NHKのPR担当がつぶやいて問題になっているそうだ。
(゚ー゚*)。oO(ヘイトスピーチをまき散らすだけで、まるで何か世の中の役に立つことをやっている気になっているようなネット弁慶さんたちには、1度でいいから東北へ行ってボランティアでもしてきなよ、と言いたい。かなり本気で言いたい)(1号)
http://togetter.com/li/458522
「
ヘイトスピーチ」云々についてはそのとおりだし、その気持ちもわかるのだが、
ネット弁慶さんたちには、1度でいいから東北へ行ってボランティアでもしてきなよ、と言いたい。
やっぱり、ここがまずいのだろうな。
倫理には三段階ないし四段階あって、自己保存→相互性→法の支配(復讐の禁止)→自己犠牲で、これらは階層をなしていて、しかも他人に求めていいのは法の支配までなのに、どうも自分は復讐イケイケで三段階目にも到達していないのに、いきなり他人には四段階目を求める輩が多いのでいやになります。http://9101.teacup.com/chijin/bbs/1953
とkaraさんから教わった倫理段階論でいくと、「東北へ行ってボランティア」が「1号」さんにとって、「自己犠牲」としてイメージされているんだな。いや、それをいうならボランティアは「相互性」だろうと、もしかすると(1号)さんもいうかもしれない。「ネット弁慶」という「自己保存」を脱して、「相互性」に目覚めよという叱咤であると。
しかし、「ヘイトスピーチ」と「ボランティア」を「世の中の役に立つ」で対比した「月とスッポン」文脈からは、どうみても「相互性」以上の飛躍しか考えられない。あるいは、「ボランティアでも」の「でも」といっているように、ただ、「口舌の徒」から「行動の人」になってください、と激励しただけかもしれない。
だけどなあ、「ネット弁慶」たちは、「ヘイトスピーチをまき散らす」という「行動」をつうじて、「世の中の役に立つ」「ボランティア」をしているつもりなんだよなあ。「ヘイトスピーチをまき散らす」ことによって、じっさいに、誰かや何かが傷つくことを知っているか、誰かや何かを傷つけられると信じているからこそ、「行動」に駆られる。
彼らにとっては、無償で作文、書き込みすることから、「ネット弁慶」(あるいはネトウヨ)と批判されることまで、「自己犠牲」を払っているわけだろう。地球防衛軍のようなもので、誰かや何かの攻撃から守っているのは、自分ではないのだから。自らと家族や友人たちを守るために、地球を守るという順序ではなく、まず守るべき攻撃されている地球があるのだ。
とすると、(1号)さんと「ネット弁慶」の考えかたは、ほとんど変わりない。まず「自己犠牲」して、東北を守れという(1号)さんにとって、「自己保存」は無自覚なほど揺るぎないが、「ネット弁慶」にとっては、ネット上の攻防に瞬間的にしか「自己保存」を覚えることができない、という身上の差異があるに過ぎない。
いずれにしろ、そこには実存的な「自己保存」が欠けていて、かわりに夢想的な「自己犠牲」が埋められている。それは苦しくも苦々しい、「生き埋めの思想」ではないだろうか?
ないですか、さいですか。
今週の誤変換(?)月とすっぽん → 月とすっぽんするのかと一瞬うろたえました。
(敬称略)