コタツ評論

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同工異曲なり

2012-10-19 08:39:00 | 政治
いや、これはひどいな。

朝日新聞出版が「おわび」 週刊朝日の橋下市長連載でhref="http://www.asahi.com/national/update/1018/OSK201210180160.html">http://www.asahi.com/national/update/1018/OSK201210180160.html

いまさら「おわび」するというのが、あまりにひどい。「不適切な記述が複数ありました」というコメントに空いた口がふさがらない。まるで、掲載前に当該記事を読んでいなかった、読んではいたが注意深くではなかった、橋下大阪市長の抗議を受けてあらためて読んでみたら、たしかに「不適切な記述」に見つかった。「いわれてみれもそうですね」。

こんな話は猫が新聞を読むくらいあり得ない(ただし、猫はTVは視聴する。ニールセンの視聴率調査に占める5%は猫の分だろう)。

編集長なら、当該記事については、暗記するほど読んでいるはず。当たり障りのない一般記事でも、編集長はゲラと校了時に最低2回は読む。当該記事なら、原稿が上がってきたときから、校了するまで暗記するほど読んだ上で、掲載にGOを出したはずだ。また、それ以前に、担当編集者やデスクと呼ばれる中間の編集責任者が、編集長以上に入念なチェックをしていることはいうまでもない。さらに、「差別語」はもちろん、「政治的に正しくない言葉づかい」など「不適切な記述」には、眼を光らせる校閲部門もある。見逃すことなどあり得ず、一字一句、承知の上だったに違いない。

そもそも、中内ダイエーの内実を暴露した『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」』 以来、『あんぽん-孫正義伝』まで、「同和」と「在日」には「強い」と定評のある佐野真一を起用したのは、橋下の「出自」を中心とする内容を何より期待したからだろう。フリーを使って「鉄砲玉」にしたわけだが、後で問題が起きれば、「あれは佐野真一が勝手にやったこと、私は知らなかった」と言い逃れするため。編集長コメントの言わんとするところだが、それはそのまま、朝日新聞の言わんとするところでもある。「あれは週刊朝日が勝手にやったこと、ウチは知らなかった」。

週刊朝日編集長の河畠大四は、臨時復刊した朝日ジャーナルの「福島原発事故特集号」のやる気のない編集長として覚えている。当ブログにそう書いた記事を掲載したはずだが、なぜか見つからない。したがって、といま時間がないので急ぐが、ファシズムをもじって「ハシズム」とまで批判される橋下を「リベラル」な朝日が撃った企画ではまったくない。「橋下を総理に!」と持ち上げた他週刊誌と同様に、ただ「売らんかな」だけに走った同工異曲の企画である。もちろん、執筆した佐野真一は別だろう。週刊朝日の思惑は百も承知二百も合点の上、あえて書いたのだろう、と推測なのは、当該記事を読んでいないからだ。

(敬称略)

いったい誰のおかげで

2012-10-17 23:58:00 | 政治

ラガルド専務理事 リゾート焼けだなあ

 
国谷裕子キャスター 女性が憧れるロールモデルにはちょっと届かないだろうな


今夜のNHK「クローズアップ現代」は、来日中のIMFラガルド専務理事が出演して、「日本はもっと女性登用の道を広げるべき」という趣旨のIMFレポートに関して、インタビュー受けていました。

たしかに企業役員や国会議員になる女性の数は、先進国のなかで日本はきわめて少ない。それは改善すべき大きな問題のひとつとは思うが、皿一枚洗ったことも子どものオムツを代えたこともなさそうなラガルド女史に説諭されている風なのが、家事もこなしてそうな所帯じみた国谷裕子キャスターという対照には苦笑しました。

二人ともハードワークのせいか疲れ気味だったけれど、それを癒すためにラガルド女史はリゾートホテルに備えられたエステサロンのベッドにまどろみ、一方、国谷裕子キャスターは自宅リビングで洗濯物でもたたみながらうたたねしている、ついそんな姿を想像してしまった次第です。

ラガルド女史のフランスは厳然たる階級社会ですから、家事はメイド育児は乳母、私の仕事は社交と慈善と芸術愛好、所帯じみたところなど糸くずほどもないエレガントな上流夫人がいまでも生息しています。同じ階級社会でも、サッチャーのイギリスとはずいぶん違うようで、サッチャー夫人は夫に紅茶を淹れたりしていました。

