ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

『彼女は頭が悪いから』

2021-06-04 16:16:01 | 読書
『彼女は頭が悪いから』姫野カオルコ 2018年文藝春秋

読みながら気分が悪くなり、何度も読むのをやめようと思った。
気分が悪いけれど、これは忘れてはいけないと思うので書いておく。

まったくの罪悪感もなく、人の尊厳をズタズタボロボロに引き裂く。
競争社会を勝ち上がり、他人へのリスペクトなどひとかけらもなく育ってしまった人たち。

これは小説だ。
だけど、そういう人たち(他人の尊厳をズタズタボロボロに引き裂ながら自分は悪くない、どころか正しいとさえ思っている人たち)を私は何人も知っている。
だから、吐きそうに気分が悪い。

作中、三浦紀子教授が被害者にかけたことばが響く。
「どれだけいやな気持だったか、私は他人ですから完全にはわかりません。ただ察することしかできません。」

三浦教授は連絡をとってきた加害者の母親のひとりに、被害者がされたことと同じことをされることを想像させる。

この教授と被害者の邂逅があって、ようやく暗澹たる気持ちに少し光がさす。

察する。
相手の立場になって想像してみようとする。
相手がいやなことをしたと分かったら、誠意をもって謝る。

せめてそうしよう!
自戒もこめて!
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女の生き方~伊藤野枝

2021-05-02 10:01:41 | 読書


『風よあらしよ』を読んで、伊藤野枝の生涯を知った。野枝は大杉栄とともに惨殺され死体遺棄された。陸軍軍人拘束され、殺されたことは知っていたが、そこまでむごいとは知らなかった。怒りがこみ上げる。

伊藤野枝の存在を知ったのは、『美しきものの伝説』というお芝居だった。大学生のころだったか、勤めてからだったか、今となっては内容もよく覚えてはいない。そのときも私は怒っていたのだろうか。

『吹けよあれよ風よあらしよ 伊藤野枝選集』によって、『風よあらしよ』は野枝自身の書いたものを忠実に小説に活かしていると思った。

上記の選集に罷工(ストライキ)の工場労働者の女性のこんな言葉がある。
「私たちは楽に働けるようにしようなどとは考えたこともなかった。けれども考えてみると、私達はできるだけ楽に働けるようにつとめなければならない。それは直接自分達のためでもあり、また後からくる若い人たちに是非必要な事だ』(240ページ「婦人労働者の現在」『青鞜』第6巻1号1916年)

働く女性のおかれる立場は、当時に比べれば良くはなった。けれど必要な区別ではなく、いわれない差別は依然としてある。「自分のため」というより後に続く人たちのために、しなければならないことがある。

また野枝は家庭生活について言う。
「けれど、私達の『家庭』という形式を具えた共同の生活が、いつの間にか、私をありきたりの『妻』というものの持つ、型にはまった考えの中にいれていたのです。(247ページ「『或る』妻から良人へ―囚われたる夫婦関係よりの解放」『改造』第3巻第4号1921年)

私達は簡単に「いつの間にか、私をありきたりの…型にはまった考え」に陥いるのだ。
絶えず「型にはまった考え」に囚われていないか、自分自身をふりかえってみる必要がある。
そして、「しかたない」とあきらめないこと。

もう「闘う人生」はもうごめんこうむりたいと思っていたが、この社会でやはりそうはいかないらしい。
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最近の情報からの自分自身についての忘備録

2021-02-01 09:39:21 | 読書


ひとつめ。『教育方法49 公教育としての学校を問い直す』 53~66ページ
「4 なぜ理由もなく学校に行けないのか―教室に身をおくことの意味から考えるー」遠藤 野ゆり
「子どもたちが学校に身を置くこと、すなわち子ども共同体の一員として同じ一つの雰囲気を生きることは、同じリズムの中に身を置き、他者の身体活動を寄り添わせることを意味する。」64ページ
そのことによって、「一人では達成できなかった課題を達成したり、他者とつながる心地よさを覚えたりすることができる」。一方でだからこそ、その空間を上手に泳ぎ回る器用さがなければ、それらがネガティブに作用する。

私は、おそらく学校が苦手だった。上手に泳ぎ回る器用さがなかったのだろう。
同窓会で、「あの頃に戻りたい」と聞いても全く共感できない。
「あの頃」は私にとって戻りたくないところだ。
休み時間には教室におらず部室にいた人がいた。
私にとってはそれが生徒会室だったのではないかと、今になって思う。

