TVではまったくといってよいほど、ラジオでもめったに流されることがない「放送自粛歌」ばかりです(日本には放送禁止制度は存在せず、放送局が自らの判断で自主的に放映や放送を自粛してきました)。
荒木一郎と同様にとうに忘れられた人であり、人によっては忘れ去りたい人かもしれません。
かつてこの人は「絶大な人気があった」といえば、レコードの売り上げやコンサートの観客動員などで、この人を上回るフォーク歌手なら、ほかにいくらもいました。
この人の独特の歌世界に「一部の熱狂的なファンがいた」といえば、「絶大な人気があった」よりも的をはずしているでしょう。
当時もこの人について語る人は少なく、この人が歌う貧困や差別に違和感がともなうほど、すでに「豊かな社会」でした。
にもかかわらず、「岡林」は当時の青少年の胸奥に傷痕を残しました。コンサートでは「おかばやし~っ」と絶叫されることはあっても、たいていは、「岡林が」とひそやかに呼ばれていました。
同世代はもちろん、はるか年下の中学生からも。たとえば、一般名詞のように。たとえば、カギカッコをつけるように。
フォーク歌手やシンガーソングライターというより、「岡林」は体験でした。生(なま)で触れ合ったような体験を他人に語るのは、かなり厄介なことだし恥ずかしくもある。なので、「岡林」について語る人は少なかったのでしょう、たぶん。
チューリップのアップリケ/岡林信康
お父帰れや 岡林信康
手紙/岡林信康
今日をこえて 岡林信康
HAPPY END はっぴいえんど 岡林信康 私たちの望むものは
(敬称略)
荒木一郎と同様にとうに忘れられた人であり、人によっては忘れ去りたい人かもしれません。
かつてこの人は「絶大な人気があった」といえば、レコードの売り上げやコンサートの観客動員などで、この人を上回るフォーク歌手なら、ほかにいくらもいました。
この人の独特の歌世界に「一部の熱狂的なファンがいた」といえば、「絶大な人気があった」よりも的をはずしているでしょう。
当時もこの人について語る人は少なく、この人が歌う貧困や差別に違和感がともなうほど、すでに「豊かな社会」でした。
にもかかわらず、「岡林」は当時の青少年の胸奥に傷痕を残しました。コンサートでは「おかばやし~っ」と絶叫されることはあっても、たいていは、「岡林が」とひそやかに呼ばれていました。
同世代はもちろん、はるか年下の中学生からも。たとえば、一般名詞のように。たとえば、カギカッコをつけるように。
フォーク歌手やシンガーソングライターというより、「岡林」は体験でした。生(なま)で触れ合ったような体験を他人に語るのは、かなり厄介なことだし恥ずかしくもある。なので、「岡林」について語る人は少なかったのでしょう、たぶん。
チューリップのアップリケ/岡林信康
お父帰れや 岡林信康
手紙/岡林信康
今日をこえて 岡林信康
HAPPY END はっぴいえんど 岡林信康 私たちの望むものは
(敬称略)
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