先に、『新潮45』の休刊(実際は廃刊)を受けて、おなじ新潮社の月刊文芸誌『新潮』の編集長が「反省文」を書いたので俎上にのせた。
その同じ11月号に作家高橋源一郎が、<「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた>を寄稿して、そこそこ話題を呼んだ。
高橋源一郎の小説は読んだことはないが、『文学がこんなにわかっていいかしら』『文学じゃないかもしれない症候群』『文学なんかこわくない』『一億三千万人のための小説教室』、そして「評論文学」とでも名づけるべきか、『日本文学盛衰史』など、高橋の「文芸評論」を好んで読んできたので、「文藝評論家」小川榮太郎 VS 「文芸評論好き」高橋源一郎には興味をそそられた。
図書館に寄る機会でもあれば、『月刊新潮』を探して、高橋寄稿文を読んでみたいと思っていたのだが、Web上で公開されたので紹介する。
http://kangaeruhito.jp/articles/-あま/2641
9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。
どうしてこの原稿を書く羽目になったか、思ったこと考えたことを17行も「不必要に」書き連ねている。どうして高橋ほどの書き手がこんな駆け出しのデーターマン原稿のような冗漫な書き出しにしたのか。
たぶん、書きたくなかった、書く気にならないまま書き出したからだと思う。
いまではどうか知らないが、昔、新潮や文春など出版社系の週刊誌記事は、データーマンとアンカーマンのチームで作られていた。数人の取材記者(データーマン)が取材データを集め、ベテランライターである執筆者(アンカーマン)がそのデータを使って記事にまとめるのだ。
昨日聞いて、今日取材して、明日は原稿にしなければならない週刊誌では、一人ですべてをこなせず、取材と執筆の役割が分業化したのである。
執筆するアンカーマンも取材するデーターマンも原稿用紙1枚いくらで報酬が支払われることでは同じ。アンカーマンの原稿料は原稿用紙数×ページで決まっているが、データーマンの原稿枚数は決まっていない。書けば書くほど、ギャラは多くなるのである(もちろん、データーマンの原稿単価はアンカーマンよりはるかに低いのだが)。
そこで、データーマンのなかには、ダラダラ長いデータ原稿を書いて出す者もいた。「編集から電話がかかってきた」とエッセイ風に書き出し、「前夜、飲みすぎてフラフラなのに、いきなり安宅産業を取材しろというが、こちらは何の知識もない」など、埒もないことを延々書き連ねるのがよくあるパターンだった。これで原稿用紙4、5枚はよけいに稼げるのである。
毎号、毎号、たくさんの記事で誌面を埋めなければいけない週刊誌では、ライティングマシーンやデータマシーンが求められたわけだ。何の興味や関心もなく、当然、情報や知識の蓄積などほとんどないまま取材に出かけ、その報告を原稿にしなければならないデーターマンに「玉稿」を期待することもできず、そんなダラダラ原稿にも「しょうがない奴だな」と舌打ちしながら、大目に見るのがアンカーマンや編集者のつねだった。
「何も知らない人」がそのトピックをどう受け取り、取材した事実に何を思い考えながら歩いたのかという意識と視点は、「何も知らない読者」を想定すれば、いちがいに不要な駄文と切り捨てもできない。そういう考えもあったろう。まだネットは普及しておらず、活字媒体がメディアの中心にいた頃、いまから思えば人も仕事も余裕がある豊かな時代だった。
残念ながら、高橋源一郎文にもかつてのデーターマンと同様な、書くことへの飽きと諦めがうかがえた。ほんとうに書きたくなかったのだし、書く気にならない相手だったのだろう。全編、その言い訳に終始したようにも思う。
また、対手を「物書き」と認識していたなら、「小川さん」などと敬称をつけず、呼び捨てにするのが一種の礼儀とさえ思うが、「リスペクト」にこだわって、自縄自縛になっている。
もちろん、かつて同様な文学青年時代を送り、その「文学愛」にも共感したのは事実だろうし、あるいはもしかすると、「小川榮太郎」になっていたかもしれない「高橋源一郎」として、つまり我が事のように、「泣いてしまった」というのが正当な読み方だろうとは思う。
であれば、「リスペクト」のようなPC風を捨ててかかるべきで、そもそも、「リスペクト」は読み手に結果的に感じさせるもので、思想のように押しつけるものではないはず。また、それが、「小川榮太郎氏」ではなく、「小川榮太郎なるもの」への「リスペクト」というより、「気遣い」に堕していることに気づいていないようにも思える。
かの「小川榮太郎氏」がこの「話題になった」高橋文を歯牙にもかけないと言っているのは、あながち強がりばかりではなく、手続きと自虐にリスペクトを絡めて、「小川榮太郎」シンパへも色目をつかった迷走文と正しく読解したのではないかと思う。高橋さん、今回はちょっと残念でした。
