しかし頷いてはいないようだ。懐手をしながら瞑目しているように見える。死児の齢を数える空しさを噛みしめるものなのか。あるいは、明治期にいきなり青年になった奇形・日本を知るがゆえの空しさなのか。空しさを知りつつ語るその姿は霧の奥に隠れている。
外国人観察者たちが見た江戸期の庶民のライフスタイル、つまり前工業化社会の「文明」は今日のポストモダン、すなはち脱工業化社会の「文明」を考える上で、有益な契機を内包しているかもしれないなどと読んだなら、著者は、本代返すからどうかその本をうち捨ててくれないかと頼むだろう。あるいは、日本特殊論の延長として、日本にも独自な文明があったなどと語られることはもちろん、代替医療のようにかつてあり得た、もしくはあり得たかも知れぬ一つのオルタナティブな文明への幻視と読んでも、著者はまったく不服だろう。
それでは、『オリエンタリズム』のサイード以下の「文明論」であると。ちなみに、まさにオリエンタリズムの視線を露わにする欧米帝国主義者の軍人や政治家、外交官などの外国人観察者たちがものした、日本に関する著作をテキストにする著者であるから、サイードの「オリエンタリズム批判」への再批判を加えている。手短かだが説得力がある。
およそ考えつくような解釈のほとんどを反古にするような周到な伏線を張り巡らせて、上述のような誤読を許さない。日本の湿気に馴染めなかった大連という植民地育ちの異邦人だった著者は、外国人観察者たちの「可憐な日本」への共感に、実相を見ようとしている。しかし、「だから」とはけっして続けず、「もし」とつじつまも合わせない。そうした姿勢や態度こそかつてあり得た「日本文明」への理解の最大の妨げだとでもいうように。「日本文明」について著者の推断の多くに典拠はないと思う。しかし、外国人観察者たちの幾人かが抱いた「日本文明」への惜別の予感に対する、著者の共振に根拠がないとは思えない。
たとえば、2人の詩人が以下のように「祖国」への惜別を歌っている。
マッチ擦るつかの間海に霧深し(寺山修司)
惜別の銅鑼は霧の奥で鳴る(野村秋介)
明らかに、「惜別の銅鑼」は、「マッチ擦る」への返歌である。もちろん、「マッチ擦るつかの間海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」が正しいのだが、明らかに「マッチ擦るつかの間海に霧深し」だけで完成型だ。「身捨つるほどの祖国はありや」は言わずもがな、若気の至り、才気走ってはいても低俗とさえいえる。ましてや、この下りは拳を握るところではけっしてない。蛇足である証拠のひとつに、「惜別の銅鑼は霧の奥で鳴る 身捨つるほどの祖国はありや」と続けてもまったくおかしくない。まるで「根岸の里の侘び住まい」である。
野村秋介は「霧」を重ねながら、実は「祖国」を踏まえているのだが、自らの歌から「祖国」を消しただけでなく、寺山の歌からも消してしまった。オマージュと批評性が両立した見事な返歌である。霧深い波止場に立ち、船を見送っている寺山と、霧の奥で銅鑼を聴きながら船尾に立つ野村が見える。霧の彼方の祖国に近づこうとしているのは、あるいは「祖国」を離れようとしているのはどちらなのか。本歌を改変させたくなるほど、野村は独自の境地を示していると今までは思ってきた。本書を読んだ後では、寺山もまた「逝きし世の面影」として祖国を見ていたのではないかと思えてくる。「祖国はありや」と寺山は問うた。それから30余年の時間を隔てて、野村は霧の彼方に去った。その両者に、本書は語りかけているようだ。
しかし、本書の「弥次喜多珍道中」の解説には参った。「東海道中膝栗毛」の前段、弥次喜多が道中に出かけるまでの物語を本書ではじめて知ったが、これが呆れるほどデタラメなのだ。そして、このデタラメ極まる物語が江戸庶民のベストセラーになったということにもっと驚く。落語の世界は、デフォルメされたものと思ってきたが、実は写実だったのかもしれない。志ん生は奇天烈でもシュールでもなく、正統な江戸落語の後継者だったのかもしれない。酒と児戯が大好きでよく笑ったという江戸庶民の末裔なのかもしれない。巻措くに能わず、おかげで2日も仕事をさぼって読み耽ってしまった。