http://www.nhk.or.jp/gr/shoukai/index.html
土日の夕方5時から世界168か国と地域に同時放送されている、NHK総合の「地球ラジオ」のファンだ。毎週、後藤繁榮(ごとうしげよし)と大輪香菊(おおわかぎく)アナが、「(お便りを)お待ちしています!」と声をそろえるのを楽しみにしている。
番組中の各コーナーは、ホームページから引用すると、以下の通り。
ワールドテレホンネットワーク: 世界各地に電話をかけ現地の様子を聞く
世界まるごと質問箱: リスナーから寄せられた世界各地の暮らしへの疑問
世界井戸端会議: テーマに合わせて世界中から届いた情報、意見
地球でっかいゾウ: リスナーが体験したカルチャーショック
地球情報局: 世界各地で暮らす人々に、地球の「今」を聞く
世界遺産の街から: 現地にお住まいの方が世界遺産を紹介する
僕たち私たち元気だよ!: 日本人学校で学ぶ子どもたちの作文
奮闘ジパング: 日本で暮らす外国出身者をスタジオに招く
地球どっちッチ: 二つのテーマから選択して各地の事情を聞く
にっぽんチャチャチャ: 海外で活躍する日本人に話を聞く
ワールドミュージックシーン: 世界の音楽をお届け
ふるさと日本の歌: なつかしい日本の歌をご紹介
土日の夕方5~7時は、たいていどの局も、今日の出来事を振り返るというより追い払いたいようなせわしないニュース番組か、何回の何アウトの何ストライクと小刻みに時間を区切っていくプロ野球中継かに決まっている。比べて「地球ラジオ」には、まったく別のゆったりした時間が流れている。
世界各地の時差を考えて、「こんにちは」や「こんばんは」という時制の挨拶はしない。「東京の桜は満開です」「大型の台風が関東を直撃しました」と会話の流れから触れることはあっても、ことさら日本や東京の時候や時間帯を知らせることはない。いまここが中心ではなく、聴取者の住む国や地域の話に耳を傾けるからだ。
「ワルシャワの今頃はどんな気候ですか?」「ツバルはいま何時ですか?」「ケニヤッタではいまどんな花が咲いていますか?」。海外在住の聴取者へのそんな質問から番組は転がりはじめ、それぞれ気候も時間帯も違う街や村に住む人々が同時に聴いている。ホームページにアクセスすると放送日でなくとも聴くことができるから、時差どころか日付さえ異なって聴いている人もいるはずだ。
「地球ラジオ」には、そんな何時とも何処ともつかない時間が流れ、聴取者から寄せられた身近な話題を聴いているうちに、ふと自分も、日本という「外国」に暮らしているような気になる。クスッ、へえとひとりごちた小さな共感が、周波に乗って静かに波紋を広げ、地球大の町内会みたいな共生を感じさせる微風を吹かせている。ちょっと大げさにいえば、そんな感じだ。
インターネットには、これとは反対の印象を受けることが多い。誰が送り主かにこだわるあまり、平板な無時間モデルになっているように思う。何かを届け、届けられたという気がしないのは、届け物がつねに「みんなへ」という宛先不明だからだろう。名無しや匿名が圧倒的多数だからか、かえって誰もが自分のキャラクターをつくるのに躍起となっていて、その自己顕示欲の強さには辟易することが多い。送り主は自分という時間に閉じこもっている気がする。
「地球ラジオ」には、特定の季節や時間はないが、時は流れている。番組に登場したり紹介される聴取者のそれぞれに、住まい暮らし旅するその地の季節があり、時間が流れているというだけでなく、約2時間の放送を共に聴いているというもうひとつの時間の流れがある。彼や彼女の時間と俺の時間は別に流れているが、同時に時を刻んでいること共に感じられるわけだ。
そうした共感は、まず彼や彼女の感じていることを理解できるからだ。彼や彼女らが感じたことは、日々の暮らしのなかで感じたことに限られるからだ。
四方山話といえばそれまでだが、もしかすると政治や経済、宗教や戦争などの知識や情報が、私たちの四方を囲む山となっているのではないかとも思う。「地球ラジオ」を聴いていると、山向こうにも私たちと変わらぬ暮らしがあることがわかる。私たちの四方の山は、もとから天然自然にあったのではなく、その仰ぎ見るその高さや険しさは、私たちの外からではなく、内から網膜に映じただけのものかもしれない。
そんな地球大の世間に眼を開かせる好番組だと思う。
メインコーナーは「地球どっちッチ」。今日のテーマのひとつは、「車の値段」だった。ポーランドからの便りでは、日本車の人気はとても高く、「走行25万kmの中古車でも、100万円から200万円もする」そうだ。俺が気に入っているコーナーは、地球放浪の自転車旅に出かけた若者や夫婦が、行く先々の様子と失敗や苦労話をEメールや電話で報告する「旅でござんす」。いいなあ。
