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今夜は、悪漢フランク

2018-07-15 19:26:00 | レンタルDVD映画
今夜は、バッド・フランク(Bad Frank)です。


フランクを演じたケビン・インタードナート(日本語表記は不明です)という名前を憶えておきましょう。

まず、お断りしておきますが、これからいわゆる「ネタバレ」、筋書きを明らかにしてしまいます。なぜ、そうするかといえば、よくある、ありきたりの筋書きだからです。

断酒会で出会った看護婦の妻と平穏に暮らしていた元犯罪者が、ふとしたことから過去の犯罪ボスと再会し、妻を誘拐されたことによって、かつての暴力衝動が駆動し、破滅に向かって突進する、というアメリカ犯罪映画に定番の筋書きです。


ミッキーと手下のニコ。ニコ役のRuss Russoは脚本にも参加していて、ふだんは長髪でヒゲなしのハンサムでした。

もちろん、嫌々、元の暗闇の世界に戻り、妻と自身を守るために、心ならずも大暴れするという正当防衛的な筋書きではありません。更生の道を歩んでいたフランクがダークサイドに引き戻される苦しみや痛みは描かれますが、後にそれは脱皮のようなものだとわかります。

かといって、公序良俗側の貧寒で空虚な日常に比べ、血と汗と涙と叫びと怒号に充たされた暗黒の地獄世界こそ、「バッド・フランク」の居場所だと全能全開に身を震わせるという、ひとひねりした筋書きでもありません。

ここまで、ストーリーを重視した脚本先行のこの作品に敬意を表して、あえて混乱するように書いていますが、いうまでもなく、脚本とは筋書きを越えてキャラクターに命を吹き込むものです。

見どころのある映画はたいてい、ありきたりの筋書きにありきたりの人物を配しながら、ありきたりではないストーリー(物語)を紡ぐものです。したがって、本稿では時系列を変えることで筋書きを追わず、登場人物を語ることで物語のあらすじに触れたいと思います。

エンディングには、フランクの母親の声が映像にかぶります。
「留守番電話でよかったわ。わるいけど、あなたとはまだ話す気になれないの」。

その映像とは、フランクが車のハンドルを握り、後部座席には誘拐されて猿轡に両手両足を縛られたままの妻が転がされ、泣き叫んでいる様子です。

さて、ハッピーエンドでしょうか、それともバッドエンドなのでしょうか?

この映画に登場する女たちはどれもろくでもない女ばかりで、ミソジニー(女性嫌悪))を隠していないところがユニークです。このフランクの看護婦の妻ジーナとの夫婦愛だけでなく、会って話すどころか声すら聴きたくないとフランクの母には母性愛も否定されます。

一方、フランクをはじめとする男たちは極道者ばかりですが、一般とは違う自分なりの倫理感を持っています。フランクと対立して、彼の妻を誘拐して人質にする、かつてのフランクの犯罪ボスであるミッキーは、

「俺のところにあるものは俺のものだ。だからあの女は俺のものだ」
とフランクに言い放ちます。

「俺のところになければ俺のものではないがな」
とつけ加えるところが倫理的です。

妻を誘拐されたフランクは、ミッキーの娘クリスタルを誘拐し返して人質交換の場にいます。フランクはミッキーに怒号します。「俺には何もない! おまえにも何もなくしてやる!」次の瞬間、フランクはクリスタルの頸椎を折ります。

復讐のために躊躇なく父親ミッキーの眼前で娘を殺すのです。この逆の設定ならいくつもの映画で観てきましたが、ムチャクチャな男です。

じつは拉致したクリスタルを強姦ではなく合意でフランクはセックスしています。フランクとのセックスにじゅうぶんに満足したクリスタルが、終わった後にキスをねだると、「何様のつもりだ」と突き放す場面がありました。

廃屋の片隅で両手を縛られたまま、後ろから犯されるというシチュエーションに興奮したくせに、最後は向かい合ってキスを交わしたいという「人権的」なクリスタルに苛立ったわけです。

まだ、平穏無事だったときの妻とのセックスの場面でも、女性上位を堪能して寝入った妻の傍らで、フランクは虚ろに天井を見上げていました。

たとえば、洗い立ての真っ白いシーツの上で、生成りの木綿に風を通した娘と、陽光の柔らかな午後にひととき陸み合う、という愛の交歓はフランクにはあり得ないのです。

クリスタルとのいわゆる「立ちバック」、妻ジーナの「女性上位」という体位から、フランクにとって女とのセックスとは、強姦や行きずり、あるいは商売女を買うような、刹那的なものに過ぎないことがわかります。

ここまで書いてきて、「おいおいそんなムチャクチャでヒドイ映画を誰が観るのだ」という声が聴こえてきそうです。少なくとも、女性の観客など眼中にないとしか思えません。

また、妻と交換する前に、大事な人質の娘を殺してしまうのですから、自らを含め誰も守る気などないといえます。憎いミッキーを前にして、激高のあげく暴力衝動に駆られてしまったのでしょうか。

たしかに妻を攫われた当初は激高していたのですが、禁じていた酒をいったん口にしてからは、薬が手放せばないほど悩まされていた偏頭痛からも解放されて、落ち着きを取り戻し、ミッキーの娘を誘拐するという奸智を思いつくほど冷静沈着になっていました。

したがって、この場面も、ミッキーの先の言葉へ応えた、フランクなりの論理と倫理だったと解すべきでしょう。一般社会の倫理や道徳とは別の倫理や道徳をこの映画は描こうとしているようです。

