このところ、朝日新聞にスクープが続いている。
日展書道「篆刻」、入選を事前配分 有力会派で独占
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000006-jct-soci
みのもんたの次男逮捕や阪急阪神ホテルの食材偽装を追及するなら、同様に不正審査と金まみれの日展のジジイどもに謝罪記者会見を迫るべきだろう。
ヤクザの自動車ローンを組んだことで、歴代頭取に役員報酬の「自主返上」を発表したみずほ銀行のように、日展の理事長や常務理事など幹部に報酬の「自主返上」を、日本芸術院会員は「年金辞退」を、文化功労者や文化賞などに「叙勲の返上」などを迫るのは、当然のことではないか。
日展審査で「不正発覚」と朝日スクープ 美術関係者「あ~あ、そこは秘密ってコトだったのに」
http://www.j-cast.com/2013/10/30187698.html
日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5科のうち、書科の石に字を刻む篆刻(てんこく)部門で、会派別入選数の配分表と手紙という具体的な証拠を朝日新聞は入手したわけだが、ことはもちろん書道界だけにとどまらず、日本の美術界全体に及ぶと読める。
芸能人の趣味の絵が入選や受賞する二科展以上に、日展のコンテストとしての権威はとうに失われていたようだが、組織的な不正審査だけでなく、新聞マスコミを含む構造的な腐敗を支える集金システムにまで、はたして追及は及ぶだろうか。
亡くなった父は、仕事を辞めた後、70歳を過ぎてから書道をはじめた。「新聞の公募展に入選した」と嬉しげに紙面を見せられたことがある。「将来は自宅でささやかな書道塾でも開ければというのが、今のところの夢だな」と父は語った。
塞ぎがちだった父の明るい様子を喜んだが、素人目からみても、父の書はとても巧いとは思えず、他の入選作にも感心しなかった。地方面とはいえ、一頁全面を埋め尽くしていた講評付きの入選作発表の紙面は、書道団体の買い切り広告に思えたが、それは黙っていた。
「たいしたもんじゃないか」と母に水を向けると、「そうだね、お父さんにそんな才能があったなんてね」と笑顔を浮かべた。それに照れるように、父が「でもな、けっこう金がかかるんだよ」と苦笑いしながらつけくわえた。母はうつむいていた。
父の机には、高価そうな書道の本が何冊も並び、高価そうな筆が何本も掛かっていた。父も母も気づいていたし、知っていたのだと今になって思う。老後の暇つぶしに趣味を持ち、日々の楽しみを見つけることはよいことだ、という通念に振り回されていることを。
TVドラマを視て、個性的な俳優や演技に接すると、「一風変わった芸風だな」というのが癖だった父。「一風変わった」が気の利いた言い回しだと思っていた、文化芸術にほとんど興味関心がなかったはずの父にとって、書道はひとつの投資だったのだろうと思う。
株式や債券などの金融商品と同様に、家元制度も投資とリターンで成り立つ。違いがあるとすれば、金融商品の場合、企業や市場など投資情報について透明性が担保されているはずだが、家元制度にそれはない。あくまでも民間の愛好者が集うものだからだ。
リターンについても、家元制度では金銭ばかりではなく、名誉や褒章という「人生の夢」に重きが置かれるところが異なるだろう。投資対象とリターンのいずれもが不透明だが、文化芸術に価値を見出す者には十分な価値を持つ。その限りでは、家元制度に何の問題もない。
問題は、日本芸術院や文化功労者、文化勲章など、国の文化行政が、家元制度の劣化コピーの頂点を形成していることだろう。民間の権威であるべき家元が、国と公共を背景として組織的に老人たちを囲い込み、その老後の蓄えを吸い上げる仕組みを作っていることだ。
権威も金も二重取りとは業つくだし、不正審査で応募者を裏切ってきたなら、せめて「家元」たちは、国民の税金が原資である年金や報酬、また勲章などは返上すべきではないか。欲が深すぎるというものだろう。私の父からだけでも、50万円以上はせしめているのだから、
追記:父の書道も数年は私の年賀状の宛名書きに役立ったが、その父もやがて「筆まめ」を使うようになった。
