コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

内憂外患

2013-02-23 15:12:00 | 政治
「ヘイトスピーチ」を直訳すれば「憎悪発言」。憎悪をまき散らす発言を続ける人々に、止めるよう求めたり、反省をうながすことは不可能に近いのか。「ヘイトスピーチ」を看過ごす人々に向けて、迂遠に語りかけることしかできないのか。橋下轍大阪市長批判に続き、孤島に住むかのように孤闘に駆られるコラムニストの最新発言。

ネット弁慶が街中に現れた理由
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130221/244049/?P=1

筆者が分析するネット弁慶の全能感にたいして、彼らを苦々しく傍観している私たちが覚える無力感は、ちょうど中国や韓国、北朝鮮の日本への誹謗中傷に接したときの無力感によく似ている。同語反復するだけで論理も証明もない。「どうしようもねえな」「どうにもならんなこれは」という「めんどうくさい」を口実にした、論理や証明を諦めたわたしたちを小田嶋は諫めている。

(敬称略)

ヘイトスピーチ

2013-02-21 02:52:00 | ノンジャンル


NHKのPR担当がつぶやいて問題になっているそうだ。

(゚ー゚*)。oO(ヘイトスピーチをまき散らすだけで、まるで何か世の中の役に立つことをやっている気になっているようなネット弁慶さんたちには、1度でいいから東北へ行ってボランティアでもしてきなよ、と言いたい。かなり本気で言いたい)(1号)
http://togetter.com/li/458522

ヘイトスピーチ」云々についてはそのとおりだし、その気持ちもわかるのだが、

ネット弁慶さんたちには、1度でいいから東北へ行ってボランティアでもしてきなよ、と言いたい。

やっぱり、ここがまずいのだろうな。

倫理には三段階ないし四段階あって、自己保存→相互性→法の支配(復讐の禁止)→自己犠牲で、これらは階層をなしていて、しかも他人に求めていいのは法の支配までなのに、どうも自分は復讐イケイケで三段階目にも到達していないのに、いきなり他人には四段階目を求める輩が多いのでいやになります。http://9101.teacup.com/chijin/bbs/1953

とkaraさんから教わった倫理段階論でいくと、「東北へ行ってボランティア」が「1号」さんにとって、「自己犠牲」としてイメージされているんだな。いや、それをいうならボランティアは「相互性」だろうと、もしかすると(1号)さんもいうかもしれない。「ネット弁慶」という「自己保存」を脱して、「相互性」に目覚めよという叱咤であると。

しかし、「ヘイトスピーチ」と「ボランティア」を「世の中の役に立つ」で対比した「月とスッポン」文脈からは、どうみても「相互性」以上の飛躍しか考えられない。あるいは、「ボランティアでも」の「でも」といっているように、ただ、「口舌の徒」から「行動の人」になってください、と激励しただけかもしれない。

だけどなあ、「ネット弁慶」たちは、「ヘイトスピーチをまき散らす」という「行動」をつうじて、「世の中の役に立つ」「ボランティア」をしているつもりなんだよなあ。「ヘイトスピーチをまき散らす」ことによって、じっさいに、誰かや何かが傷つくことを知っているか、誰かや何かを傷つけられると信じているからこそ、「行動」に駆られる。

彼らにとっては、無償で作文、書き込みすることから、「ネット弁慶」(あるいはネトウヨ)と批判されることまで、「自己犠牲」を払っているわけだろう。地球防衛軍のようなもので、誰かや何かの攻撃から守っているのは、自分ではないのだから。自らと家族や友人たちを守るために、地球を守るという順序ではなく、まず守るべき攻撃されている地球があるのだ。

とすると、(1号)さんと「ネット弁慶」の考えかたは、ほとんど変わりない。まず「自己犠牲」して、東北を守れという(1号)さんにとって、「自己保存」は無自覚なほど揺るぎないが、「ネット弁慶」にとっては、ネット上の攻防に瞬間的にしか「自己保存」を覚えることができない、という身上の差異があるに過ぎない。

いずれにしろ、そこには実存的な「自己保存」が欠けていて、かわりに夢想的な「自己犠牲」が埋められている。それは苦しくも苦々しい、「生き埋めの思想」ではないだろうか?
ないですか、さいですか。

