極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

河原撫子と2012

2009年11月10日 | 時事書評



必要と されるところで 働きぬ 永遠に咲く 河原撫子 



【S氏への返信】

2012年への進化 ホゼ・アグエイアス伝記「2012年の進化」

 
きみの進言で「
ふるやの森」→「サタスペ!ビートた
けしの禁断の超常現象(秘)Xファイル
」を早速みて
みた。正直いって、例えば、月の引力の千分の1程度
の変動でもノストラダムスの預言のグランドスラムの
共振現象とその増幅の地殻に与える影響があるのでは、
そして、前後10年に大きな地震が発生するのではと仮
説した「地震予知学」として発展出来ないかという問
いかけをきみにしたと思うが、その後10年間
梨の礫
がどうする?実際、
阪神・淡路大震災スマトラ沖地
は関連ありそうに思えるが理屈は立っていない。ま
ぁいい、前評判では酷評されている、
映画『2012
を楽しみにしているのでいっしょに観賞しようか。





もうすこし、<マヤの預言>をはじめとする終末論の流
行を考えて、きみが電話で話しているような昨今の「
超常現象フェチ現象」とは何かについて少し答えてみ
たい気がする。そもそも、マヤに残された長期歴の記
述をめぐる西暦相関論争(2012年12月21日 vs.  2012年
12月21日
)と終末論争(ポールシフト vs. 自然畏怖)
に「2012年人類滅亡説」(フリー百科事典『ウィキペ
ディア
』を参考に自分の立場を明らかにしたい。




「自然畏怖」とはマヤ民族の実存的な歴史観とする立
場でいわゆる「終末」ではなく「区切り」とする小池
祐二の研究に依拠する考えだ。

 マヤ人がグレゴリ歴より正確な太陽年を知ってい
 たとする主張は、どうも根拠に乏しいようだ。殊
 に、マヤ古典期半ばの 600 A.D.における太陽年
 の真の値と比べるならば、見たように、16世紀末
 に導入されたグレゴリオ暦の方が、マヤ人が算出
 したとされる値よりも真の値にたまたま近くなっ
 ているほどである。マヤの暦には、間日を定期的
 に設ける規則がなく、時折修正を行っているのだ
 が、その2つの例からも,マヤ人の1太陽年の値
 の精度は、決して高いとは言えないのである。

 マヤの暦には、1日を最短の周期とする様々な時
 間の区分があって、それぞれが特定の神と結びつ
 けられ、その神の属性に応じて吉凶が占われた。
 各々の時間区分、周期、は、その神が背負って運
 ぶ荷と見なされ、周期が終わると、その荷は、次
 の神にリレーされていった。吉凶・運命の変わる
 この周期の終わりを正確に把握することは、マヤ
 の神官にとって大切な仕事で、その結果、厖大な
 数の計算を行い、天体(特に金星)や日食を注意
 深く観測したのであった。

 既に世界が何回か滅ぴたと信じていたマヤ人は
 出来事は繰り返し生じると考え、過去を調べるこ
 とは、現在を知り未来に備えることを意味した
 そのため時間を遙か太古にまで遡ったり、2つの
 周期の最少公倍数である新しい周期を考え出した
 りしたのであった。他方、マヤ人の空間に対する
 意識は、時間と密接に関係していた。従って、空
 間に空白ができるのを恐れたマヤ人は、時間にも
 空白が生じるのを恐れ、数多くの周期を作り出し
 て、時間(荷)を背負っていく神をなるべく多く
 確保したと考えられる。このようにしてマヤ人は、
 複雑な暦を幾つも編み出し、重要な日付や出来事
 を石碑に記して、後世に残したのであった。この
 希にみる、時間に対する固執とその象形文字によ
 る記録のお蔭で、現在我われは,マヤ人の暦法や
 歴史についてかなり詳しく理解できるようになっ
 ていると言える。

