ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

好きなことをして生きていく

2019-04-03 09:53:07 | 日記・エッセイ・コラム


単身赴任の夫が京都へ戻ってきました。
これまでの自由な生活から、ふたりで折り合っていくのが大変かも。
大変なのは私だけか?

こちらに戻る前に、珍しく、夫が私への感謝の気持ちを送ってきたので
「ようやく分かった?」というと
「沖縄でいろいろな人に声をかけられていい気持ちだったので、ウソでも言っとくと相手によく思われるんだなと思った」とか。

「ウソでも」って何よ。
でも、まあ、この単純さが私には気楽なんだけれど。

沖縄法学第47号に載った「最終講義に替えて 私の思想遍歴」を読ませてもらったけれど、考え方は変化しながらも、本当に哲学が好きで、この道一筋に邁進してきたその生き方を、改めて尊敬します。


私自身は、これまでを振り返ると

二十歳代で大学院を中退して京都で高校理科(ほとんど化学)の教員を15年。

沖縄在住17年。
そのうち16年半は琉球大学でダニを相手にする。

産業カウンセラー養成講座でソシオドラマに出会い、演劇的な手法に取り組みだしたのが1999年。
今年で20年。

沖縄国際大学で教職総合演習を始めたのが2003年。
教員養成に取り組みだして16年。

京都に戻り、立命館大学で教員養成・教師教育に携わって10年。

ほぼ15年ごとに生活も興味関心も大きく変わってきました。

20代に紆余曲折がありながらも「この道ひとすじ」の夫とは、真逆の生き方。

今から振り返ると、大きな転換点の大きな要因は「家族」でした。

沖縄への転居は、子どものアレルギーにとって転居が良いのではないかという期待と、夫が単身赴任するよりも子どもが小さいうちは家族が一緒に暮らすほうがよいのではないか、という思い。

京都へ戻ったのは、年老いた両親が気になるからせめて近くに居たいと思ったこと。

かといって、「家族に尽くす」という生活だったわけでもないのですが。

家庭と仕事とどちらも中途半端な人生だったと思います。
おそらく仕事では周りに多くの迷惑をかけていたことでしょう。

家族は、迷惑をかけたけれど、迷惑をかけられた。お互い様。
仕事もきっとそうなのでしょうね。

迷惑をかけないで生きることは、どだい無理。
迷惑をかけるかわりに、自分ができることなら迷惑をひきうける。
それでいいのではと思います。

家庭と仕事とどちらも中途半端な人生。
でも、特に悔いはありません。
それどころか、こんな中途半端な私が望外の幸運に恵まれてきたと思います。

残りの人生も、まわりに迷惑をかけつつ、できるところでお役に立てればと思います。
「できるところ」というのは「私の興味の持てるところ」という意味です。
やりたくないことは断るので、何かお役に立てそうなことがあれば遠慮なく声をかけてください。

世間の常識にとらわれない夫は、時には厄介な存在ですが、ふりかえってみれば「好きなことをしたら?」「やりたくないなら辞めたら?」といつも私の判断を尊重してくれました。
感謝します。ウソでなく。
コメント
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