極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

立葵×1Q84(Ⅰ)

2009年06月19日 | 時事書評



灼熱の太陽浴びて立葵 吾にささやくコンフオーコ





新鮮な野菜を口に出来るにようになった。そのわけは野菜
の形の不揃いにある。安くて、安心なのは近くのJA(平
田町)の野菜館から買ってくるという。やれば出来るんだ
と感心する。




タチアオイ(立葵、学名:Althaea rosea、シノニム:Alcea
rosea)は、アオイ科の多年草。以前、中国原産と考えられ
ていたが、現在はビロードアオイ属(Althaea)のトルコ原
産種と東ヨーロッパ原産種との雑種(Althaea setosa ×Althaea
pallida)とする説が有力である。日本には、古くから薬用
として渡来したといわれている。草丈は1~3mで茎は直立
する。 花期は、6~8月。花は一重や八重のもあり、色は
赤、ピンク、白、紫、黄色など多彩である。本来は宿根性
の多年草であるが、品種によっては一年草でもある。タチ
アオイ」。花言葉は「単純な愛」「灼熱の愛」。



茹だるような真夏日和。玄関先の試験菜園の胡瓜も日差し
をさけるように縮こまる。それではいかんと発想記号を入
れ歌う。



 





TBSが最近変わったのではと思わせるような魅力をもっ
た番組構成や内容だ。ニュース番組も昔なら筑紫哲也一辺
倒なイメージも払拭されたし、金・土・日のゴールデン・
トライアングルの連続ドラマは他社を圧倒している。


松本潤 衝撃のNGシーン 松本 潤


陪審院制が結審し、死刑が求刑された。拘置所でのビトの
激しい自責感に苦しむそして控訴の取り下げを一馬に告げ
る。一馬はビトの冤罪を証明すべく誠一郎を探す。冤罪。
菅家利和さんや石川一雄さんの事件もあり、込み上げるも
のがあり、不覚にも大泣きとなった。『花より男子』も良
かったけれど男前だね。



 

「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮か
び上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現
在の姿だ-長編小説『1Q84』の帯に書かれた言葉通り
この物語は男女ふたりの主人公が交互に展開する、まぎれ
もなく冴え渡った得体も知れぬ摩訶不思議な世界、村上春
樹ワンダーランドへようこそと。


MacBook  1984 Apple's Macintosh Commercial

 1980~1988 イ・イ戦争
 Paths of Glory 1957

DAY&NIGHT コーヒー紅茶兼用カップ&ソーサー 1セット(6客入×3箱)

 天吾は持ってきた文庫本を取り出して読みかけたが、
 少し迷ってやめた。彼は文庫本をポケットに戻し、ふ
 かえりにつきあうようなかっこうで、両手を膝の上に
 置き、ただぼんやり前方に目をやった。考えごとをし
 ようかと思ったが、考えるべきことをひとつとして思
 いつけなかった。しばらく『空気さなぎ』の書き直し
 に集中していたせいで、頭がまとまった何かを考える
 ことを拒否しているらしい。頭の芯にもつれた糸のよ
 うなかたまりがある


   


 

黒い薄手の丸首セーターにヘリンボーンのジャケットを着
て、ベージュのチノパンツに茶色のハッシュパピーを履い
たもう一人の主人公天吾が、プリント地のコットンのワン
ピースの上に、分厚い冬物の草色のカーディガンを着て、
素足に色あせたグレーのスニーカーを履いた、読字障害(
ディスレクシア、Dyslexia)をもつ、ふかえりと中央線新宿
駅の立川方面行きプラットフオームで待合い、高尾行きに
乗り込んだシーンの描写への親和がとても印象的だ。翻訳
や物書き作業中ってよくあるという肯き ^^;。


 Cold War


 タクシーの運転手にも何かしら奇妙な印象があった。
 彼が別 れ際に口にした言葉を、青豆はまだよく覚え
 ていた。彼女はその言葉をできる限り正確に頭の中に
 再現した。

  そういうことをしますと、そのあとの日常の風景
    がいつもとは少し追って見えてくるかもしれませ
    ん。でも見かけにだまされないように。現実とい
  うのは常にひとつきりです

 変わったことを言う運転手だと、青豆はそのとき思っ
 た。でも彼が何を言いたいのかよくわからなかったし、
 とくに深く気にはしなかった。彼女は先を急いでいた
 し、ややこしいことをあれこれ考えている余裕もなか
 った。しかし今こうして思い返してみると、その発言
 はいかにも唐突であり奇妙だった。忠告のようでもあ
 り、暗示的なメッセージのようにもとれる。運転手は
 いったい何を私に伝えたかったのだろう?



あさま山荘事件 part1 映画『突入せよ』

青豆はここで「運転手」「ヤナーチェックの『シンフォニ
エッタ』が謎として脳裡に深く刻まれ回顧するシーンだが、
彼女は何かのテイジェント(特命官)らしき職業をもった
人間だということしか分からない。回顧は続き、連合赤軍
-浅間山荘事件-日本人拉致事件らしき時代背景が走馬燈
のように流れて、彼女にとって宿命的な1984年の空白
が『1Q84』として設定される。


 警官たちが旧式のリボルバーを持ち歩いていたかつて
 の世界と区別をつけるためにも、そこには独白の呼称
 が必要とされている。猫や犬にだって名前は必要だ。
 この変更を受けた新しい世界がそれを必要としていな
 いわけはない。1Q84年-私はこの新しい世界をそ
 のように呼ぶことにしよう、青豆はそう決めた。Qは
 question mark のQだ。疑問を背負ったもの。彼女は歩
 きながら一人で肯いた。好もうが好むまいが、私は今
 この「1Q84年」に身を置いている。私の知ってい
 た1984年はもうどこにも存在しない。今は1Q8
 4年だ。空気が変わり、風景が変わった。私はその疑
 問符つきの世界のあり方に、できるだけ迅速に適応し
 なくてはならない。新しい森に放たれた動物と同じだ。
 自分の身を護り、生き延びていくためには、その場所
 のルールを一刻も早く理解し、それに合わせなくては
 ならない。

授業中のP.F.ドラッカー教授 photo by T.Y. Peter Ferdinand Drucker 

現実世界とは、いわば気体の様な無秩序な意図的なベクト
ルの集合体であらゆる錯誤を繰り返すものである。個人が
或いは共同体のもつ確信は、個人の或いは共同体の幻想(
ふわりとしたもの)として振る舞い、想定されている調和
された世界と異なり、写像として個人或いは共同体に降り
懸かってくる。「不意打ちを食らわないように心がけなさ
い」とはいまは亡き、ピータ・ドラッガーの言葉と記憶し
ている。小説の作者の意図とは異なるがそ
のように思う。


 五月晴れ 漱石が投げ 子規が打つ   加藤 武 
                               
                      



 

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