享年80。闘病17年。まだ元気な頃、「最前線で闘い続けた映画監督がいたということは、記憶されるだろう」と自らを語っていた。何に向けて「闘い続け」たのかよくわからないが、たしかに、文芸的な日本映画はもちろん、いわゆるハリウッド映画やヨーロッパの芸術映画も、大島の眼中にはなかったようだ。
小津や溝口、成瀬、黒沢など、日本映画の巨匠たちの系譜に大島渚は属さない。これは大島作品をひとつでも観れば、誰でもわかることだ。邦画らしい題材の「阿部定事件」も大島渚が撮れば、<愛のコリーダ>になるように。大島渚は日本映画の系譜に属さないかのようにみえる。では、ハリウッド映画を撮るとどうなるか。
たとえば、<戦場のメリークリスマス>の「メリークリスマス ミスターローレンス!」で有名な場面について、「あれは秀逸でしたね」と尋ねれば、たぶん大島渚はあの冷徹な眼光で応えるだろう。「何ですか、あの陳腐な場面は!」となじっても、「クソシーンをクソシーンとして撮ったというわけですか?」と冷笑しても、眼鏡が光るだけだろう。いずれにしろ、感動的なクライマックスシーンになるはずが、そうはならなかった。できなかったのか、しなかったのか。たしかに思えることは、たぶん大島渚にとって、それは重要な問題ではなかったのだろうと思えることだ。
大島渚はヨーロッパ映画を撮ったこともある。当時のヨーロッパ女優を代表するシャーロット・ランプリングが、雄のチンパンジーと不倫する<マックス、モン・アムール>である。
大島作品は、「スキャンダラスなテーマ」や「時代のタブーに挑戦」などが特徴といわれる。その「最前線」に立つ批評性については高く評価されたが、それ以外について、たとえば、大島映画はなぜ映画的な感動やカタルシスを欠いているのか、などが語られたことはない。クライマックスに向けて劇的な効果を上げるとか、綿密な構成と編集によってシーンの完成度を高めることなどに、大島はほとんど関心を払わないような映画づくりを続けた。彼の「最前線」とは、映画そのものを解体することに挑戦する「闘い」だったようにも思える。
「映画はおもしろければいい」とか「映画をつくりたいからつくる」、あるいは「映画を愛している」や「映画は夢工場」といった映画を物神化するような作家性は、大島にとって論外だったろう。映画以前に、人間と社会があり、映画以後にも人間と社会がある。消費や鑑賞の枠を踏みはずす運動としての映画を大島は観客に強いていた。そのあたりがとりあえずの大島渚理解かもしれない。そんなことを考え肯いていると、「大島渚をどう理解するかなんてことはね、君、最前線の闘いとは、何の関係もないんだよ!」と唇を振るわせて怒鳴る声が聴こえた。合掌。
(2013/01/20 敬称略)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます