Zooey's Diary

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昔憧れた…

2010年10月16日 | 社会

婦人画報11月号。
「安井かずみがいた時代」という新連載が始まりました。
しかも第一回の今月分は、林真理子氏の目を通しての安井かずみ像。
”(林が)実家の本屋の店番をしながら「明星」や「平凡」という雑誌を繰ると
そこにはきらきらしい都会の生活が広がっていた。
六本木にはキャンティというイタリアンレストランがあり、
毎夜、三島由紀夫や川端康成といった有名人が集い、シャンパンを飲み交わしている。
そんな記事にいつも名前が載っているのが安井で、
彼女は林がひたすら憧れた東京カルチャーそのもののような存在だった。”
「セレブなんて言葉ができるずっと前の選民。
自分たちが選ばれ、見られているということが自然にできた人。」(林氏談)

夢中で読んでしまいました。
だってその昔十代の頃、私も憧れていたから。
”海外旅行が珍しかった当時、世界中を旅をして、貴族や有名人と優雅な生活を送った。
1967年、ローマにて青年実業家と結婚するも、翌年ニューヨークにて離婚。
1977年には、安井より8歳年下でミュージシャンの加藤和彦と再婚。
優雅なライフスタイルで公私ともに行動を共にし、憧れの夫婦として支持された。”
(Wiki「安井かずみ」より)
こんな人生を過ごした女性に、多感だった中学生の頃の私が憧れない筈がなく、
彼女が書いたエッセイなど色々と読んだのでした。

更に言うなら、その頃の私は、同じくキャンティに出入りしていたユーミンにも
激しく憧れていました。
「ベルベットイースター」「ひこうき雲」「翳りゆく部屋」などの曲を
カセットレコーダーで繰り返し聴きながら、
なんて透明な、都会的なサウンドなのだろう、と。
ユーミンのサウンドが今でも新鮮で都会的なのは誰もが認めるところでしょうが
後で彼女が八王子の呉服屋の娘で、そこから飯倉まで通っていたと知った時には
驚いたものです。

話を安井かずみに戻して。
「わたしの城下町」「危険なふたり」「よろしく哀愁」など
彼女は4千曲もの歌詞を書いたのですね。
94年、肺癌のため55歳で逝去。
”あの頃、安井かずみは何故あんなにも私たちを魅了したのか。(中略)
彼女を知る人たちの証言を辿りながら、安井かずみとその時代を検証しようというのが
この連載の試みである。”
楽しみにしています。


それにしても、あんなにおしどり夫婦で知られた加藤和彦が
彼女亡き後すぐに再婚して、しかも離婚して
そして自死するとは思わなかったなあ…
コメント
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