今年79歳の誕生日を迎えられた皇后陛下が、宮内記者会の質問に文書で答えられた。そのなかで、五日市憲法に言及されたのが話題になっています。明治憲法と現行憲法、自民党や読売新聞の改正憲法草案を比較する記事を書いていながら、五日市憲法については、恥ずかしながら初耳でした。
天皇皇后両陛下をはじめ、皇族のお言葉や談話とは、日本人なら老若男女、誰もが聴いてわかる、ごく一般的な事柄について、ごく穏当な所感が述べられるもの。そう思っていたが、これはまったくそうではありません。一読すれば誰でもわかるはずです。
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。
当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
質問には含まれていない憲法改正論議について、五日市憲法草案に寄せて、異例の政治的なご発言といえるでしょう。もちろん、皇后陛下が憲法改正に異議申し立てされたとするのは短見に過ぎます。しかし、少なくとも、明治憲法や現行憲法、自民党や読売新聞の改憲草案に、五日市憲法草案を対比させたとはいえるでしょう。
そういえば、一般的な事柄ではないことに言及された前例がありました。2001年、天皇誕生日前の恒例の記者会見で、翌年に予定されるサッカーワールドカップ日韓共催に関連して、天皇陛下は次のような「お言葉」を述べられました。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。
国民の間に嫌韓意識や気分が広まり、日韓関係が袋小路に入りつつあるなかで、韓国との「ゆかり」に寄せて、アジアに根ざすという日本の外交の枠組みを示した、歴史発言といえるでしょう。この天皇陛下の歴史発言を踏まえて、日本は19世紀末から民権思想が広まっていた、という民主国家日本の伝統を示したのが、今回の皇后発言だったのではないでしょうか。
つまり、天皇皇后両陛下は、日本の歴史と伝統について、断片的にですが、自らの信ずるところを述べられたわけです。両陛下の歴史知識や近代への教養は、学校の歴史教科書の記述のように、当たり障りにない穏当な範囲に止まると思い込んでいましたが、どうもその程度のものではなさそうです。
と皇后陛下が質問されたそうですが、「やっているのですか?」はたぶんテロップにする際の編集。「おやりになってるんですってね」の黒柳徹子じゃあるまいし、「なさってるのですか?」か「なさってらっしゃるの?」あたりが、実際のお言葉だろう。
当ブログでも、「占領と改革」で戦時体制から胎動し占領期に爆発的に発展した「戦後民主主義」について書いていますが、両陛下の思索する射程はそれよりずっと遠く広いものです。少し考えてみれば、当たり前のことなのですが。とすれば、日本で「いちばんリベラルなご夫婦」という理解は短見に過ぎないわけで、今回の皇后のお言葉を歓迎するにしろ、否定無視するにしろ、ちょっと私たちには及びがつかないかもしれないな、という自戒の念くらいは持っておく必要がありそうです。といっているそばから、
子どもと労働者を被ばくから救って下さるようお手をお貸し下さい。
という文面の手紙を、日本で「いちばんリベラルなご夫婦」と思いこんで、ご主人の方に手渡した山本太郎という御仁が出ました。歴史と伝統を踏まえていないのが残念です。参議院議員として今上天皇に直訴するなら、田中正造に倣い、羽織袴に威儀を整え、平伏して直訴状を差し出すべきでしょう。これも過去に書いたことがありますが。
ホームレスではありません。田中正造衆議院議員です
何か、過去ログも読んで下さいねと云わんばかりのリンクが多いと思われるかもしれませんが、過去ログも読んで下さいねという厚かましいお願いのほかに、他意はありません。この連休は、あきる野市の五日市郷土館を訪ねてみましょう。
五日市郷土館。五日市渓谷の紅葉は美しいですよ
(敬称略)
天皇皇后両陛下をはじめ、皇族のお言葉や談話とは、日本人なら老若男女、誰もが聴いてわかる、ごく一般的な事柄について、ごく穏当な所感が述べられるもの。そう思っていたが、これはまったくそうではありません。一読すれば誰でもわかるはずです。
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。
当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
質問には含まれていない憲法改正論議について、五日市憲法草案に寄せて、異例の政治的なご発言といえるでしょう。もちろん、皇后陛下が憲法改正に異議申し立てされたとするのは短見に過ぎます。しかし、少なくとも、明治憲法や現行憲法、自民党や読売新聞の改憲草案に、五日市憲法草案を対比させたとはいえるでしょう。
そういえば、一般的な事柄ではないことに言及された前例がありました。2001年、天皇誕生日前の恒例の記者会見で、翌年に予定されるサッカーワールドカップ日韓共催に関連して、天皇陛下は次のような「お言葉」を述べられました。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。
国民の間に嫌韓意識や気分が広まり、日韓関係が袋小路に入りつつあるなかで、韓国との「ゆかり」に寄せて、アジアに根ざすという日本の外交の枠組みを示した、歴史発言といえるでしょう。この天皇陛下の歴史発言を踏まえて、日本は19世紀末から民権思想が広まっていた、という民主国家日本の伝統を示したのが、今回の皇后発言だったのではないでしょうか。
つまり、天皇皇后両陛下は、日本の歴史と伝統について、断片的にですが、自らの信ずるところを述べられたわけです。両陛下の歴史知識や近代への教養は、学校の歴史教科書の記述のように、当たり障りにない穏当な範囲に止まると思い込んでいましたが、どうもその程度のものではなさそうです。
と皇后陛下が質問されたそうですが、「やっているのですか?」はたぶんテロップにする際の編集。「おやりになってるんですってね」の黒柳徹子じゃあるまいし、「なさってるのですか?」か「なさってらっしゃるの?」あたりが、実際のお言葉だろう。
当ブログでも、「占領と改革」で戦時体制から胎動し占領期に爆発的に発展した「戦後民主主義」について書いていますが、両陛下の思索する射程はそれよりずっと遠く広いものです。少し考えてみれば、当たり前のことなのですが。とすれば、日本で「いちばんリベラルなご夫婦」という理解は短見に過ぎないわけで、今回の皇后のお言葉を歓迎するにしろ、否定無視するにしろ、ちょっと私たちには及びがつかないかもしれないな、という自戒の念くらいは持っておく必要がありそうです。といっているそばから、
子どもと労働者を被ばくから救って下さるようお手をお貸し下さい。
という文面の手紙を、日本で「いちばんリベラルなご夫婦」と思いこんで、ご主人の方に手渡した山本太郎という御仁が出ました。歴史と伝統を踏まえていないのが残念です。参議院議員として今上天皇に直訴するなら、田中正造に倣い、羽織袴に威儀を整え、平伏して直訴状を差し出すべきでしょう。これも過去に書いたことがありますが。
ホームレスではありません。田中正造衆議院議員です
何か、過去ログも読んで下さいねと云わんばかりのリンクが多いと思われるかもしれませんが、過去ログも読んで下さいねという厚かましいお願いのほかに、他意はありません。この連休は、あきる野市の五日市郷土館を訪ねてみましょう。
五日市郷土館。五日市渓谷の紅葉は美しいですよ
(敬称略)