コタツ評論

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編集不在の「編集手帳」

2018-04-13 14:06:00 | ノンジャンル
モーニングサービスを食おうとガストに入ると、やっぱり読売新聞が各テーブルに配られていた。宣伝拡販のためだろうが、猫のトイレの下に敷くのにちょうどよいので、読み捨てずに喜んで持ち帰っている。

むかしは便所の落とし紙や弁当の包み紙として、新聞紙は各家庭になくてはならぬものだった。焼き芋や野菜も新聞紙にくるんで渡したものだ。あらかじめ濡らして千切った新聞紙を畳に撒いて埃を吸わしてから、ホウキで掃き寄せるという掃除法も一般的だった。大掃除などで畳を上げた際には、湿気とりのために新聞紙を下に敷いたりもした。

そんな風に新聞紙を使わなくなってから久しい。

むかしながらの使い方で、いまでも新聞紙が最適といえるのは揚げ物をするときの油受けくらいか。あとは陶器など割れ物を荷づくりするときの緩衝材として引っ越しには束であったほうがよい。

どの新聞も発行部数が激減しているそうだが、むかしは新聞紙の「使命」も多岐に渡っていたわけだ。

もっぱら新聞を読んでいたのはじつは一握りで、おとうさんやおじいちゃんくらいが読者ではなかったかと私は疑っている。ならば、発行部数が世界一の800万部や1000万部といったところで、じっさいの読者はそこから一桁は下るだろう。

とくに調べずとも、新聞の読物記事を読めば、たいていの人にそれはわかるはずで、着想や視点、理屈がとにかくふるいのだ。

というわけで無料の新聞紙はありがたいが、こんな記事ならまた読売を読んでみたいな、とは思えなかった4月12日(木)の読売新聞「編集手帳」である。

まず、筆者が竹内政明さんにしては粗雑な書きぶりだなと首をひねった。

怪奇小説『ドグラ・マグラ』で知られる夢野久作に、『白菊』という短編がある。脱獄囚「虎蔵」が必死に逃げる様子を描いている◆いがぐり頭、黒血だらけの引っかき傷、泥とほこりにまみれた足――こんな男が民家に忍び込み、少女の寝顔をのぞき込むシーンは読んでいて、一瞬息を止めた。美しい星空、鉢に咲く白い菊の花さえ男を落ち着かせることはなく、精神は混乱の極みに達していく…。◆どんな精神状態か、懸念は増すばかりだろう。愛媛県今治市の松山刑務所造船作業場から窃盗罪などで服役中の男(27)が逃げ出し、今日が5日目になる◆男が運転する盗難車両と警察車両が、今治市と広島県尾道市を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」ですれ違ったという。捜査員が尾道市の出口で待ち伏せしたが現れず、車は海道途中の「向島で見つかった。そこは漁業と観光の島で人口も少なくない。万が一にも住民が傷つく事件が起こらぬよう祈るばかりである。瀬戸内のきれいな星空や花々が、男の改悛の情を誘うことを」◆朝刊が配られる前に捕まれば、当欄は非常にまぬけなことになる。それを一番に望む。

>一瞬息を止めた。

映画や小説のサスペンスフルな場面に、「息をのんだ」「固唾をのむ」、あるいは「釘づけになった」とはいうが、「一瞬息を止めた」という表現に違和感を覚えた。

夢野久作が小説中に描写した、怖ろし気な脱獄囚が忍び込んだ家で少女の無心の寝顔に見入るという長々とした引用が、筆者、あるいはがそこを読んでいる、短くない時間が、「一瞬」と矛盾するからだ。

>美しい星空、鉢に咲く白い菊の花さえ男を落ち着かせることはなく、精神は混乱の極みに達していく…。

ここまでは、夢野久作が小説中に描いた、脱獄囚「虎蔵」の精神状態なのだが、

>◆どんな精神状態か、懸念は増すばかりだろう。

と続けて、いきなり、現在向島に潜伏中とされる平尾龍磨容疑者に重ねている。何か根拠があるとはとても思えず、ただ不安を煽るだけの印象操作にしか読めないのは、平尾容疑者像とこれまた矛盾するからだ。

>捜査員が尾道市の出口で待ち伏せしたが現れず、

高速道路で犯人の車とすれ違ったことに捜査員は気づいた。平尾容疑者もまた気づいたからこそ、そのまま出口には向かわず、向島で高速を下りたわけだ。

「精神は混乱の極みに達して」とは反対に冷静でクレバーな犯人と考えるのが妥当ではないか。

>そこは漁業と観光の島で人口も少なくない。

と広島県尾道市向島(むかいしま)という離島を紹介しているが、向島に多少土地勘のある者としてはやはり違和感を抱く書き様だ。

向島の高見山展望台からのしまなみ海道を臨む眺む

人口は2万数千余だから、たしかに「少なくない」といえるが、潜伏先の可能性として1千軒を越える空き家があるという報道がされている。ちなみに世帯数は約9000世帯弱である(平成27年)。

筆者は読売新聞の広島支局に電話で問い合わせしなかったのだろうか。

問い合わせていれば、過疎が進んだ空き家だらけの島と知り、「菊の鉢植え」や「少女の寝顔」を避けたい犯人は空き家に潜む可能性が高いとわかるはずだ。

つまり、夢野久作小説の引用14行がまるで無駄というより、まったく余計なのだ。

「漁業と観光の島」というのも初耳だった。向島は尾道造船のドックがある島として知られているが、漁業というほどの規模の水揚げ量はない。

尾道水道を見下ろす高見山からの眺望は見事だが、それ以外には観光資源も乏しい。ホテルや旅館、土産物店など観光産業と呼べるものは、渡船で渡れる対岸の尾道の町に集中しているのだ。

ウィキペディアの「4.産業」でも、この程度の記述でしかない。

>造船業、ワケギ・ミカン・洋ランの栽培、漁業

ようするに、高見山以外はミカン山だけの造船ドックがある過疎の島なのだ。

取材にも筆致にも丁寧さを欠いた独り善がりに幾度となく首をひねったが、最近、コラム執筆者が竹内政明さんから清水純一という人に交代したそうだ。なるほど。

じつは、「一瞬息を止めた」で一瞬読むのをやめようかと思ったのだが、やめていればよかったかもしれない。朝食のこなれがわるい気がする。

しかし、ガストのスクランブルとソーセージはわるくない。家でつくっても、こんな風にトロトロにはならず、炒り卵になってしまう。ソーセージも香薫やシャウエッセンでは及ばない風味がある。

(止め)

コメント
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