けれど一方で、例えば逆上がり。一人では達成できない課題だっただろう。
何かができるようになるために、学級という場に影響を受けていたことは確かだ。
コロナ休校のとき、「家では勉強しない」という母親たちの嘆きを聞いて、
学校というところが子どもたちに「勉強するところ」を提供しているという確かな実感を持てたのは、
そういうことだったのかと思う。
この子たちは、学級の中でそれなりに器用に泳ぐことができているのだろう。


ふたつめ。デジタル朝日【資本主義は「もう限界」コロナに地球破壊、立て普通の人】斎藤幸平さん 2021年2月1日本日付
「SDGsはアヘンである」
齊藤幸平さんはEテレ「100分で読む名著 資本論」のコメンテーターとして登場し、これを観て好感を持った。

「SDGsの目標8は経済成長ですが、経済成長は、途上国だけの目標に限定するべきでしょう。そして、すべての目標全体を本気で追求しようとするなら、資本主義システムを抜本から変えざるを得なくなります。けれども、実際には、各国に受け入れられるように、国連がキバを抜いてしまっている。「持続可能」な「開発」なんて、そもそもあるのか、という矛盾を最初から内包した毒まんじゅうを食らっているんです。あらかじめ企業の主張に忖度(そんたく)した議論は、目標実現へ逆に遠回りになってしまいます。」
まったくその通りだと思う。だけど私は「誰一人取り残さない」ということを世界の目標としたということを、まずは評価したかった。

2020年から2022年にかけて小学校から高等学校まで全面移行する学習指導要領のかけ声となった「主体的、対話的で深い学び」。それを実現するために必要な学級規模(学校規模も含めて)の問題を置き去りにし、教師の労働条件と研修のあり方を改善することなく、文部科学省のかけ声だけでは実りあるものにはならない。けれど、教師が一方的に講義する主体の知識偏重教育から方向転換をはかる意味では、私は評価したい。

こういう私の態度は、表面に乗っかる浅はかさなのか。考えさせられた。


みっつめ。『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』ガイ・ドッチャー 2012年
この本は、とにかく面白い。

その中で、日本の信号の色のことが書かれていた。
知らなかったが、信号の色は国際的に赤・黄・緑と定められ、
それぞれの色について使用する波長の範囲が決められている。
ところが日本人はこれを赤・黄・青と言い慣わしてきた。明らかに緑色にもかかわらず。
緑にも青にも何種類もの表現があるほど色に繊細にもかかわらず、かつては緑と青は同じ領域のことばとして認識されていたのであろう。
このこと自体とても面白い。

けれどもっと面白いのは、緑と青を区別するようになった現代において、
信号の色を赤・黄・緑と言うことより、
緑信号の色そのものを決められた波長の中でより青のものを採用するということを選んだ、という指摘。
日本人は依然として信号を赤・黄・青と言うのである。
日本人の思考傾向の一端が表れているように思う。
そして私も同じような思考傾向を持っているのだろうと思う。
自覚しておかなければ。

この本で一番面白いと思ったのは、方向感覚をめぐる自己中心座標と地理座標の話。
知らないことを知り、世界への視野が広がる。
こういう面白い本に出合えると、単純に嬉しい。
この読書経験に他者との対話が加わると、より深い学びになるのだろうと思う。
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『そこにはいない男たちについて』

2020-12-10 09:55:15 | 読書


同年代の友人に、結婚していない人は少ない。
そういう時代の人間だったということもあるだろうし、子どもを通して知り合った人も多いからかもしれない。
結婚して今も夫婦でいる人、夫に先立たれた人、離婚した人。

『そこにいない男たちについて』は、大嫌いな夫と同居している女と、大好きな夫に先立たれた女が出てくる。それぞれのサイドから語られ、微妙に接触するけれど、ふたりで夫について語り合う場面はほぼない。夫が大嫌いな女は、夫から離婚を切り出されるとショックをうける。夫に先立たれた女は徐々に喪失感から脱していく。

この本を私に勧めてくれたのは夫に先立たれた人で、「最近夫との会話がギクシャクすることが多い」と悩んでいる私に「生きているだけでもいい」というメッセージをくれたのかなと思う。

