中国の 仕事の誓い 果たせなく リコリス見つめ ただ立ちすくむ
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【続・商鞅の変法とは】
本日も注連縄づくりで半日を費やす。天気予想とは
反対の穏やかな秋日和だ。さて、昨日のブログの続
きを。後日、商鞅は孝公(俳優役:侯勇)が死ぬと
彼を憎む人々から濡れ衣を着せられ引き裂きの刑で
処される。この時、映画『大秦帝国』では、商鞅(
俳優役:王志飛)と白雪(俳優役:高圓圓)の再会
の幻想シーンが非常に印象的な画像に出来上で黄健
中、延芸監督の手腕が光っている。中国映画といえ
ば、派手な立ち回り(嘗ての東映の時代劇のような)
や繊細な描写に欠けていたが、日本の大河ドラマ等
の研究で洗練されている。
中原
ところで、彼のつくった新法が残っていた事で富国
強兵策が維持され始皇帝となる。秦王政が登場して
中国は統一される。紀元前316年に恵文王は蜀(四
川省)を占領し生産力を上げ、長江の上流域を押さ
え、さらに謀略に長けた張儀を登用して、楚の懐王
を捕らえることに成功する。だが、恵文王の子の武
王と張儀の確執で張儀が魏に亡命、さらに韓との激
戦での辛勝により多くの兵を失った上に自身は事故
死し、後継者争いが起き戦力が後退する。
冬の華北平原
紀元前288年には、斉の湣王が東帝、秦を西帝と一
時的に名乗る。恵文王の子で武王の異母弟の昭襄王
の時代に宰相・魏冄と白起将軍の活躍で勝利を収め
魏より逃亡した范雎を登用。この時范雎は遠交近攻
策を進言。紀元前260年に白起を趙に侵攻させ、白起
は長平の戦いで趙軍を撃破、趙の捕虜40万を坑(穴
埋に)した。秦の覇権は決定的となり統一へ向う。
商人の呂不韋が子楚を荘襄王とし即位させる。荘襄
王は呂不韋の愛妾のひとりをもらい受け政を生む。
始皇帝
紀元前255年に完全に周を滅ぼす。信陵君が諸国を
まとめ秦を攻め追い詰めるも果たせず 統一王朝を
立てる。紀元前247年に即位した政だが、呂不韋を
失脚させ実権を握り韓・魏・趙を滅ぼした。紀元前
227年の刺客荊軻による暗殺未遂が発覚。紀元前223
年に王翦が秦最大の敵であった楚、燕を滅ぼし、紀
元前221年に斉を滅ぼし中国を統一し、政は自ら皇
帝を名乗った(皇帝称号は、伝説上の聖王、三皇五
帝からとったもの)。
阿房宮
始皇帝は度量衡・文字の統一、郡県制の実施など様
々な改革を行い、匈奴などの北方騎馬民族への備え
に万里の長城を建設、阿房宮を建設、焚書坑儒など
の思想政策も行ったが、過酷な労働と極度の法治主
義と儒教弾圧に国内は不満が高まり反乱の芽を育て
た。匈奴に対しては、蒙恬を派遣して、北方に撃退、
南方にも遠征し、現在のベトナム北部まで領土を広
げ南方には、南海・象・桂林の郡を置いた。中国王
朝の南方支配の始まりである。始皇帝は不老不死を
求め、国外への漫遊を配下に命じ、徐福が日本に向
かったとされる。
徐福
始皇帝は人体に有毒な水銀が不老不死の元であると
信じ寿命を減らし、始皇帝は巡業中に死亡。宦官趙
高と丞相李斯によって隠され、長子の扶蘇ら始皇帝
の血族者ら権力者を次々に暗殺し、暗愚な二世皇帝
を傀儡として、権力をほしいままにして暴政を敷い
た。翌年には陳勝・呉広の乱が勃発、全国に飛び火
して、騒乱状態となった。二世皇帝と趙高は章邯を
将軍として討伐軍を送る。章邯は軍事的能力を発揮
し、陳勝軍、項梁軍も撃破するものの項羽との決戦
に破れ、やがて咸陽は廃墟となり秦は滅ぶ。
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西安咸陽国際空港
映画『大秦帝国』は映画・画像部門の発展をうかが
わせると同時に、歴史上に残った中国国家体制の根
の深さを再確認することとなった。丁度、30年前
西安(現在の、西安咸陽国際)空港にはじめて降り
立ったころから比べ、格段のスピードで発展を遂げ
てきたことに改めて、肯定的に腑に落とすこともで
