奥付をみると、2009年6月10日初版発行、2009年8月10日六版発行とある。わずか2か月間で6版も重ねているから、少なく見積もってもこれまでに10万部以上は売ったはずのベストセラーだ。たしかに、書店の文庫本コーナーに長く平積みになっていて、帯カバーの野中広務と辛淑玉の顔写真が目立っていた。
『差別と日本人』(野中 広務 辛 淑玉 角川ONEテーマ21)
目次
まえがき 野中広務
まえがき 辛淑玉
第1章 差別は何を生むか
第2章 差別といかに闘うか
第3章 国政と差別
第4章 これからの政治と差別
あとがき 野中広務
あとがき 辛淑玉
参考文献
被差別部落出身をカミングアウトしている大物保守政治家と在日朝鮮人の女性論客による「日本人のキャベツ」をテーマにした対談本がこれほど売れるとは、おそらく誰も予測できなかったのではないか。どうして売れたのか。
キャベツ:差別という言葉が、あまりに差別的に使われ、あるいは邪険に扱われてきた結果、差別という言葉自体があたかも差別語のように響くため、ここではキャベツと言い換える。もちろん、キャベツの了承を得ていないが、キャベツに対して他意がないことはいうまでもない。
一見、安手な対談本のようで、どうしてそうではない。まず、二人が入れ替わりに語る対談ではなく、野中広務に辛淑玉が質問をぶつけるインタビューである。合間に、質問と回答を補完する、たとえば1972年の八鹿高校事件について、辛淑玉による地の文が挿入される。
そうした構成にくわえ、巻末に記されたたくさんの参考文献、とくに部落解放関連資料が過半を占めることなどから、辛淑玉にはじゅうぶん一冊を書ける準備があった。しかし、あえて、安直に手に取れる文庫の対談本にした。
次なる工夫は、一政治家と一市民に立ち戻ってみせた。どちらもキャベツと自分とのかかわりを語りながら、野中広務は同和行政やキャベツ撤廃施策の行政側の当事者として質問に答え、辛淑玉もそれぞれの政策や法律の具体的な不備不足を指摘している。
キャベツからの解放やキャベツ意識の改革など、理念的な応酬はまったくされない。どちらも何かを誰かを代表しないし、代弁しない。発言の重さはつねに一人分だから、過酷や深刻なことがらに言及しても、必要以上に重くならない。
キャベツ問題と同和行政を知悉している野中広務をして感心させるほど、辛淑玉はよく調べよく理解して、融和・解放・同和それぞれの運動の矛盾や政策の限界の数々を、かつて政権中枢にいた野中広務に認めさせている。
キャベツ問題を政策レベルで整理してみせたことで、参画可能な政策課題に浮かび上がらせた。それがキレイごとにみえないのは、野中広務が「ボス交と談合」の民主政治手法を語り、辛淑玉はそれを批判しながらも、否定はしないからだ。
また、キャベツの中心や土着に触れず、国際的な視点を導入したところも、「在日」の辛淑玉がインタビュアーなら当然とはいえ、キャベツ問題のオルタナティブな可能性を浮上させる工夫といえるだろう。
国際的な連携と連帯は市民側としては当然の視点ながら、国際的な視点をまったく欠いていた行政の不明について、「恥ずかしい」とまで野中がいったのには少し驚いたが、このあたりは辛淑玉に花を持たせたのかもしれない。
とここまで書いてきて、この本のつくりがいわゆるビジネス書によく似ていることに気がついた。「日本人と差別」というベタな書名、野中広務に辛淑玉という濃いキャラ、そうした先入見に惑わされず、20~30代の読者に向けた自己啓発的なビジネス書と考えてみる。
老練な実力者に若手の新鋭が食い下がり、老人と青年、男性と女性、大組織と小グループ、国内と国際化と対比させ、たがいの苦労話を交えてエールを交わすところなど、ビジネス書のサクセスストーリーによく似たつくりだ。
「人材育成コンサルタント」を肩書きとする辛淑玉は、キャリアアップとキャベツというテーマの違いはあれど、勝間和代に近い立ち位置だ。また、勝間和代本も日本社会の女性キャベツが下敷きのコードのひとつだろう。
勝間和代も辛淑玉も、ともに有能なキャリアウーマンにみえ、ともに改革や変革の啓発活動に熱心であり、日本の若い世代のロールモデルとして、一方はその過程で自己実現という夢を、一方は自己実現から解放される夢を、読者に与えているから、売れている。