実際に二人がそんな暮らしぶりかどうかは知りません。あくまでも想像の産物に過ぎませんが、ラガルド女史の美しい顔皺にくらべると、国谷さんのは仕事と主婦の両立に苦労している皺に見えるのです。ただ、ラガルド女史のIMFの仕事が、国谷裕子キャスターの日本によって支えられている、その事実関係ははっきりしています。

ギリシャやスペインなどが経済破綻を起こした「ヨーロッパ危機」に、IMFは融資と引きかえに過酷な財政改革を迫っています。そのIMFの原資とは、ほかならぬ国谷裕子キャスターをはじめとする日本国民の税金からの拠出金です。つまり、ラガルド女史の活動資金は、国谷裕子キャスターが負担しているわけです、一部ですが。

「いったい、誰のおかげでIMFがやっていけていると思ってるんだ!」とちょっといいたくなります。昔知り合った、元海上保安庁職員の暴力団員K氏は、タクシーに乗ると因縁をつけては、「いったい、誰のおかげで商売できると思ってるんだ! おう」と怒鳴ってタクシー料金を踏み倒す常習でした。「誰のおかげで」といわれると、(もしかしてこのヤクザとウチの会社に何か関係でも)と一瞬、運転手さんは思うのか、つい気を呑まれるそうです。「そこで勝負ありだ。お客様のおかげで商売させてもらってるんだろっていいたいだけなんだけどよ、ワハハ」とK氏。たしかに私たちは、「おかげ」に弱い。その最上級には、「お天道様のおかげ」があるほどですから。

閑話休題。世界経済がまがりなりにも回っているのは、日本経済のおかげというのが次の記事です。当ブログでも、「日本経済一人勝ち 1~4」で三橋貴明の同様な発言を紹介していますが、少子高齢化の進行も下方修正する必要があるなどはじめて知りました。

ラガルド女史は、日本の女性が社会進出することで、日本の一人当たりGDPが3~5%増えると試算していますが、ほんとうに経済成長が人間を幸福にしているのか、不幸にしてやしないかというのが、その次のリオ会議におけるウルグアイ大統領のスピーチです。南米の小国の元首ですら、グローバル経済の暴走と人類の幸福について、これくらいのことはいうわけです。

先頃、朝日新聞に寄稿した村上春樹の「安酒に酔ったような愛国心」という憂国論は大方の共感を呼ばなかったようです。しかし、政治家や作家はこれくらい射程の長い論考に基づいた発言をときにしなければ、その存在意義はないといえるでしょう。

『なぜ日本経済は世界最強と言われるのか』 ぐっちーさん
http://demosika.blog35.fc2.com/blog-entry-581.html

リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ
http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/


今週の誤変換 床屋政談 → 床屋星団

(敬称略)


今宵は奄美島歌

2012-10-14 23:51:00 | 音楽
おぼくり~ええうみ 朝崎郁恵



朝崎郁恵は、奄美を代表する歌い手だそうです。沖縄の言葉も「方言」と呼ぶには無理があるほどわかりませんが、奄美の言葉もフランスやロシア語よりわかりませんね。歌詞のテロップが出るのでこの動画を選びましたが、録音に難があります。次のほうがお勧めです。



(敬称略)

地上げ屋は尖閣諸島をめざせ

2012-10-14 22:40:00 | 政治
野田首相は尖閣諸島について、「日中間に領土問題はない」という立場を貫き、国民からも評価を得ているようだ。が、中国側の「領土問題あり」という主張にも、根拠ありというニュースと解説が出てきた。

日清戦争以前、明治政府首脳は尖閣諸島について清国側に領土主張の声があるのを知っていた。大東亜戦争後の戦後処理では尖閣諸島の帰属について法的にはあいまいなまま。

外務省のホームページに公開されている外交文書アーカイブの文書と、元外務官僚にして元防衛大学教授の発言とあっては、中国側にとっても典拠じゅうぶんだろう。

尖閣諸島 中国のモノなのか
http://news.livedoor.com/topics/detail/7040917/

孫崎享さんに聞いた 日中領土問題で得をしたのは誰なのか?
http://news.livedoor.com/topics/detail/7036353/

「ルーピー(LOOPY)」と日米の「有識者」から嘲笑された鳩山首相が、「尖閣諸島の海洋資源は、中国と共同開発・共同利用で」と発言したとき、石原慎太郎都知事は口をきわめて罵ったものだ。ルーピー鳩山構想にも、やはり一理はあったようだ。