今週の誤変換(?)月とすっぽん → 月とすっぽんするのかと一瞬うろたえました。



(敬称略)

中共に未来はないが中国にはあるな

2013-02-18 23:02:00 | 政治
番組を観ていないし、宋文洲という人についても何も知らないが、コメントとしてはグッジョブでしょう。

日テレ「バンキシャ」で中国人実業家「尖閣に隕石落ちればよかった」 番組は謝罪も本人反省なし 2013.02.18
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130218/dms1302181145001-n1.htm

宇宙からの隕石の飛来を尖閣諸島に向けることで、領土争いを極小に相対化させてみせて、「なんて、ばかばかしい」と思わせるみごとなジョークです。この人が中国籍か、ビジネス上で中国と交流があるとすれば、かなり勇気ある発言でもあります。不適切発言として、局側が陳謝したのは、視聴者から苦情が寄せられたからのようです。いったい、どういう理屈で不適切発言なのか、想像もつきません。みなさんは、つきますか?

「日本の右翼はユーモアがわからない」と宋氏はぼやいたそうです。苦情を寄せるのは日本の右翼と即断するところは中国人らしいが、たぶん一般市民でしょう。それほど連日、週刊誌の見出しは、「日中開戦前夜」を煽っています。こちらのほうがずっと「不適切」に思えるし、扇動されて中国人の発言にクレームをつける日本国民に「ユーモア」を解する余裕がなくなっていることのほうが気になります。

「尖閣に隕石が落ちればよかったのに」というコメントが数多(あまた)いる日本人コメンテーターの中から出なかったことのほうが、もっと残念です。

右翼タカ派と目される安倍首相が、なにかリベラルにみえてきた今日この頃。みなさんはいかがお過ごしでしょうか?


極東スタンダードは露華鮮

2013-02-14 01:06:00 | 政治
陸軍中野学校の必修語学は露華鮮だったそうです。露華鮮人になりすましてバレないほどの言語能力がなければ、諜報活動はできないからです。現代の日本で、「英語はペラペラ」の人は珍しくありませんが、なかには対米諜報活動に活躍する人もいるのでしょうか。どうもその多くは対日宣撫工作・諜報活動に従事して、「英語でペラペラ」と報告していそうな気がします。

閑話休題。週に一回は朝鮮日報と人民日報のサイトをめぐりましょう。ついでにお笑いもあるロシアの声と。韓国や中国、ロシアを知るためではありません。日本を知るためです。たとえば、こんな重要な記事が日本の新聞には掲載されていません。

日本でプルトニウム生産を再開へ
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/02/12/2013021200331.html

核問題:「北朝鮮ジレンマ」に陥った中国
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/02/13/2013021300861.html

また、日本は先ごろ福島第一原子力発電所の事故が発生して以来中止していたプルトニウムの生産を再開し、ウラン濃縮施設も新設・増設する方針を打ち出した。原発再稼働のめどが立っていない中でプルトニウム生産とウラン濃縮を掲げたことを「核武装に向けた布石」と見る向きもある。

国境なき記者団によれば、日本の報道の自由度は韓国より低いのですから。

報道の自由度、日本は低下 原発事故「透明性欠く」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130131/erp13013123410003-n1.htm

悲鳴をあげる中国

2013-02-08 02:27:00 | 政治
北朝鮮の新聞を読むことはないから、あの激越な口調のTVニュースを活字に直して、韓国や中国の新聞論調と並べてみると、どれがどれか見分けがつかないほど似かよっている。中朝韓ともつねに国論は一つしかなく、日本に関していえば、つねに、一方的に日本が悪く、全面的に自国が正しい、あるいは日本より自国が優れている。政治・経済・文化、それぞれが大きく異なるのに、対日本ではほとんど一つの国と思えるほどだ。いわば倨傲の国とでも呼べるものだが、どうやら、中国はこの国から脱しはじめたようだ。

以下の記事からは、まぎれもない中国の悲鳴が聴こえてくる。これまでの主張や認識を翻す見解がいたるところで示されている。ただし、日本優勢とほくそ笑むのはまだ早い。倨傲が弱さの偽装だとするなら、悲鳴を上げられる強さを身につけてきたわけで、侮るどころか畏るべしであろう。

中日の民間に響き渡る日本の戦闘警報
http://j.people.com.cn/94474/8125641.html