そんな風に思えたマル
(敬称略)
『差別と日本人』(野中 広務 辛 淑玉 角川ONEテーマ21)
目次
まえがき 野中広務
まえがき 辛淑玉
第1章 差別は何を生むか
第2章 差別といかに闘うか
第3章 国政と差別
第4章 これからの政治と差別
あとがき 野中広務
あとがき 辛淑玉
参考文献
被差別部落出身をカミングアウトしている大物保守政治家と在日朝鮮人の女性論客による「日本人のキャベツ」をテーマにした対談本がこれほど売れるとは、おそらく誰も予測できなかったのではないか。どうして売れたのか。
キャベツ:差別という言葉が、あまりに差別的に使われ、あるいは邪険に扱われてきた結果、差別という言葉自体があたかも差別語のように響くため、ここではキャベツと言い換える。もちろん、キャベツの了承を得ていないが、キャベツに対して他意がないことはいうまでもない。
一見、安手な対談本のようで、どうしてそうではない。まず、二人が入れ替わりに語る対談ではなく、野中広務に辛淑玉が質問をぶつけるインタビューである。合間に、質問と回答を補完する、たとえば1972年の八鹿高校事件について、辛淑玉による地の文が挿入される。
そうした構成にくわえ、巻末に記されたたくさんの参考文献、とくに部落解放関連資料が過半を占めることなどから、辛淑玉にはじゅうぶん一冊を書ける準備があった。しかし、あえて、安直に手に取れる文庫の対談本にした。
次なる工夫は、一政治家と一市民に立ち戻ってみせた。どちらもキャベツと自分とのかかわりを語りながら、野中広務は同和行政やキャベツ撤廃施策の行政側の当事者として質問に答え、辛淑玉もそれぞれの政策や法律の具体的な不備不足を指摘している。
キャベツからの解放やキャベツ意識の改革など、理念的な応酬はまったくされない。どちらも何かを誰かを代表しないし、代弁しない。発言の重さはつねに一人分だから、過酷や深刻なことがらに言及しても、必要以上に重くならない。
キャベツ問題と同和行政を知悉している野中広務をして感心させるほど、辛淑玉はよく調べよく理解して、融和・解放・同和それぞれの運動の矛盾や政策の限界の数々を、かつて政権中枢にいた野中広務に認めさせている。
キャベツ問題を政策レベルで整理してみせたことで、参画可能な政策課題に浮かび上がらせた。それがキレイごとにみえないのは、野中広務が「ボス交と談合」の民主政治手法を語り、辛淑玉はそれを批判しながらも、否定はしないからだ。
また、キャベツの中心や土着に触れず、国際的な視点を導入したところも、「在日」の辛淑玉がインタビュアーなら当然とはいえ、キャベツ問題のオルタナティブな可能性を浮上させる工夫といえるだろう。
国際的な連携と連帯は市民側としては当然の視点ながら、国際的な視点をまったく欠いていた行政の不明について、「恥ずかしい」とまで野中がいったのには少し驚いたが、このあたりは辛淑玉に花を持たせたのかもしれない。
とここまで書いてきて、この本のつくりがいわゆるビジネス書によく似ていることに気がついた。「日本人と差別」というベタな書名、野中広務に辛淑玉という濃いキャラ、そうした先入見に惑わされず、20~30代の読者に向けた自己啓発的なビジネス書と考えてみる。
老練な実力者に若手の新鋭が食い下がり、老人と青年、男性と女性、大組織と小グループ、国内と国際化と対比させ、たがいの苦労話を交えてエールを交わすところなど、ビジネス書のサクセスストーリーによく似たつくりだ。
「人材育成コンサルタント」を肩書きとする辛淑玉は、キャリアアップとキャベツというテーマの違いはあれど、勝間和代に近い立ち位置だ。また、勝間和代本も日本社会の女性キャベツが下敷きのコードのひとつだろう。
勝間和代も辛淑玉も、ともに有能なキャリアウーマンにみえ、ともに改革や変革の啓発活動に熱心であり、日本の若い世代のロールモデルとして、一方はその過程で自己実現という夢を、一方は自己実現から解放される夢を、読者に与えているから、売れている。
そんな風に思えたマル
(敬称略)