今日はお休み。末猫テンテンを去勢のため獣医に届けたあと、ジョナサンでスクランブルグエッグのモーンニング570円。料理が来るまで、「購読キャンペーン」とテーブルに置いてあった無料の読売新聞を読み出す。
一面に、「
検証 原発危機1」という福島第一原発事故の検証記事が始まっている。以下が、見出しの続き。
ベント「空白の2時間半」
震災翌朝、首相視察時、ボードに記録なし
大地震の翌日、3月12日(土)、格納容器の爆発を避けるため、水蒸気を放出する「ベント」をめぐる官邸と東電のすったもんだを、これから連載が始まる検証記事の導入にしたものだ。書籍なら、まえがきに相当するもので、連載予定記事全体の問題意識を示し、重要な取材事実(ネタや証言)や分析(最新の事実確認)を、本文中に目次のように挿入して、購読意欲を刺激しようという目的だ。
いまのところ、読売新聞のオンライン版には掲載されていないので、ご興味のある方は紙面を読む必要があるが、もしかすると、人によってはかえって福島第一原発事故というより、福島第一原発事故報道に興味を失うことになるかもしれない。私は、この記事によって、もうマスコミ情報を追っても、わかることは少ないのではないかという諦観さえ抱いた。
菅首相が、福島第一原発視察のために、「首相官邸を飛び立って間もない6時29分から、同原発を離れて1時間後の9時4分まで、作業が停滞していたのか、何の書き込みもない」ということが、この記事のポイントである。1号機中央制御室のホワイトボードには、時々刻々、作業の指示とその進捗状況について記載されていたが、菅首相視察前後の2時間半には何も書き込まれず空白だったというのだ。
記事に沿って3月12日の時々刻々はこうだ。
0時過ぎ、東電はベントが必要と判断する
1時過ぎ、菅首相は枝野官房長官に福島第一原発視察の用意を命ずる
2時過ぎ、政府はベントを指示
6時14分、自衛隊のヘリコプターで官邸を出発
7時11分、福島第一原発到着
首相「ベントはまだか!」
吉田所長「決死隊を作ってやります」
8時過ぎ、菅首相、福島第一原発を出発
8時過ぎ、吉田所長、ベントに取りかかるよう指示
9時15分、1号機のベントに向けた作業開始
14時頃、ベントに成功
15時半、水素爆発
菅首相の福島第一原発視察がベントを遅らせた。この問題はすでに国会でも指摘批判されていて新味はないが、この記事では、空白の2時間半が、その裏づけとして加わっていると読める。明らかに、菅首相の視察に振り回されたために生じた空白だったのではないか、という見方に傾いている。緊急の事故対応に、結果的に、2時間半も空白が起きてしまった。もし、その2時間半の間に、何らかの作業が進展していれば、悔やみが残るという行間である。
しかし、2時間半の空白とは、官邸や東電の初動のミスや遅れのひとつという問題なのか。事故対応に2時間半の空白ができたことが問題なのだろうか。弁当を作っているところに押しかけたあんたが悪い。いや、とっくに注文しているのに届けないから、取りに来たんだ。あんたの文句を聴いている間、それだけ弁当ができるのが遅くなったんだよ。本当に弁当を作っていたかどうか怪しいもんだ。
問題は弁当、もとい、ベントなのだろうか。2時間半の空白がなぜ生じたかではなく、2時間半が無駄に過ぎたかではなく、なぜ2時間半の空白があるのか、ではないだろうか。その間、何をやっていたか、何をやらなかったのか、どこにも誰にも記録が残っていないことではないか。3月12日から、3か月も経て、いまだ2時間半の空白は埋められず、永久に記録が失われたことではないか。
ビジネスでは、プラン・ドゥ・シー(plan do see)とよくいわれる。計画/実行/観察の連関によってプロジェクトを検証できるわけだ。科学技術の場では、さらに観察データの記録性は厳密に問われるはずだろう。データの不足や偏りではなく、ある部分が欠落しているのでは話にならないはずだ。
事業プロジェクトや科学実験は、たとえ無駄骨に終わったとしても、やり直すことができる。福島第一原発1号機のベントと水素爆発について、もういちどやり直し起こすことはできない。福島第一原発事故と事故処理のデータがどれほど貴重で重要なものか。福島第一原発事故処理への参画と引き換えに、
ロシアが北方領土交渉の再開を打診するほどだったのだ。
1~4号機まで、福島第一原発事故の処理にかかわる膨大な作業の中で、たかが2時間半と過小に見積もることはできないのは、最近の海水注入停止問題ひとつをとっても明らかだろう。安倍元首相が国会で追及した官邸による海水注入停止問題が、吉田所長の独断で実は注水は停止されず、継続されていたと後になって発表されたことだ。
クローズアップ2011:福島第1原発事故 1号機海水注入問題 東電説明ちぐはぐhttp://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20110527ddm003040208000c.html
一方で、東電は16日に公表した同原発の地震発生時の初期データ報告書で、海水注入の中断を記載している。「社内のメモや緊急対策本部の聞き取りでとりまとめた。吉田所長からは聞いていなかった」と説明した。現場との意思疎通が不十分だったことをうかがわせるが、中断から55分後の3月12日午後8時20分に注水が再開されたと公表してきたことについては、「発電所から出てきた報告」と説明する。東電は「この1件以外、報告しているものと違うものはないと聞いている」と強調するものの、他の公表内容への不信を生んだ。
吉田所長は、ベントについても、東電本社の判断から8時間、政府の指示から6時間以上もたってから、作業開始を指示しているが、その遅れについては何も説明していない。同様に、官邸詰めの東電担当者から海水注入停止を命じられながら実行せず、菅首相が海水注入停止させたと問題にされてから1週間後に、ようやく注入継続をしていた事実を明らかにした。その「遅れ」はなぜなのかについても、吉田所長は何も説明していない。
繰り返すが、ベントや海水注入について、指示や作業が適切だったかどうかを問題にしているのではない。いうまでもないことだが、それを判断するに足る知識や経験を私は持っていない。しかし、所長が発言しなければ何もわからない。つまり、指示や作業が適切に記録されていないのではないか。それのほうが、はるかに重要で致命的な問題であることはわかる。
後に外部が検証できるような公式記録が残されていないのでは、残されている記録についても、当然のことながら疑念が生じる。原子力の専門家を一人も加えず、
事故調査委員会が発足したが、どれほどたくさんの弁当を配達させて論議を重ねようと、うやむやに終わるのが落ちではないか。せいぜい委員がいえるのは、「弁当はまだか?」くらいではないのか?
(敬称略)