中国の尖閣諸島への関心は、領土問題というより、制海権という軍事目的から発しているのは、ベトナムやフィリッピンと南沙諸島をめぐり、同様の「領土問題」を起こしていることからも明らか。



<青線が日本のシーレーン(海上交通路)、赤線は中国が構築中。この地図には載っていませんが、尖閣諸島は沖縄と台湾の間、南沙諸島は南シナ海に点在、と補ってください。日本のシーレーンを分断しているのがわかります>


ルーピー鳩山構想は、それを経済次元に引き戻し、中国の制海権という軍略の無効化を狙ったものだったはずだ。「日中友好」とは、実際にはそういう綱引きだったのだろう。

今週の誤変換 日中間に領土問題はない → 日中韓に領土問題はない(日中韓がそれぞれ自国の領土だと主張し、それぞれが領土問題はないと発表する、そんな島があったとしたら、間違いなく領土問題は笑い話になるでしょう。昔、バブル期に活躍した地上げ屋のO氏の口癖は、「土地は誰のものでもない!」でした。当時は、何を手前勝手なと鼻白んだものですが、案外、的を得ているかもしれません。そう、キリキリ絞って矢を放ち的を射るのではなく、トコトコ歩いていって的ごとを持ってきちゃうわけです。呆然とするでしょうね、弓矢をかまえていた者たちは。「固有の領土」を共同開発・共同利用とは、ようするに地上げのことなんですね)。

村上春樹がノーベル文学賞を逸した理由

2012-10-12 14:21:00 | 政治
今年のノーベル文学賞は中国の莫言が受賞しました。欧米のメディアからも本命視されていた村上春樹が、ノーベル文学賞を逸した理由(わけ)とは何だったのでしょう? いや、そうした問いは違うのではないか。10月12日付の朝日新聞は、村上春樹がノーベル文学賞を逃した理由(わけ)ではなく、中国の莫言が受賞した理由(わけ)について、3面に大きく紙面を割いています。

莫言(ばく げん モー イェン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8E%AB%E8%A8%80


ただし、莫言の受賞が意外だったとしているのではありません。莫言も最有力候補の一人と目されていたし、ほかにも大物は目白押し。ミラン・クンデラ(81)・ウンベルト・エーコ(78)・フィリップ・ロス(77)・コーマック・マッカーシー(77)・トマス・ピンチョン(73)・ジョイス・キャロル・オーツ(72)、そうそうボブ・ディラン(71)の名前も挙がってびっくりしましたが、誰が受賞してもおかしくありません。

失礼ながら存命中に顕彰されるべき「巨匠」たちに比べれば、莫言57歳に村上春樹61歳と、二人ともまだじゅうぶんに若いといえます(ノーベル賞は物故者に授与されません)。これからいくらでもチャンスがあるはずの二人に、最終候補は絞られたのはなぜか? 一言でいえば、中国の影響力がその背景にあった。朝日新聞記事はそう読むことができます(実際の選考過程がどうであったかは別にして)。

いや、中国が世界第二位の経済力を背景に、国際社会への発言力の大きさをノーベル賞の選考に及ぼした、というのではありません。オリンピックのメダル獲得競争と同様に、中国が国威発揚の一環として、ノーベル賞受賞に躍起となってロビー活動をしたというなら、国際社会にとってはむしろ慶賀すべきニュースでしょう。その反対のネガティブな影響力を中国は行使してきたようです。

朝日新聞の見出しは次のようでした。「文学賞 莫言氏受賞に歓喜」「中国、快挙どうアピール」。これがいわゆる大見出しです。中見出しで大きいのは、「天災と人災が出発点」。莫氏が子ども時代に体験した、農村の飢餓などの天災や文化大革命という人災が、氏の文学の出発点だったという履歴の紹介です。中間の小見出しには、「体制内作家との声も」とあります。

文化大革命や一人っ子政策など体制批判を含む作品もあるが、政府公認の中国作家協会の副主席の地位にあり、2年前にノーベル平和賞を授与されながら、いまも刑務所に閉じこめられたままの民主活動家の劉暁波について沈黙を続ける莫言に対して、「体制内作家」という批判があることを指摘するものです。