私は「夫が大嫌い」というのではない。むしろ夫の生き方を面白いと思うし、これまでの人生も後悔していない。悪い人ではない。
ただ夫はアスペルガーの傾向があるんだろうと思う。私は注意欠陥の傾向がある。
お互いのふるまい方がずいぶん違う。これが相手を理解することを難しくしている。
家にいる時間が長くなって、気になるのだろう。
男優位の古い価値観も影響していると思うが、それはその社会で生きてきてなかなか自覚しづらいものでもある。

夫がアスペルガーの妻をカサンドラというそうだ。
検索するとカサンドラたちの体験がいろいろ出てくる。
それを読んでいると、「よくもまあ一緒に暮らせるものだ」と思う。
離婚まではしなくても、別居できれば良さそうだとも思う。

「経済的なことを考えると」「子どものことを考えると」そう簡単には別に暮らせない。
我が家の場合は、どちらも問題ない。その気になれば、いつでも別居は可能だ。

要は、気にしない。したいことをする。自分の人生を楽しむ。
がまんせずに言う。ただし言うときはアサーティブに。
機嫌よく暮らす。
わかっちゃいるけど、なかなか…ね。

話しは逸れてしまったが、夫を亡くした女と、夫と同居している女との夫に関する会話は難しいのだろうか。
それぞれの立場から「そこにはいない男たちについて」話してみたい気もする。

作者は井上荒野。
最近思うのは、この男社会に生きていて、女性といえどもその価値観にからめとられているということ。
この作者は女性の心理をよく描いているとは思うものの、女性観・男性観に新しさが感じられない。
でも一冊では分からないので、この作者の他の本も読んでみようと思った。
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教育関係者必読の『なってみる学び』

2020-10-19 14:01:43 | 読書

すごい本だ!
学校教育に関わる人にとって必読の書が生まれた。
というのが第一の感想。

【『なってみる学び』その1 「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」】

この本は、演劇的手法を授業に取り入れた実践とそのための教員研修、公開研について書かれている。美濃山小学校の「なってみる学び」について余すことなく伝えたいという書き手の思いがあふれている。

なんと言っても、授業研究の視点を「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」と表現したことがすばらしい。
「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」をもとにした教育実践とはどういうものか、読んでいてよく分かる。教師が共同で授業研究をすることで、学習者個々の変容・成長と集団としての変容・成長が結びついて授業が変わり、学校が変わっていく。

これまでの学びは、inputの連続で詰め込まれ、発表やテストという形でoutputし、それが評価されて終わり。そこから次への学習の発展がない。私の担当したある学生が「inputは好きだけれどoutputが苦手。でもoutputは次の学習につながる途中なんだと実感したときoutputが苦手でなくなった」と言った。それを「表現と理解の相互循環」と言うことによって、だれにも届く表現になった。「表現と理解の相互循環」は、「なってみる学び」=演劇的手法に独特のものではないけれど、演劇的手法を用いることで顕著に実感できることも確か。

「子どもの学びと教師の学びの同型性」もしかり。例えばジグソー法で授業をしようと思えば、教師もジグソー法で学ぶ必要がある。
私は教育方法論を担当していたことがあって、教育方法の変遷の歴史や教育方法の紹介やらを100人ぐらいの学生相手に講義していてとても行き詰まりを感じ、教育方法学会である先生に「教育方法の授業が講義形式ということに矛盾を感じませんか。どうされていますか」と質問したことがある。質問された相手は、「私は講義形式で問題ないと思ってやっていますがね」とおっしゃっていた。面白く有意義なお話をされていたのだろう。でも、「何かちがうなあ」という思いで、その後も授業方法を思考錯誤していた。理科教育の授業が増えた機会に教育方法論の授業から外してもらったときはホッとした。ドラマ教育はやっていても教育方法となると重荷だった。けれどこの授業を持ったおかげで様々な教育方法とその歴史を知ったことは良かった。

話しが逸れた。だから、もし学習方法として演劇的手法を取り入れないとしても、「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」は授業デザインと授業研究に必要だとわかる。子どもたちが体験する学習を教師が経験するということ自体がすでに「なってみる学び」なんですけど。

この本を読んで「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」を実感することで、授業改革がどの学校でも進むのではないか。そんな期待に胸が躍る。



【『なってみる学び』その2 本のつくり方】

この本のつくり方がすごい!

