ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

ドライブ・マイ・カー

2022-02-22 09:24:13 | 芸術およびコミュニケーション
ホームシアター派の夫が珍しく、映画館で観ようと言ったのは、自身が広島出身だから。

安芸灘大橋の根元、呉市川尻町にマンションがある。
居室は7階で、安芸灘大橋がよく見える。
主人公家福悠介が広島での宿泊先とした御手洗にも行ったことがある。
それやこれやで、興味をもった。

3時間は永かった。万人受けする映画ではないではないと思う。

私は「ワーニャ叔父さん」の演劇を上演するまでのプロセスがとて面白かった。
オーディションから始まって。
もし本当に上演されるなら、何としても観てみたい。
手話も含め、いろいろな言語が飛び交う芝居。

演出家は俳優たちにただひたすら台本を読むことを要求する。
ゆっくりと感情をこめずに。
台本の力を信じているからだ。
台本がすべて自分の中に入って、それで動き始めると、予期しないことがおこる。
台本と真摯に向き合えば。

こういう演出を良しとしない人もいるかもしれないが。

主人公はマイ・カーの中で繰り返し「ワーニャ叔父さん」のセリフを聴き、ワーニャのセリフを言う。
そのセリフが主人公の心の内とシンクロする。

自分の妻と向き合えなかった。
そのことが妻の死に影響した。
妻の死と向き合えない。
だから自分はワーニャがやれない。

最後のワーニャとソーニャのシーンは、主人公家福悠介とドライバー渡利みさきとの関係を暗示する。

自分や自分の身近な人と誠実に向き合うということは、なんと難しいことだろう。
失いたくないから、本音で話せない。
ああ!私も!

主人公が演じる「ゴドーを待ちながら」の一シーンも出てくる。
わけの分からない私の苦手な芝居だが、昨年末ワークショップで触れ、脚本も読んだ。
不条理劇と言われるこの芝居は、それこそお互い異なる言語で演じられるにはふさわしいかもしれない。

安芸灘大橋の根元のマンションは映りそうで映らなかった。
西島秀俊の横顔が長男に似ている。

この映画はあとあとまで心に残りそう。
村上春樹の小説は『ノルウェイの森』しか読んでいない。その時、あまり好きなタイプの小説ではないと思ったが、原作となった「女のいない男たち」を注文した。ここでも新たな出会いがあるだろうか。
コメント
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