         小池佑二『マヤの暦について




「時間(荷)を背負って遅くでいく神を何人も確保し
ておくというマヤ人の強迫観念のせいであったに違い
ない。かくしてマヤ人が複雑な暦を多数編み出し、厖
大な数を取り扱い、また天体観測に精を出したという
特異な事実は、マヤ人の宇宙観・時間の概念と考え合
わせることによって明解かつ納得ゆく説明が可能にな
るのである」との結論は、また、マヤ人だけではない
人類の自然への畏怖という本質的なものを「マヤ暦」
に凝縮されていると見て取れる。

The Mayan Factor: Path Beyond Technology

Jose Arguelles




  José Argüelles

ニューエイジ思想などにおいてマヤの暦と2012年を結
び付けることは、ホゼ・ アグエイアス(José Argüelles
の著書『マヤンファクター』によって、2012年12月21
日に「新しい太陽の時代」が始まるとされたことで広
まった(→エイドリアン・ギルバートの著書『マヤの
予言』の影響)。ホゼ・アグエイアスは、自身の仮説
が考古学におけるマヤと関係のない旨を『マヤンファ
クター』の序文に記し、その上で、自分の説は「銀河
のマヤ」のものだと主張しているというが、これは誇
大妄想と思うが、違うか! ^^;。

tumb Pleiades

今年5月20日の最大規模の金環食時に太陽、地球、月、
さらにこれに加えプレアデス星団までが正確に地球と
一直線に並ぶという稀な現象に伴い、その影響がもと
で発生し滅亡に向かうのが2012年12月22日だと解釈す
るものや、また、フォトンベルトと関連付けるもの、
太陽活動の極大期の太陽嵐の発生を根拠にするものも
あるという。

 

いくつかの終末論は、2012年に「ポールシフト」が起
こり最後の日を迎えると予言している。ポールシフト
の原因は小惑星の衝突や、天の川銀河の中心と地球と
太陽が一直線に並ぶまれな天文現象“銀河直列
”、膨
大な太陽熱の放射による地球内部の不安定化などが挙
げられている。プリンストン大学の地質学者アダム・マ
ルーフはこの説に異を唱え「
2012: Countdown to Armage-
ddon
」の中で「岩石の磁気分析から明らかなように何
百万年という単位でゆっくりと移動したのであって地
震のような急激な動きではないことは明白だ」と反論
しているという。

 Adam Maloof

さて、容量も尽きてきた。終末論が、歴史には終わり
があり、それが歴史そのものの目的でもあるという考
え方。目的論という概念の下位概念とされる。終末と
いうことの基準を、個々人の死の意味ではなく、類全
体にとっての最後の審判と義人選別救済とおいたとき、
終末論は本質的に一神教のものとする考え方に一顧だ
するところはある。



あるが、「終末観」を人類の普遍的(宇宙的)認識の
限界にあるとするならば、「終末論」なるものは「自
然畏怖」に対する通常の営み(褻:ケ)の結界外に置
かれた「非日常(晴れ:ハレ)の呼び戻しだと見なさ
れるのではないか。そう、「祭り」に御輿が繰り出す
ように(御輿は若者が担がないと渡れない。日本には
農本主義と関わり深いが、古くから<宮>
運動があり大
変面白い仕掛けがあるが)、日常の裂け目を見つけて
「終末論」が飛び出すというふうに理解すれば良いの
だと腑に落とすことにした。さて、超常現象愛好家の
きみには不満が残るだろうが、今日のところはこの様
に答えておきたい。最後に「地震予知学」を体系的に
考え出す意味と価値は大きいと。


ファイル:Dianthus superbus 5.jpg

河原撫子(Dianthus superbus var. longicalycinus)とは、ナ
デシコ科ナデシコ属の多年草。秋の七草の1つである
ナデシコ(撫子)は本(変)種のことを指す。別名は
ナデシコ、ヤマトナデシコ。淡紅色が一般的だが、白
色も多い。また、淡紅色と白色が混ざっている個体も
ある。栽培していると白色のものが淡紅色に変化した
りもする。彼女は心が強く頑張り屋さん。そんな彼女
の具合が悪い。不安な心を隠し託す歌を書く。かれん
な姿の「カワラナデシコ」。花言葉は「貞節」。


コメント
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