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かねて本ブログでは、小沢擁護・小沢支持に立っていくつか投稿してきたわけだが、残念ながら、小沢は負けた。民意が、菅を支持したというより、小沢を忌避した。もちろん、党員・サポーター票の大差のことだ。小選挙区総取り制によるポイントによるもので、得票率は大差とまではいえないはずだが、各メディアはポイントのみを示して、「菅圧勝」と一報した。ならば、「小沢惨敗」について書くべきところだが、私が知る限りでは、詳報でも続報でも、そう書いたメディアはない。一方が「圧勝」すれば、他方は必ず「惨敗」のはずなのに、誰もそうとは書かず、いわない。そこに、今回の民主党代表選のほんとうの勝者が見えた気がする。
今後の勢力地図、政局運営からいえば、菅VS小沢の勝敗とは、国会議員票の奪い合いの結果にほかならず、党員・サポーター票の影響は少ない。国会議員票は僅差といえるから、「菅圧勝」や「小沢惨敗」のいずれでもない。とはいえ、選挙に強いはずの小沢が、国会議員票でも負けたのは意外だが、民主党がかつての自民党のような派閥政治ではないことからだろう。民主党が前原派や岡田派など大小の派閥政治なら、小沢はもっと議員票を集めていたはず。民主党で派閥といえるのは、小沢派だけであり、あとは反小沢派や非小沢派という離合集散だけ。脱派閥政治という面からは、民主党がよくいわれる第2自民党という指摘は当たっていない。ただし、民主党が第2自民党になるのは、これからかもしれない。「政調」を復活させ、「族議員」を育て、民主党が派閥政治に向かう可能性は大きい。
各メディアが「小沢惨敗」とは書かなかった背景の一つは、国会議員票が接していたからなのだが、とすれば、党員・サポーター票の大差が、「菅圧勝」と報道する根拠となる。得票率を勘案すれば、「菅圧勝」とまではいえないものの、小選挙区総取り制のポイントでは、「菅圧勝」は事実。党員・サポーター票という民意においては、「小沢惨敗」を印象づけるものだ。選挙と金のしがらみが大きく影響する議員票の行方より、それは党内民主主義が健全に機能した結果だといえなくはない。そこまで書いた選挙評は、私が知る限り見当たらなかった。各メディアは、代表選の当初から、少なからぬ世論調査を実施し、菅が小沢を圧倒的に引き離して支持が高いと報じてきたにもかかわらず、「菅圧勝」とは書いても、「小沢惨敗」の民意が下されたとは書かなかった。
なぜだろうか? 「民意」をリードしてきたのが、ほかならぬメディアだからである。公職選挙法とは無関係な代表選であることから、各メディアは偏向を隠さず、例によって一方的な「アンチ小沢報道」を垂れ流してきた。このことに対する異論は少ないだろう。議員票では、鳩山グループを加えた小沢派が優勢とされていたから、最後まで読めなかったのは、党員・サポーター票だった。そして、今回、未確認情報だが、企業団体などの組織票の多くが棄権にまわったといわれている。党員・サポーター票の構成が、国民一般に近かったとすれば、メディアの影響力はさらに大きかったはずだ。ただし、選挙戦後半にさしかかってからは、小沢人気が急伸したことをメディアも渋々報じていた。ネット関連の調査では、当初から、小沢>菅であったから、少なくとも、圧倒的な菅>小沢とまではいえないことは明白だった。
つまり、各メディアは、「民意」を把握していなかったが、「民意」を代弁した。「民意」は、圧倒的に小沢より菅支持と書いた。接戦であることを知りながら、そう書いた。接戦だったことが明らかになっても、そう書いた。菅支持と書きながら、小沢不支持とは書かなかった。菅圧勝としながら小沢惨敗とは書かなかった。そろそろ結論を急ごう。小沢は完敗した。菅は辛勝した。完敗と辛勝の間を埋める勝ち点は、マスコミのものである。マスコミが「民意」を代弁して、「勝った」といえる。したがって、民意は惨敗した。誰よりも負けた。民意を裏切りミスリードしたマスコミ自身は、はたして勝ったといえるだろうか。いま彼らに勝利の笑顔はあるだろうか。ほんとうに、「圧勝」したのは誰だろうか?
