もう4日ですから、遅きに失したでしょうが、正月休みにDVD映画を観るなら、ウィル・スミス父子の未来SF「アフター・アース」、ブラット・ピットの「ワールド・ウォーZ」、スーパーマンをリメイクした「マン・オブ・スティール」、日本怪獣映画へオマージュの「パシフィック・リム」、青春と超能力を描いた「クロニクル」などではなく、「グランド・マスター」か、この「ベルリンファイル」を自信を持ってお勧めします。
正月映画にとどまらず、年間ベストランキング入りしてもおかしくない作品です。「グランド・マスター」は中国(香港)映画でなければ生まれない武侠映画の傑作でしたが、この「ベルリンファイル」も、現実に北朝鮮と諜報戦を戦っている韓国でなければつくれないスパイ映画です。
TUTAYAの準新作コーナーには、フランスのスパイ映画「メビウス」という佳作も並んでいますが、スパイ映画としては比べものにならない劣後です。それでも「メビウス」を佳作とするのは、フランス映画らしい官能的な恋愛映画と読み換えることができるからです。「メビウス」のとても今日的で古風なラブシーンについては、後日、稿を改めて。
さて、「ベルリン・ファイル」は、ベルリンを舞台に、北朝鮮と韓国の諜報員と防諜部員が激闘を繰り広げます。年末の張成沢(チャンソンテク)銃殺刑を予見したような、金正恩へ代替わり後の北朝鮮権力内部の暗闘を背景に、武器輸出や巨額の隠し口座をめぐり、CIAやイスラエルのモサド、ドイツ政府の高官、アラブの武器商人、ロシア人仲介者たちが、めまぐるしく絡みます。
この敵味方入り乱れて裏切り裏切られ追いつ追われつ殺し殺され息もつかせぬスピードの展開がすばらしい。アメリカのスパイアクション映画のように、スター俳優の無駄口やぼやき、つぶやき、ウインクなどを入れる暇もなく、すべてをめまぐるしい身体の動きとそれを追うカメラワークで表現していきます。
乱闘になれば、手近な小道具を武器に駆使するアイディアも、さらっと流して鼻につきません。たとえば、冷蔵庫に突き飛ばされ、開いたドアにもたれて、中に入っていた缶詰を手に、相手に殴りかかる。ハリウッド映画やたぶん日本映画でも、あらかじめ冷蔵庫と中を見せ、缶詰を観客に認知させる伏線を張るはずです。
「ベルリン・ファイル」は、バスター・キートンのスラップスティックばりに、冷蔵庫、ドア開く、缶詰つかむ、ふりかぶる、と2秒もかからず、缶詰もすぐに捨てられます。「ほう、南では頭に拳銃を突きつけるのか?」という北朝鮮諜報員の冷笑は伏線ですが、ずっと後に大胆なアクションにつなげて、もったいつけた説明的な映画文法を採用しません。
グローバルな映画市場を視野に、会話や表情の演技ではなく、動きと移動でわからせたいからでしょう。韓国人や日本人など東洋人の顔つきや表情は、よほどアップにでもしないかぎりよく見分けがつかず、アップにしても鑑賞に堪えるものではありません。この映画の白人やアラブ人俳優たちに比べると、韓国人俳優の顔は特徴がなく無個性に見えます。
そこが逆に、目立たず無表情なスパイ役にはうってつけなのですが、おかげで外国人俳優たちの演技がより達者に見え、存在感を増すという相乗効果を上げています。邦画に客演する有名外国人俳優たちとは違って、ほとんど無名の外国人俳優のようですが、脇役や端役ながら存在感を示し、かつ主役を立てる控えめな演技を指導する力量は邦画には見当たりません。
また、白人と東洋人の肌色が違うせいで、白い肌にトーンを合わせれば、東洋人の肌色が実際以上に茶褐色になり、黄色い肌に合わせれば、白人俳優の肌色を白く飛ばしてしまう映像の不調も最小限に抑えています。これらはいずれも、監督をはじめ製作側に、成熟したプロの手腕がなければできないことです。
良くも悪くも邦画には作家性という手垢が目立ちますが、小さな国内市場からグローバルな映画市場をめざす韓国映画は、まっさきに語り口という作家の手垢を捨て去り、標準化した演出作法を身につけたようです。ハ・ジョンウやハン・ソッキュ、リュ・スンボム、チョン・ジヒョンでなくとも、スウェーデンやベルギーの白人俳優を起用した映画でもすぐにつくれるはずです。
ちなみに、「オールドボーイ」で名を上げたパク・チャヌク監督の純正ハリウッド作品「イノセント・ガーデン」もなかなかの出来でした。
「グランド・マスター」や「ベルリン・ファイル」を観て、こういうジャンルの映画ではとても邦画は敵わない、とあらためて思いました。たしかに彼らはグローバルな映画を作っています。邦画がそれに追随すべきかどうかは別にして、彼らが映画史に新たなページをくわえているのはたしかなようです。
