コタツ評論

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週末はレバニラ炒めを

2014-09-11 23:20:00 | レンタルDVD映画



昨夜、CATVのチャンネルNEKOで園子温の「地獄でなぜ悪い」を放映していた。期待せずに観はじめて、ついに最後までつきあった。うん、わるくなかった。いや、よかったかも。むしろ、すばらしかった、といって過言ではないだろう。歯切れが悪い? だってさ、あらすじが紹介できないほど、でたらめな作品なんだから。あらすじが成立しない。つまり、荒唐無稽がテーマといえばテーマ。

観るべきポイントは、まず日本のお父さん俳優になりつつある國村隼の怪演。クリストフ・ヴァルツを「オーストリアの國村隼」と呼んできたが、國村隼を「日本のクリストフ・ヴァルツ」と称さねばならなくなってきたかと最近の彼には落胆していた。それは杞憂であったようで、「日本のタランティーノ」園子温のおかげで、かつての饒舌でスタイリッシュで非リアリな國村隼が帰ってきた。

タランティーノにつらなるのは、園子温ではなくて「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」を撮った三池崇史だろうという声が多いだろうが、「地獄でなぜ悪い」は明らかに、タランティーノ脚本の「フロム・ダスク・ティル・ドーン」を想いださせる。

そして、園子温とタランティーノが本質的に似かよっているのは、その daily conversation の頭が足らん感なのだ。この二人は、そのまま土方のおっさんやトラック運転手、焼き肉屋の店員、キャバクラのおねえちゃん、などと話せるのである。よい意味で、というのも変だが、一見してみれば、頭が足りなそうだし、その作品を凝視しても、やはり頭が足りないと思えるのだ。映像に頭が足りない爽快感が横溢している。「そんな考え込まずに、思い込まずに、観たまんまを楽しめよ、映画なんて、そんなもんだろ?」というニヤニヤ笑いを作品にしているのだ。

次のポイントは、よおく観なさいよ。二階堂ふみの腰のくびれだ。日本の女優というより、日本の女に腰がくびれたのは少ない。いい女というのは、この際だから教えておくが、腰がくびれて、足首がキュッと締まって、口角のクィッと上がっている女だ。なかでも腰のくびれは稀少である。ま、知ってる人は知っているが。

タランティーノ作品のほとんどが、「映画の映画」であり、「映画へのオマージュ」をテーマとしているように、「地獄でなぜ悪い」も「映画のための映画」である。いま、(映画のための)と打ち込んだら、打ち損ねて、<映画炒め>と出た。これは合縁奇縁かも。メタ映画とか、オマージュとか、気取ることはない。ようするに、「映画炒め」なのだ、「地獄でなぜ悪い」も。ヤクザの殴り込みをそのまま映画に撮ろうというんだから。

監督と撮影スタッフは、8ミリ映画を自主制作してきたアマチュア仲間。高校時代から10年たっても、ビデオカメラに機材を変えただけで、「平成のブルース・リー」主演のアクション映画をつくることを夢見ている。ほら、どの映画を「映画炒め」したか、もうわかったね。「桐島、部活やめるってよ」の映画部こそ、「地獄でなぜ悪い」のファック・ボンバーズなんだよ。神木隆之介君の10年後、28歳を長谷川博己が演っているわけだ。

「桐島」がゾンビ、「地獄」がブルース・リーという世代の違いはあれど、明らかに見立て、返歌、変奏である。日本では、オマージュなんて気恥ずかしい野暮な言葉は使わないのだ。オマージュなんてソバージュくらいが似合いだな。あとね、最後に警察が出動するのは、ただのお約束だからね。刺身のつまの大根の千切り。とにかく観てよ。元気が出るよお。こんなでたらめな映画は日本でなきゃできないって優越感にひたれるぜ。いまのところ、今年のベスト1だ。最近は、あまり映画を観てないんだが。

(敬称略)
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