(敬称略)
日展書道「篆刻」、入選を事前配分 有力会派で独占
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000006-jct-soci
みのもんたの次男逮捕や阪急阪神ホテルの食材偽装を追及するなら、同様に不正審査と金まみれの日展のジジイどもに謝罪記者会見を迫るべきだろう。
ヤクザの自動車ローンを組んだことで、歴代頭取に役員報酬の「自主返上」を発表したみずほ銀行のように、日展の理事長や常務理事など幹部に報酬の「自主返上」を、日本芸術院会員は「年金辞退」を、文化功労者や文化賞などに「叙勲の返上」などを迫るのは、当然のことではないか。
日展審査で「不正発覚」と朝日スクープ 美術関係者「あ~あ、そこは秘密ってコトだったのに」
http://www.j-cast.com/2013/10/30187698.html
日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5科のうち、書科の石に字を刻む篆刻(てんこく)部門で、会派別入選数の配分表と手紙という具体的な証拠を朝日新聞は入手したわけだが、ことはもちろん書道界だけにとどまらず、日本の美術界全体に及ぶと読める。
芸能人の趣味の絵が入選や受賞する二科展以上に、日展のコンテストとしての権威はとうに失われていたようだが、組織的な不正審査だけでなく、新聞マスコミを含む構造的な腐敗を支える集金システムにまで、はたして追及は及ぶだろうか。
亡くなった父は、仕事を辞めた後、70歳を過ぎてから書道をはじめた。「新聞の公募展に入選した」と嬉しげに紙面を見せられたことがある。「将来は自宅でささやかな書道塾でも開ければというのが、今のところの夢だな」と父は語った。
塞ぎがちだった父の明るい様子を喜んだが、素人目からみても、父の書はとても巧いとは思えず、他の入選作にも感心しなかった。地方面とはいえ、一頁全面を埋め尽くしていた講評付きの入選作発表の紙面は、書道団体の買い切り広告に思えたが、それは黙っていた。
「たいしたもんじゃないか」と母に水を向けると、「そうだね、お父さんにそんな才能があったなんてね」と笑顔を浮かべた。それに照れるように、父が「でもな、けっこう金がかかるんだよ」と苦笑いしながらつけくわえた。母はうつむいていた。
父の机には、高価そうな書道の本が何冊も並び、高価そうな筆が何本も掛かっていた。父も母も気づいていたし、知っていたのだと今になって思う。老後の暇つぶしに趣味を持ち、日々の楽しみを見つけることはよいことだ、という通念に振り回されていることを。
TVドラマを視て、個性的な俳優や演技に接すると、「一風変わった芸風だな」というのが癖だった父。「一風変わった」が気の利いた言い回しだと思っていた、文化芸術にほとんど興味関心がなかったはずの父にとって、書道はひとつの投資だったのだろうと思う。
株式や債券などの金融商品と同様に、家元制度も投資とリターンで成り立つ。違いがあるとすれば、金融商品の場合、企業や市場など投資情報について透明性が担保されているはずだが、家元制度にそれはない。あくまでも民間の愛好者が集うものだからだ。
リターンについても、家元制度では金銭ばかりではなく、名誉や褒章という「人生の夢」に重きが置かれるところが異なるだろう。投資対象とリターンのいずれもが不透明だが、文化芸術に価値を見出す者には十分な価値を持つ。その限りでは、家元制度に何の問題もない。
問題は、日本芸術院や文化功労者、文化勲章など、国の文化行政が、家元制度の劣化コピーの頂点を形成していることだろう。民間の権威であるべき家元が、国と公共を背景として組織的に老人たちを囲い込み、その老後の蓄えを吸い上げる仕組みを作っていることだ。
権威も金も二重取りとは業つくだし、不正審査で応募者を裏切ってきたなら、せめて「家元」たちは、国民の税金が原資である年金や報酬、また勲章などは返上すべきではないか。欲が深すぎるというものだろう。私の父からだけでも、50万円以上はせしめているのだから、
追記:父の書道も数年は私の年賀状の宛名書きに役立ったが、その父もやがて「筆まめ」を使うようになった。
(敬称略)