そういう救いのない映画です。観客が感情移入した登場人物が映画のなかの現実において報われない、救われないというより、救われなくて当然だと観客に思わせる映画なのです。

唯一、まともに思えたフランクの元警察官の父親チャーリーでさえ、その謹厳実直なみかけどおりではありませんでした。

かつてフランクの犯した罪の弁護費用を捻出するために、家を売り払い警察官を退職した父は、毎日、バーの片隅で野球中継を気が抜けたように観戦するのを日課にしています。

フランクが会いに立ち寄っても、かつての行いを謝罪しても、いまはジーナという妻を得てまじめにやっていると報告しても、冷淡なほど素気ない態度です。TV画面を見るばかりでフランクに視線さえ向けません。

ミッキーに妻を誘拐され必死な思いで助けを求めても、「もう俺には何の力もない」と話を聞こうともせず、ミッキーの名を出せば、「まだ、あんなクズとつきあっていたのか!」と怒鳴って追い返そうとします。たぶん、フランクの事件や裁判から、息子の本性を思い知らされて失望したのでしょう。

そのフランクの本性を誰よりもよく知っていたのは、かつて一緒に悪事に手を染めていたミッキーです。フランクが厄介ごとに巻き込まれる端緒をつくった友人のトラビスに、「フランクは怖い奴だ」とミッキーは怖気を隠さず告げます。「あいつは殺さない。一晩中かけて両手両足を切り、両眼を抉り出すやつだ」

手下に使っていた犯罪ボスのミッキーですら、フランクと面と向かえばどこか気圧されるというのに、いかに息子とはいえ、フランクの苛立ちや怒りの充満を眼前にしても、無視を続け、怒鳴りつける父親チャーリーとは、考えてみればただ者であるはずがありません。

冒頭、建設現場の仕事を終えて帰って来たフランクは、庭の柵づくりのためにハンマーを振るっています。トントンと釘を打ち込むところを乱暴に叩くので、ハンマーがそれて手を切ってしまいます。痛みより苛立ちに顔を歪めるフランク。「本性」は最初から出ていたし、「本性」は変わることはないのです(どんな英語を「本性」と訳したのでしょうか?)。

どうです。そんな映画です。観たくなりましたか。

ただし、怒りと苛立ちの塊のようなフランクですが、父親にはなにがしか敬意を抱いている様子があり、面倒ごとばかりに巻き込むヘタレな悪友のトラビスとの間にも、わずかに交情らしきものが見られます。

ミッキーに魂消るほど脅かされたのに、勇気や根性などかけらも持たないはずのチャラいトラビスが意外な行動をとります。トラビスなりの贖罪なのでしょうか。そんなところが、わずかにな救いといえば救いでしょうか。

JCOMのオンデマンドTVでみつけました。2017年公開、わずか11日間で撮影されたという低予算映画です。セットはなく衣装はありもの、予算のほとんどは俳優のギャラが占め、そのキャストも犯罪ボスのミッキーの手下はニコひとりだけという小品です。監督はこれがデビュー作というトニー・ジェルミナリオ(Tony Germinario)という人です。

日本語のレビューはまだなく、英語のレビューをいくつか拾い読みしてみると、以下のような感想が平均的なところのようで、私もほとんど同意します。

Though there are some solid performances and below-the-line work on display in Bad Frank, there is little else to recommend it by. However, its occasional high points do give the impression that several of the folks involved have bright futures, particularly lead actor Kevin Interdonato.

バッド・フランクは、この映画製作に関わった人々にとってひとつの実績となり、優れた演技パフォーマンスもありますが、それ以外の点ではお勧めできません。しかし、時折高得点が与えられるのは、関わっている人々の明るい未来が開けている印象を抱くからでしょう。特に主演のKevin Interdonatoです。(Google翻訳の意訳)

「それ以外の点ではお勧めできません」が強烈です。「それ」が指示しているのは、performances の演技と、below-the-line work の映像や脚本や演出などスタッフワークですから、映画の出来自体は褒めているのです(低予算で短期間に撮られた割には、という皮肉もあるかもしれません)。「それ以外の点」には、たぶん、前述のような「救いがない」キャラクターや物語が含まれるのだと思います。

まず、ミッキー役のトム・サイズモアの名前に惹かれて、この映画を観る気になりました。有名俳優は彼だけ。ほかのキャストや監督などはまったく未知でしたが、たしかに、フランクを演じたケビン・インタードナートが圧倒的でした。

醜男(ぶおとこ)に近い容貌ですが、いまにも破裂しそうな暴力衝動をオーラのようにまとっていました。直接的な残虐描写はほとんどないのに、暴力そのものを感じさせるのは演技力の賜物というだけでなく、彼自身の資質なのでしょう。

ケビン・インタードナートはその見かけどおり、ブルーカラー出身でイラク戦争にも参加した海軍の元兵士で、帰国後、コミュニティカレッジに入ったようです。


バーで話すフランクとチャーリー。数少ないドラマ場面です。

ほかには、フランクの父チャーリーを演じたレイ・マンチーニ(Ray 'Boom-Boom' Mancini)の詩情ある表情が印象的でした。ハリウッドの老俳優の一人と思っていたら、なんとメーキャップによる老け役で、演技素人の元プロボクサーだそうです。

トム・サイズモアは戦争映画を含む暴力映画、犯罪映画の暴力的な脇役としてとても有能な俳優です。教師や気弱な中年男など平凡な男を演じることは想像できません。ひさしぶりに元気な姿をみましたが、若いころより痩せていて、何かの病気ではなく節制のおかげならけっこうなのだがと案じています。

(止め)
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