【宇宙と時間】
この世界で生起するあらゆる変化を通じ、保持
されるものを時間と定義する。変化を通じて保
持される何ものかが「存在」していることを前
提しているようにみえるが、変化において仮設
的、構成的につくりだされたものが時間である、
という時間の「構成説」をとれば否定されると
いう。
西欧近代哲学の主流のをなす二つの時間観は、
ニュートンとライプニッツであり、カントは第
三の立場を選んだ。世界認識の時間および空間
という「形式」に従う、時間を人間の主体側に
還元した時間意識の出発点は、自然の周期現象
であり、周期的・回帰的なものとしてとらえら
れた。事実、多くの古代文化圏(インド、ギリ
シア、ゲルマンなど)において輪廻(りんね)
的時間が設定されている。
Henri-Louis Bergson
過去、現在、未来という時間の三態は、また時
間の流れ、方向の問題にもかかわり、人間の記
憶、現実感、そして期待や予期という意識状態
にも重なるこうした時間の特性は、西欧近現代
の哲学のなかで、生の形式を論ずるベルクソン、
フッサール、ヤスパース、ハイデッガーらの手
で問題にされ、新たな時間論を形成した。
現代物理学の相対性理論と量子力学、さらに古
典的統計力学もまた、時間論に大きな衝撃を与
えた。(1)絶対時間や絶対的同時性に対する
根本的疑問を提出した相対性理論(2)エネル
ギーと対になる時間を物理的観測量とみなす量
子力学(3)エントロピー増大の方向と時間の
流れとの一致という挑戦的問題を生み出した統
計力学は、いずれも、今日の時間をめぐる問題
の宝庫でもある。
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通常、時間といえば、現象が前後し継起するこ
とを表示する変数をさすことが多い。またこの
変数のとる値を時刻、時刻と時刻の間を時間間
隔という。時間の単位として秒が用いられる。
1968年10月国際度量衡委員会(CGPM)は、セ
シウム133の原子から放射される放射の周期の9
1億9263万1770倍を1秒と定めた。
時間を測定しこれを量的に表現するには、前記
の放射のように、規則正しく運動する周期運動
を用いる。基準の時間を設けることにより、物
理現象の時間変化を研究し法則をみいだすこと
ができる。このことは基準に用いた周期運動と
対象とした現象が互いに恒常的な対応性を有し、
自然が統一的であることを意味する。時間を用
いて現象を研究し認識することができること自
身が自然の統一性に対する検証である。同時に
このことは、自然現象、とくに物理現象におけ
る時間の進み方が物理現象とは独立ではなく、
物理現象と同様物理学の研究対象であることを
意味する。
ニュートンはその運動法則の前提として絶対時
間を導入した。ニュートンの絶対時間は何物と
も無関係に一様に流れている超経験的なもので
ある。運動の第二法則が成り立つためには、す
べての座標系(厳密には慣性系)に対してこの
共通の絶対時間を用いねばならない。アインシ
ュタインは相対性理論のなかで、時間の進行が、
相互に運動している慣性系の間で異なることを
示した。
K中間子はこの世で確認されている唯一の時間
反転物質である。例え、百万分の1秒程度の現
象である。これは加速器のなかで見えるだけで
ある。中性K中間子だけがごくわずかではある
けれど、時間の対称性を破ってしまう非対称性
時代なのだと。
Richard Phillips Feynman
ファインマンはこのことを、陽電子が「時間を
逆向きに動く電子」だという仮説を提出した。
出現と消滅は、電子におい突然の時間の逆転が
消滅だ。微視的運動では『時間の矢』の向きが
読みとれないのに、それから構成される巨視的
現象では『時間の矢』が読み取れるのはどう説
明すればよいか。という疑問は「時間の不可逆
性の問題」として、百年ほど前から始り今も解
決されていない。
【宇宙と亜空間】
特別な思い入れのある空間という意味で亜空間
という言葉が使われる。見慣れているはずの自
分の部屋の様子が何か違って見えたり、いつも
通る街の景色が異なっているように感じたとき
その瞬間、亜空間と出会っていることになる。
亜空間は日常の空間に潜んでいるが、気づかず
見過ごしているといわれる。
亜空間とは、「パラレルワールド」と言い換え
て良い。ある世界(時空)から分岐し、それに
並行して存在する別の世界(時空)を指す。「
四次元世界」や「異世界」などとは違い、並行
世界・平行世界と訳される。並行宇宙や並行時
空といった呼称もよく使われる。「この現実と
は別に、もう1つの現実が存在する」というア