(敬称略もあり)
その同じ11月号に作家高橋源一郎が、<「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた>を寄稿して、そこそこ話題を呼んだ。
高橋源一郎の小説は読んだことはないが、『文学がこんなにわかっていいかしら』『文学じゃないかもしれない症候群』『文学なんかこわくない』『一億三千万人のための小説教室』、そして「評論文学」とでも名づけるべきか、『日本文学盛衰史』など、高橋の「文芸評論」を好んで読んできたので、「文藝評論家」小川榮太郎 VS 「文芸評論好き」高橋源一郎には興味をそそられた。
図書館に寄る機会でもあれば、『月刊新潮』を探して、高橋寄稿文を読んでみたいと思っていたのだが、Web上で公開されたので紹介する。
http://kangaeruhito.jp/articles/-あま/2641
9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。
どうしてこの原稿を書く羽目になったか、思ったこと考えたことを17行も「不必要に」書き連ねている。どうして高橋ほどの書き手がこんな駆け出しのデーターマン原稿のような冗漫な書き出しにしたのか。
たぶん、書きたくなかった、書く気にならないまま書き出したからだと思う。
いまではどうか知らないが、昔、新潮や文春など出版社系の週刊誌記事は、データーマンとアンカーマンのチームで作られていた。数人の取材記者(データーマン)が取材データを集め、ベテランライターである執筆者(アンカーマン)がそのデータを使って記事にまとめるのだ。
昨日聞いて、今日取材して、明日は原稿にしなければならない週刊誌では、一人ですべてをこなせず、取材と執筆の役割が分業化したのである。
執筆するアンカーマンも取材するデーターマンも原稿用紙1枚いくらで報酬が支払われることでは同じ。アンカーマンの原稿料は原稿用紙数×ページで決まっているが、データーマンの原稿枚数は決まっていない。書けば書くほど、ギャラは多くなるのである(もちろん、データーマンの原稿単価はアンカーマンよりはるかに低いのだが)。
そこで、データーマンのなかには、ダラダラ長いデータ原稿を書いて出す者もいた。「編集から電話がかかってきた」とエッセイ風に書き出し、「前夜、飲みすぎてフラフラなのに、いきなり安宅産業を取材しろというが、こちらは何の知識もない」など、埒もないことを延々書き連ねるのがよくあるパターンだった。これで原稿用紙4、5枚はよけいに稼げるのである。
毎号、毎号、たくさんの記事で誌面を埋めなければいけない週刊誌では、ライティングマシーンやデータマシーンが求められたわけだ。何の興味や関心もなく、当然、情報や知識の蓄積などほとんどないまま取材に出かけ、その報告を原稿にしなければならないデーターマンに「玉稿」を期待することもできず、そんなダラダラ原稿にも「しょうがない奴だな」と舌打ちしながら、大目に見るのがアンカーマンや編集者のつねだった。
「何も知らない人」がそのトピックをどう受け取り、取材した事実に何を思い考えながら歩いたのかという意識と視点は、「何も知らない読者」を想定すれば、いちがいに不要な駄文と切り捨てもできない。そういう考えもあったろう。まだネットは普及しておらず、活字媒体がメディアの中心にいた頃、いまから思えば人も仕事も余裕がある豊かな時代だった。
残念ながら、高橋源一郎文にもかつてのデーターマンと同様な、書くことへの飽きと諦めがうかがえた。ほんとうに書きたくなかったのだし、書く気にならない相手だったのだろう。全編、その言い訳に終始したようにも思う。
また、対手を「物書き」と認識していたなら、「小川さん」などと敬称をつけず、呼び捨てにするのが一種の礼儀とさえ思うが、「リスペクト」にこだわって、自縄自縛になっている。
もちろん、かつて同様な文学青年時代を送り、その「文学愛」にも共感したのは事実だろうし、あるいはもしかすると、「小川榮太郎」になっていたかもしれない「高橋源一郎」として、つまり我が事のように、「泣いてしまった」というのが正当な読み方だろうとは思う。
であれば、「リスペクト」のようなPC風を捨ててかかるべきで、そもそも、「リスペクト」は読み手に結果的に感じさせるもので、思想のように押しつけるものではないはず。また、それが、「小川榮太郎氏」ではなく、「小川榮太郎なるもの」への「リスペクト」というより、「気遣い」に堕していることに気づいていないようにも思える。
かの「小川榮太郎氏」がこの「話題になった」高橋文を歯牙にもかけないと言っているのは、あながち強がりばかりではなく、手続きと自虐にリスペクトを絡めて、「小川榮太郎」シンパへも色目をつかった迷走文と正しく読解したのではないかと思う。高橋さん、今回はちょっと残念でした。
(敬称略もあり)