きる。そりゃ、それなりに勉強もさせて頂いたわけ
で、今日を予見できた数少ないひとりだと ^^;。
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中国は、基本的に情報監視社会で「商鞅の変法」が
生きている(共産党という秘密結社的組織による独
裁)。FT紙は国慶節(建国記念日)を機に出した
記事で、中国上層部の人事決定の秘密体質をて書い
ている。9月の「4中総会」で、習近平の中央軍事委
員会副主席への就任が見合わせたが、「共青団と太
子党の対立が背景にある」という見方が出ている。
胡錦涛は共産主義青年団(共青団)の出身だが、共
青団の人脈は軍と強いつながりに欠け、習近平は、
広東省で改革開放政策の基盤を作った古くからの党
の高官である習仲勲の息子で「太子党」の一人。
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胡錦涛が、後継者である習近平を早めに中央軍事委
員会に入れてしまうと、習近平は、胡錦涛と軍との
つながりが薄いことを利用して、太子党の人脈を引
き連れて軍を乗っ取りかねない。それを警戒して胡
錦涛は、習近平をなかなか中央軍事委員会に入れた
がらず、胡錦涛はもしかすると、あらかじめ決めら
れていた政権担当期間が終わった2012年以降も中央
軍事委員会の主席ポストを手放さず居座るかもしれ
ないとの予測もあり、先代の江沢民も、その前の
小平も、中央軍事委員会主席のポストだけはなかな
か下りなかったという(田中宇『台頭する中国の内
と外 』@WSJ “Beijing's Secret Succession Battle”)。
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内村剛介
中国の中枢に共青団と太子党の暗闘?当初は共青団
の後輩である李克強より、習近平の方が序列が上に
なり、習近平が最有力の後継者となっている。小
平は「世界的な台頭を目指す前に、国内の安定と発
展に十分な時間をかけろ」と言い残しており、江沢
民や胡錦涛は、その遺言に沿って中国を運営してき
たとされるが、これに外国勢力の政治的圧力か絡み、
複雑な様相を見せるというが(多極化の流れと変わ
ことを田中宇は前提としている)、<大秦帝国>から
汲み取ることが出来ることも多いが、そうでないこ
ともあり、そして、『中国における共産主義とは何
か』の命題が「国民生活の一括的向上」(吉本隆明)
と「社会主義の目的そのものが問われている」(内
村剛介)と言ってのけた30年前がいまも輝き問い
続けていることに間違いはない。そう、映画をみて
腑に落とすことにした。
内村剛介「生き急ぐ」
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ヒガンバナ属(彼岸花属)は、ユリ目ヒガンバナ科
(かつてのクロンキスト体系ではユリ科)の1属。
リコリス (Lycoris) とも。英語では、ハリケーンリ
リー (hurricane lily)、クラスターアマリリス (cluster
amaryllis)、あるいは、近縁のハマオモト属・ヒメノ
カリス属と合わせてスパイダーリリー (spider lily) と
呼ぶ。5年前、この季節ごろ国道沿いの高宮の居酒
屋「時国」で井ヶ田光茂と酒を酌み交わしていた。
話しも煮詰まり、彼は「この仕事が終わったら、是
非、中国で仕事をやりましょう」と高揚した言葉で
話しを切り出したのを受け、ひとつ返事で「やりま
しょう」と答えた。それから翌年の5月に不在中に
彼が職場を訪れことを上司から聞くことになる。そ
して夏に亡くなるが、夕暮れの道端の曼珠沙華を見
つけて果たせなかった夢-生きる灯火だった彼の思
いに馳せた空白の時間を詠む。ヒガンバナ科の球根
草「リコリス」。花言葉は「誓い」。
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