まだ聴いたことがないならぜひ一度。
土日の夕方5時から世界168か国と地域に同時放送されている、NHK総合の「地球ラジオ」のファンだ。毎週、後藤繁榮(ごとうしげよし)と大輪香菊(おおわかぎく)アナが、「(お便りを)お待ちしています!」と声をそろえるのを楽しみにしている。
番組中の各コーナーは、ホームページから引用すると、以下の通り。
ワールドテレホンネットワーク: 世界各地に電話をかけ現地の様子を聞く
世界まるごと質問箱: リスナーから寄せられた世界各地の暮らしへの疑問
世界井戸端会議: テーマに合わせて世界中から届いた情報、意見
地球でっかいゾウ: リスナーが体験したカルチャーショック
地球情報局: 世界各地で暮らす人々に、地球の「今」を聞く
世界遺産の街から: 現地にお住まいの方が世界遺産を紹介する
僕たち私たち元気だよ!: 日本人学校で学ぶ子どもたちの作文
奮闘ジパング: 日本で暮らす外国出身者をスタジオに招く
地球どっちッチ: 二つのテーマから選択して各地の事情を聞く
にっぽんチャチャチャ: 海外で活躍する日本人に話を聞く
ワールドミュージックシーン: 世界の音楽をお届け
ふるさと日本の歌: なつかしい日本の歌をご紹介
土日の夕方5~7時は、たいていどの局も、今日の出来事を振り返るというより追い払いたいようなせわしないニュース番組か、何回の何アウトの何ストライクと小刻みに時間を区切っていくプロ野球中継かに決まっている。比べて「地球ラジオ」には、まったく別のゆったりした時間が流れている。
世界各地の時差を考えて、「こんにちは」や「こんばんは」という時制の挨拶はしない。「東京の桜は満開です」「大型の台風が関東を直撃しました」と会話の流れから触れることはあっても、ことさら日本や東京の時候や時間帯を知らせることはない。いまここが中心ではなく、聴取者の住む国や地域の話に耳を傾けるからだ。
「ワルシャワの今頃はどんな気候ですか?」「ツバルはいま何時ですか?」「ケニヤッタではいまどんな花が咲いていますか?」。海外在住の聴取者へのそんな質問から番組は転がりはじめ、それぞれ気候も時間帯も違う街や村に住む人々が同時に聴いている。ホームページにアクセスすると放送日でなくとも聴くことができるから、時差どころか日付さえ異なって聴いている人もいるはずだ。
「地球ラジオ」には、そんな何時とも何処ともつかない時間が流れ、聴取者から寄せられた身近な話題を聴いているうちに、ふと自分も、日本という「外国」に暮らしているような気になる。クスッ、へえとひとりごちた小さな共感が、周波に乗って静かに波紋を広げ、地球大の町内会みたいな共生を感じさせる微風を吹かせている。ちょっと大げさにいえば、そんな感じだ。
インターネットには、これとは反対の印象を受けることが多い。誰が送り主かにこだわるあまり、平板な無時間モデルになっているように思う。何かを届け、届けられたという気がしないのは、届け物がつねに「みんなへ」という宛先不明だからだろう。名無しや匿名が圧倒的多数だからか、かえって誰もが自分のキャラクターをつくるのに躍起となっていて、その自己顕示欲の強さには辟易することが多い。送り主は自分という時間に閉じこもっている気がする。
「地球ラジオ」には、特定の季節や時間はないが、時は流れている。番組に登場したり紹介される聴取者のそれぞれに、住まい暮らし旅するその地の季節があり、時間が流れているというだけでなく、約2時間の放送を共に聴いているというもうひとつの時間の流れがある。彼や彼女の時間と俺の時間は別に流れているが、同時に時を刻んでいること共に感じられるわけだ。
そうした共感は、まず彼や彼女の感じていることを理解できるからだ。彼や彼女らが感じたことは、日々の暮らしのなかで感じたことに限られるからだ。
四方山話といえばそれまでだが、もしかすると政治や経済、宗教や戦争などの知識や情報が、私たちの四方を囲む山となっているのではないかとも思う。「地球ラジオ」を聴いていると、山向こうにも私たちと変わらぬ暮らしがあることがわかる。私たちの四方の山は、もとから天然自然にあったのではなく、その仰ぎ見るその高さや険しさは、私たちの外からではなく、内から網膜に映じただけのものかもしれない。
そんな地球大の世間に眼を開かせる好番組だと思う。
メインコーナーは「地球どっちッチ」。今日のテーマのひとつは、「車の値段」だった。ポーランドからの便りでは、日本車の人気はとても高く、「走行25万kmの中古車でも、100万円から200万円もする」そうだ。俺が気に入っているコーナーは、地球放浪の自転車旅に出かけた若者や夫婦が、行く先々の様子と失敗や苦労話をEメールや電話で報告する「旅でござんす」。いいなあ。
まだ聴いたことがないならぜひ一度。