いっとき、浅田次郎はよく読んだ。「蒼穹の昴」の頃までか。巡回している植草ブログに浅田次郎の文章が紹介されていた。「もうひとりの私から、イラクへと向う部下へ」と題するものだ。
浅田次郎は三島由紀夫の自決に衝撃を受け、大学入試をやめて自衛隊に入隊した、と繰り返し語っている。その自衛隊を「卒業」後、「度胸千両」の業界に足を踏み入れるが、「相棒」が射殺されたのを契機に足を洗い、職を転々とした後ブティックの経営を生業とした。かたわら文学賞に落とされながらも小説を書き続け、ついに念願の直木賞を受賞してからは、現代物から中国歴史物、時代小説まで意欲的な長編を次々に発表して、当代の流行作家になった。
「もうひとりの私から」とは、自衛官を続けていれば古参の下士官となっていただろう「もうひとりの私」から、かつて19歳の新米自衛官だった「もうひとりの私」へ告げるものだろう。
「いいか。俺は昔の戦で死んだ大勢の先輩たちと、ほんとうの日本国になりかわっておまえに命ずる。やつらの望んだ半長靴を、人間の血で汚すな。われらが日章旗を、人間の血で穢すな。誰がなんと言おうと、俺たちは人類史上例をみない、栄光の戦わざる軍人である。復唱せよ。」
「心を安んじ 命を立てん」
http://moon.ap.teacup.com/chijin/694.html
(敬称略)
浅田次郎は三島由紀夫の自決に衝撃を受け、大学入試をやめて自衛隊に入隊した、と繰り返し語っている。その自衛隊を「卒業」後、「度胸千両」の業界に足を踏み入れるが、「相棒」が射殺されたのを契機に足を洗い、職を転々とした後ブティックの経営を生業とした。かたわら文学賞に落とされながらも小説を書き続け、ついに念願の直木賞を受賞してからは、現代物から中国歴史物、時代小説まで意欲的な長編を次々に発表して、当代の流行作家になった。
「もうひとりの私から」とは、自衛官を続けていれば古参の下士官となっていただろう「もうひとりの私」から、かつて19歳の新米自衛官だった「もうひとりの私」へ告げるものだろう。
「いいか。俺は昔の戦で死んだ大勢の先輩たちと、ほんとうの日本国になりかわっておまえに命ずる。やつらの望んだ半長靴を、人間の血で汚すな。われらが日章旗を、人間の血で穢すな。誰がなんと言おうと、俺たちは人類史上例をみない、栄光の戦わざる軍人である。復唱せよ。」
「心を安んじ 命を立てん」
http://moon.ap.teacup.com/chijin/694.html
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