劉暁波(りゅう ぎょうは リュウ シャオボー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E6%9A%81%E6%B3%A2

ちょっと唐突な流れです。莫言の作品や文学観より、彼の政治的な立場を気にしています。つまり、この朝日の記事は、「中国、快挙どうアピール」という大見出しが語るように、中国の反ノーベル賞ともいえる姿勢を解説する国際政治記事でした。

1980年にチベット仏教会の最高指導者ダライ・ラマ14世にノーベル平和賞、2000年には文化大革命をきっかけにフランス国籍を取って出国した高行健にノーベル文学賞、そして2010年には民主活動家の劉暁波にノーベル平和賞。中国にとっては、「賞がよこしまな政治目的に使われていることをあらためて示した」(高行健受賞に対する中国政府談話)という受賞が続いたことになります。

高行健(こう こうけん ガオ シンジェン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%A1%8C%E5%81%A5

したがって、中国はほとんど、アンチノーベル賞といえるほど、敵視に近い冷淡な態度をとってきました。その具体例を検証したのが、すぐ横に並んだ、「平和賞 2年前の授与に反発」「ノルウェーと亀裂、今も」との見出しの記事です。前記の劉暁波にノーベル平和賞を授与したノルウェーに対する、ほとんど国交断絶に近い中国の姿勢をまとめたものです(文学賞はスウェーデン・アカデミーが授与しますが、平和賞はノルウェーのノーベル賞委員会が決めるのですね)。

ノルウェーの前首相に入国ビザを発行しなかったり、ノルウェー産サーモンの通関規制を強化してその輸出を6割減にしたり、中国の報復と嫌がらせは現在も続いていて、対話の機会がないために改善の糸口さえ見えないそうです。中国からいえば、ダライ・ラマ14世と劉暁波にノーベル平和賞を授与するなど、政治的な攻撃を受けたのだから、報復するのはあたりまえということでしょう。

さて、そのように読んでいくと、この朝日新聞記事の意図は明らかです。莫言のノーベル文学賞受賞は、国際社会が中国へ配慮したもの、中国の人権や平和に対する強圧的な姿勢にある譲歩を示した、欧米の宥和政策のひとつではないか。そんなことは一言も書いていないけれど、あながちうがった読み方ではないはずです。この「ノルウェー記事」の最後は、こう締めくくられています。

中国の外交に対しては、在北京の外交官の間に「世論の弱腰批判を恐れるあまり、相手国が譲歩しないと緊張関係を変えられな」と硬直化の懸念も広がる。

とすれば皮肉なことに、やはり中国が批判するとおり、ノーベル賞は政治目的によって決定されることを裏づけたことになります。もちろん、欧米を中心とする国際社会には、人権や平和を普遍的な価値とする民主政を批判される理由(いわれ)はないでしょう。しかし、尖閣諸島をめぐり日中間に緊張が高まっているこの時期に、村上春樹を対抗馬として莫言に受賞させるのは、あまりにも政治目的と思えるのは、日本人のやっかみでしょうか。

言い遅れましたが、莫言はもちろん、村上春樹もその長編小説は一冊も読んだことはありません(村上春樹の短編は何篇か読みました。エッセイや翻訳はよいと思っています)。読んだことはありませんが、村上春樹がノーベル賞をとれない理由として、その非政治的な非社会問題的なテーマを取りざたされていることには、少し疑問を感じます。農村の飢餓や文化大革命を扱えば政治的な小説で、缶ビールを片手にビートルズを聴きながら彼女について考える小説をミーハー小説というなら、そりゃ政治の位相が違うだろうと思うのです。

最後に。莫言というペンネームは、「言う莫(なか)れ」からきているそうです。人権と平和を弾圧する体制内にとどまり創作活動を続けていることは、その作品が村上春樹のいう「壁」にぶつかって潰れる「卵」側に立つ限り、尊敬に値するものでしょう。国家権力によって、若い同志を幾人も無残に殺され、幾たびも命の危険にさらされた魯迅も、国を出ることはなく、出ようとしたこともなかったのでした。莫言と中国の皆さん、ノーベル文学賞の受賞おめでとうございます。

(敬称略)