ま、俺も若い頃、編集部から学生バイトを8人ほど付けられて雑誌の編集をやったとき、ほぼ1か月続いた作業の後、打ち上げの席で男子学生の一人から、「僕ら男はいいですが、女の子にはもう少し優しくしてもらえたら」といわれた覚えがある。
そういう身に覚えのある俺からみても、事実だとしたら、↓これはとても「指導」や「教育」とはいえず、広河氏だけでなく会社自体があまりに酷い。
広河隆一氏のハラスメント、被害女性が実名手記
https://mainichi.jp/articles/20190131/k00/00m/040/128000c
「お疲れさまでしたあ」、「これでお別れ、さよならね」という場で意を決したような面持ちで、いまでいう「パワハラ」を指摘されたのだが、俺は無言だった。まるで覚えがなかったから、言い訳も反論もできなかったのだ。
「まだ、これだけかあ」「いつまでかかんの?」くらいはいったかもしれないが、怒鳴ったことはないし、罵ったこともないし、対面で説教したこともない。
1000件以上の相手に調査票を送付回収し、確認電話を架けるのバイト学生たちの主な仕事だったから、毎日、それなりの架電数をこなせばいいのだが、仕事の電話を掛けたことがないのだから、電話取材を得意とした俺からみれば、聞いていてイライラしたこともある。
回収期限も締め切りも決まっている。遅々として進まないのに、春風に吹かれたような温顔でいられるわけがない。毎日、仏頂面をしていたかもしれない。
バイト学生に、というより、そんな体制を押しつけてきた編集部に腹立たしかったわけだが、電話なんて100本もかければ、誰だってそこそこうまくなるものなのに、(お前らときたら)とひたすら我慢しているつもりだった。
翌年から、編集部に交渉して調査票の送付回収に関わる電話連絡業務には、50~60代の「おばさん軍団」を集めることにした。専業主婦が多かったおばさんたちも事務的に電話連絡することには不慣れだったが、「何度も電話差し上げているのに、まだご回答が届いていないんですが、どうなってます?」と図々しいのでどんどんはかどった。
もちろん、当時、30過ぎの若造だった俺は、はるかに年長のおばさんたちには気を遣った。「おばさん軍団」で失敗すれば、後がない。フリーライターたちだけでこなせる架電数ではないし、彼らは集団で働くことには不慣れな人たちだ。
いまだに、あの学生バイトたちに厳しくした覚えはないが、彼らに対し、少しく「敬意」は欠けていたのかなとおばさんたちに接していて、気がつくことはあった。無力無能な「子ども」としか見ていなかった。
彼らの仕事が思うようにはかどらなかったのは、「なぜ、できないか」がわからなかった、俺の指導力の不足によるものだったとかなり後になって思った。
ま、自分が誰かに指導されたり、教育を受けた覚えもなく、正直、「指導」とか「教育」なんて発想すらなかったわけで、おまけに成熟した人間でもなかったのだから、最初から著しく適性に欠けていたといえる。
いまだにほんのちょっとしたことでも、人に教えたりするのが下手だ。そのせいか、「指導」や「教育」、「成長」や「成熟」に関わる学校や塾の先生にいささかの敬意を抱いてしまうところがある。無いものねだりは人の常のようだ。
ついでに。その編集部には、当時、広川氏より著名ではるかに尊敬されていたジャーナリストのHK氏が出入りしていた。「えっ、あれが、あの人?」と拍子抜けした。「紹介しようか」といわれても、「いや、いいですよ」と遠慮したのは、何冊も読んだ著書とそのヘラヘラした腰の軽いおじさんのイメージがどうしても重ならず、何を話していいかわからなかったからだ。
(止め)