イディアは、「もしもこうだったらどうなって
いたのか」という考察を作品の形にする上で都
合がよく、パラレルワールドはSFにおいてポピ
ュラーなアイディアとなっている。
『不思議の国のアリス』
【時空軸と人類のトポロジー】
時間とは何か。古代インドでは時間は流れない。
「流れる」ではなくて「静止」「持続」「消滅
」があるだけ。だからインド哲学や仏教の時間
論には、経典の文中に「静止」「持続」「消滅
」の同義語や反意語が言及されているという。
「色則是空」の空とは「縁起」「相衣性」であ
るとするなら、即ち、相依性の縁起とは、生命
が、時間的にも空間的にも、他のあらゆる生命
と存在との結びつき、相互依存的に存在してい
ることを意味する。
現象界は相依相関であり、裏返せば因果律の関
係性の上に成り立っている。「滅せず、生ぜず、
断ぜず、常住ならず、1つのものでなく、異な
るのでもなく、来たらず、去らない」という戯
論寂滅に到達する。空性とは涅槃の境地であり、
自身の解脱の境地であり、縁起=空を説くこと
により、我執を打ち破り他の存在との関係性の
自覚を促し、色(=現象界)に、空(=相依性
の縁起)をもって共鳴し互恵する世界を理想と
する。こうしてみると「独立」「対称」「流れ」
が崩れ「因果律」「非対称」に置き換わっただ
けだが、ユークリッド幾何学が、パラレルワー
ルドが含まれた、この<実存世界>の未来共有を
求め微力を尽くすことに思いを馳せたい。
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【鱧は近畿の食文化】
ハモ(鱧)Muraenesox cinereus は、ウナギ目・
ハモ科に分類される魚の一種。沿岸部に生息す
る大型肉食魚で、日本では高級食材として扱わ
れる。全長1mほどのものが多いが、最大2.2m
に達する。ハモという和名も、よく咬みつくこ
とから「食む」(はむ)が変化した呼称といわ
れる。西太平洋とインド洋の熱帯・温帯域に広
く分布し、日本でも本州中部以南で見られる。
水深100mまでの沿岸域に生息し、昼は砂や岩の
隙間に潜って休み、夜に海底近くを泳ぎ回って
獲物を探す。
産卵期は夏で、浮遊卵を産卵するが、ウナギの
ような大規模な回遊はせず、沿岸域に留まった
まま繁殖行動を行う。レプトケファルスは秋に
みられ、シラス漁などで混獲されることがある。
おもに底引き網と延縄で漁獲される。釣りで揚
がることもあるが、咬みつかれる危険がある上
に調理に技能が必要なため、ハモを狙って釣る
人は少ない。
ハモの湯引き日本ではハモは高級食材として扱
われ、特に京料理では祇園祭に食べる風習があ
り夏の味覚の代表的なものとして珍重される。
関西と関東の文化の違いが現在に至るまで如実
に現れている食材の一つである。関西において
も鱧は夏の高級食材であるが、鱧の湯引きなど
は広く販売され、生活に密着した食材である。
関東においては高級日本料理店以外ではあまり
目にかかることはない。消費量も関東の鱧消費
量は関西の十分の一程度である。
ハモの水揚げが多くない京都においてなぜハモ
を食べる文化が発達したかについては、輸送技
術が発達していなかった頃、夏に京都まで生き
たまま輸送できた、生命力の非常に強い数少な
い魚だったことによる。また、一説には養蚕が
盛んで京都へ絹糸を供給していた大分県中津市
の行商人などが京都へ食文化を伝えたとも、中
津藩の隣接する天領日田に招聘されていた京の
料理人が往来の途中に隣国中津の漁師から「骨
切り」の技術共々を教えられ持ち帰ったとも言
われており骨切り技術の発祥地である中津市の
料理人が伝え現在につながっている。
骨切りを施したハモを熱湯に通すと反り返って
白い花のように開く。これを湯引きハモまたは
牡丹ハモといい、そのまま梅肉やからし酢味噌
を添えて食べるほか、吸い物、土瓶蒸し、寿司、
天ぷら、蒲焼などさまざまな料理に用いられる。
生きたハモを捌かないと湯引きがきれいに開か
ない。またハモの身は上質なカマボコの原料に
使われる。その際残った皮を湯引きして細かく
切ったものは、酢の物にも利用される。
そうだ、海産物が大嫌いで、一度牡蠣を試して
みたリチャード・P・ファインマンが、あまりの
不味さに耐えられなかったという。ただし来日
した際に食べた魚は美味しかった(新鮮で生臭
くなかった)ので食べることができたが、帰国
してから魚料理を食べに行ったらやはりまずか
ったと語っていたことを思い出した。
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