(敬称略)
かねて本ブログでは、小沢擁護・小沢支持に立っていくつか投稿してきたわけだが、残念ながら、小沢は負けた。民意が、菅を支持したというより、小沢を忌避した。もちろん、党員・サポーター票の大差のことだ。小選挙区総取り制によるポイントによるもので、得票率は大差とまではいえないはずだが、各メディアはポイントのみを示して、「菅圧勝」と一報した。ならば、「小沢惨敗」について書くべきところだが、私が知る限りでは、詳報でも続報でも、そう書いたメディアはない。一方が「圧勝」すれば、他方は必ず「惨敗」のはずなのに、誰もそうとは書かず、いわない。そこに、今回の民主党代表選のほんとうの勝者が見えた気がする。
今後の勢力地図、政局運営からいえば、菅VS小沢の勝敗とは、国会議員票の奪い合いの結果にほかならず、党員・サポーター票の影響は少ない。国会議員票は僅差といえるから、「菅圧勝」や「小沢惨敗」のいずれでもない。とはいえ、選挙に強いはずの小沢が、国会議員票でも負けたのは意外だが、民主党がかつての自民党のような派閥政治ではないことからだろう。民主党が前原派や岡田派など大小の派閥政治なら、小沢はもっと議員票を集めていたはず。民主党で派閥といえるのは、小沢派だけであり、あとは反小沢派や非小沢派という離合集散だけ。脱派閥政治という面からは、民主党がよくいわれる第2自民党という指摘は当たっていない。ただし、民主党が第2自民党になるのは、これからかもしれない。「政調」を復活させ、「族議員」を育て、民主党が派閥政治に向かう可能性は大きい。
各メディアが「小沢惨敗」とは書かなかった背景の一つは、国会議員票が接していたからなのだが、とすれば、党員・サポーター票の大差が、「菅圧勝」と報道する根拠となる。得票率を勘案すれば、「菅圧勝」とまではいえないものの、小選挙区総取り制のポイントでは、「菅圧勝」は事実。党員・サポーター票という民意においては、「小沢惨敗」を印象づけるものだ。選挙と金のしがらみが大きく影響する議員票の行方より、それは党内民主主義が健全に機能した結果だといえなくはない。そこまで書いた選挙評は、私が知る限り見当たらなかった。各メディアは、代表選の当初から、少なからぬ世論調査を実施し、菅が小沢を圧倒的に引き離して支持が高いと報じてきたにもかかわらず、「菅圧勝」とは書いても、「小沢惨敗」の民意が下されたとは書かなかった。
なぜだろうか? 「民意」をリードしてきたのが、ほかならぬメディアだからである。公職選挙法とは無関係な代表選であることから、各メディアは偏向を隠さず、例によって一方的な「アンチ小沢報道」を垂れ流してきた。このことに対する異論は少ないだろう。議員票では、鳩山グループを加えた小沢派が優勢とされていたから、最後まで読めなかったのは、党員・サポーター票だった。そして、今回、未確認情報だが、企業団体などの組織票の多くが棄権にまわったといわれている。党員・サポーター票の構成が、国民一般に近かったとすれば、メディアの影響力はさらに大きかったはずだ。ただし、選挙戦後半にさしかかってからは、小沢人気が急伸したことをメディアも渋々報じていた。ネット関連の調査では、当初から、小沢>菅であったから、少なくとも、圧倒的な菅>小沢とまではいえないことは明白だった。
つまり、各メディアは、「民意」を把握していなかったが、「民意」を代弁した。「民意」は、圧倒的に小沢より菅支持と書いた。接戦であることを知りながら、そう書いた。接戦だったことが明らかになっても、そう書いた。菅支持と書きながら、小沢不支持とは書かなかった。菅圧勝としながら小沢惨敗とは書かなかった。そろそろ結論を急ごう。小沢は完敗した。菅は辛勝した。完敗と辛勝の間を埋める勝ち点は、マスコミのものである。マスコミが「民意」を代弁して、「勝った」といえる。したがって、民意は惨敗した。誰よりも負けた。民意を裏切りミスリードしたマスコミ自身は、はたして勝ったといえるだろうか。いま彼らに勝利の笑顔はあるだろうか。ほんとうに、「圧勝」したのは誰だろうか?
(敬称略)