授業を紙面で伝えることは難しい。演劇的手法の授業は同時多発的にいろいろなことが起こるのでなおさら。さらに、身体的表現として見えることと、その時心の中で起こっている見えないことのどちらもが大事なので、何をどう書くか悩む。

この本全体の構成を伝える図を見たときに、本当によく考えられアイデアの詰まった本だろうという予感がしたけれど、その通りだった。

実践報告あり、インタビューあり、対談あり、Tips Galleryあり、コラムあり、プロの素敵な写真あり、技法の一覧あり、アンケートあり、年表あり、QRコードあり、失敗事例あり、Q&Aありと、ブックガイドも含め書籍に入れ込めるありとあらゆる方法を適切な場所に適切に配置してある。

こんなに多様になると、取り散らかるというか、本としての統一した体裁が崩れてしまいそうだが。構成がしっかりしているから多様な書き方が立体的にうまく作用している。

索引もある。この索引がまたおもしろくて、「なんだなんだ?ちょっと本文見てみよう」と思える言葉が並んでいる。「ホット・シーティング」がいちばんあちこちで出てきて次は「ロールプレイ」だとか、「表現と理解の相互循環」より「同型性」のほうがたくさん出てくるとか。小学校の先生にとっては、作品リストも嬉しいだろう。

作り手が愛しんで丁寧に作っていることが感じられ、それがまた読み手として嬉しい。

ブックガイドに藤原さんにも手伝っていただいた『〈トム・ソーヤ〉を遊ぶ』を紹介していただいた。新しくてブックガイドには間に合わなかったかもしれないが、鈴木聡之さん(すぅさん)の『レッツ!インプロ!』がないのが残念。これも小学校の先生には読んでほしい。



【『なってみる学び』その3 素晴らしい教育実践】

なんてすばらしい教育実践なんだろう!
この本を読み終えて、真っ先に思い出したのがレイフ・エスキスの『子どもにいちばん教えたいこと』を読んだ時の感動だった。

素晴らしい教育実践を読むと、ふたつのことが湧き出てくる。
「私もやってみたい」というのと「わあ!私にはとうてい無理だな」というのと。

本書は「私もやってみたい」と思わせる要素がたくさんある。
ひとつにはその1で書いた「表現と理解の相互循環」と「子どもの学びと教師の学びの同型性」という原理。これがあるために、幅広く応用可能。

授業、教員研修(教材と直接の関係ない演劇体験を含めて)、公開研のそれぞれについて多様な形で示されているので、「これならできる」という取っ掛かりが多い。
美濃山小学校の先生方や子どもたちもステキで、もっと困難な状況の学校がいくらでも想像できるけれど、今ある条件でできることが何かあるはず。

さらに後押ししてくれるのは、
〈1回限りの実践では「失敗」と感じる事例でも、追体験や対話をすることで、見え方自体が変わり、新しい実践が生み出されるということがあります。(略)逆に言えば、いきなり良い実践が生まれることはほとんどありません。83ページ〉
ということ。
失敗しても、一回であきらめない。「挑戦と失敗の相互循環(?)」。

QPもおそらく最初から今のような立派な研究主任だったわけではないはず。ひとつには、初任校での糸井先生との出会いがあったらしい。あこがれ、真似して、ここまで来た…などと、この本を読みながらそんなことまで想像している。

ここまで書いてふと本を手に取り帯を見た。
〈読めばあなたも動きたくなる「深い学び」がここにある〉
これ以上のことを何も言っていないな。ちょんせいこさん、すごい!



【『なってみる学び』その4 人柄と演劇的手法】

レイフの『子どもにいちばん教えたいこと』を読んだ時もそうだったけれど、焼ていることは真似できても、その生き方はなかなか真似できない。

常々思っているが、演劇的手法を用いたワークショップや授業は、それを実施する人と切り離せない。実践の形は真似ても実際に起こることは一期一会。だから面白い。だから厄介でもある。まあ、どの授業でもそうだけれど、演劇的手法を用いた場合は顕著に異なってくる。マウスで医学実験をするようにはいかないのだ。

この本では、著者の人柄が実践とどう関わっているかということを想像させて、それがすごく面白い。
たかさんが「フラットな対話の関係性」を常に意識し、大事にしていること。
「大泣き事件」で象徴されるQPの他者に開いた感性。
真似はできないけれど、大事だということは分かる。大事だということが分かることが、大事なんだと思う。

著者たちは多分人柄について書こうなんて思っていないし、だから「フラットな対話の関係性」も「大泣き事件」も索引にないけれど、これは大事な要素だと思う。そんなことを考えながら読むのが楽しい。

この本にコラムを書かせてもらって、しかも過大な紹介をしてもらって、この実践と本にほんの少しだけれど関わらせてもらったことは、とても嬉しい。
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