マスメディアで接する中韓とは異なり、彼らが作る映画は大人の鑑賞に堪える複雑で滋味豊かな作品が少なくありません。日本はどうでしょう。マスメディアと映画を問わず、幼稚で硬直した姿勢が目立つように思えます。
(敬称略)
正月映画にとどまらず、年間ベストランキング入りしてもおかしくない作品です。「グランド・マスター」は中国(香港)映画でなければ生まれない武侠映画の傑作でしたが、この「ベルリンファイル」も、現実に北朝鮮と諜報戦を戦っている韓国でなければつくれないスパイ映画です。
TUTAYAの準新作コーナーには、フランスのスパイ映画「メビウス」という佳作も並んでいますが、スパイ映画としては比べものにならない劣後です。それでも「メビウス」を佳作とするのは、フランス映画らしい官能的な恋愛映画と読み換えることができるからです。「メビウス」のとても今日的で古風なラブシーンについては、後日、稿を改めて。
さて、「ベルリン・ファイル」は、ベルリンを舞台に、北朝鮮と韓国の諜報員と防諜部員が激闘を繰り広げます。年末の張成沢(チャンソンテク)銃殺刑を予見したような、金正恩へ代替わり後の北朝鮮権力内部の暗闘を背景に、武器輸出や巨額の隠し口座をめぐり、CIAやイスラエルのモサド、ドイツ政府の高官、アラブの武器商人、ロシア人仲介者たちが、めまぐるしく絡みます。
この敵味方入り乱れて裏切り裏切られ追いつ追われつ殺し殺され息もつかせぬスピードの展開がすばらしい。アメリカのスパイアクション映画のように、スター俳優の無駄口やぼやき、つぶやき、ウインクなどを入れる暇もなく、すべてをめまぐるしい身体の動きとそれを追うカメラワークで表現していきます。
乱闘になれば、手近な小道具を武器に駆使するアイディアも、さらっと流して鼻につきません。たとえば、冷蔵庫に突き飛ばされ、開いたドアにもたれて、中に入っていた缶詰を手に、相手に殴りかかる。ハリウッド映画やたぶん日本映画でも、あらかじめ冷蔵庫と中を見せ、缶詰を観客に認知させる伏線を張るはずです。
「ベルリン・ファイル」は、バスター・キートンのスラップスティックばりに、冷蔵庫、ドア開く、缶詰つかむ、ふりかぶる、と2秒もかからず、缶詰もすぐに捨てられます。「ほう、南では頭に拳銃を突きつけるのか?」という北朝鮮諜報員の冷笑は伏線ですが、ずっと後に大胆なアクションにつなげて、もったいつけた説明的な映画文法を採用しません。
グローバルな映画市場を視野に、会話や表情の演技ではなく、動きと移動でわからせたいからでしょう。韓国人や日本人など東洋人の顔つきや表情は、よほどアップにでもしないかぎりよく見分けがつかず、アップにしても鑑賞に堪えるものではありません。この映画の白人やアラブ人俳優たちに比べると、韓国人俳優の顔は特徴がなく無個性に見えます。
そこが逆に、目立たず無表情なスパイ役にはうってつけなのですが、おかげで外国人俳優たちの演技がより達者に見え、存在感を増すという相乗効果を上げています。邦画に客演する有名外国人俳優たちとは違って、ほとんど無名の外国人俳優のようですが、脇役や端役ながら存在感を示し、かつ主役を立てる控えめな演技を指導する力量は邦画には見当たりません。
また、白人と東洋人の肌色が違うせいで、白い肌にトーンを合わせれば、東洋人の肌色が実際以上に茶褐色になり、黄色い肌に合わせれば、白人俳優の肌色を白く飛ばしてしまう映像の不調も最小限に抑えています。これらはいずれも、監督をはじめ製作側に、成熟したプロの手腕がなければできないことです。
良くも悪くも邦画には作家性という手垢が目立ちますが、小さな国内市場からグローバルな映画市場をめざす韓国映画は、まっさきに語り口という作家の手垢を捨て去り、標準化した演出作法を身につけたようです。ハ・ジョンウやハン・ソッキュ、リュ・スンボム、チョン・ジヒョンでなくとも、スウェーデンやベルギーの白人俳優を起用した映画でもすぐにつくれるはずです。
ちなみに、「オールドボーイ」で名を上げたパク・チャヌク監督の純正ハリウッド作品「イノセント・ガーデン」もなかなかの出来でした。
「グランド・マスター」や「ベルリン・ファイル」を観て、こういうジャンルの映画ではとても邦画は敵わない、とあらためて思いました。たしかに彼らはグローバルな映画を作っています。邦画がそれに追随すべきかどうかは別にして、彼らが映画史に新たなページをくわえているのはたしかなようです。
マスメディアで接する中韓とは異なり、彼らが作る映画は大人の鑑賞に堪える複雑で滋味豊かな作品が少なくありません。日本はどうでしょう。マスメディアと映画を問わず、幼稚で硬直した姿勢が目立つように思えます。
(敬称略)