ハクレンの 白き訪れ 待つはずが 胃薬の数 また増えている
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月をめぐる神話でもっとも重要なのは変容神話
である。古代人は月の満ち欠けを天の生き物が
成長して死ぬ現象ととらえ、死のあとには新月
として再生すると考えた。月の諸相が繰り広げ
る絶え間ないドラマは、人間や動植物の生のみ
ならず、死後の生という考えも含めて、生のパ
ターンを考察するモデルになった。月は古代人
にとって時間のイメージだけではなく、永遠の
イメージも担っていたように思われる。人々が
本能的にみずからを月と同一視したのは、月の
再生を、衰えて死ぬ自分たち人間にも同じ運命
を約束するものと解釈していたことにほかなら
ない。こうして月は見ることのできる希望のシ
ンボル、人間の心の間を照らす光となった。
ジュールズ・キャシュフォ-ド著
『月の文化史/上』
「本書では、旧石器時代の動物の角や骨に刻まれた
最古のしるしから、今日の技巧をこらした詩にいた
るまで、月に霊感を受けた神話や象徴、あるいは詩
的イメージについてさまざまな角度から探究を試み
た。人間の考え方がどう変化してきたのか、その歴
史を探るためにまず目標とするのは、月をめぐる物
語が人間の思考方法に及ぼした影響を見いだすこと
である」(同書序文より)というふうに分厚く重層
な博識への旅立ちを語り、次のように月の物語を結
ぶ。
Jules Cashford
キーツの詩『エンデュミオン』では、羊飼いが
〈詩のミュしス〉としての月と恋に落ちる。月、
すなわち心にとりついて離れない光は、「美の
形象」のように、「われわれの暗く沈んだ心か
ら闇の帳」を上げて、「つねにわれわれととも
にある。そうでなければ、われわれは死んでし
まう」。「赤いケシの花でおおわれた魔法の臥
所」で彼は月の幻影を夢に見る。
「するとどうだろう! 雲の裂け目からう
っとリするほどに美しい月が 顔を覗かせ
たのだ。海神の酒盃となる貝を……」
ジュールズ・キャシュフォ-ド著
『月の文化史/下』
John Keats
ともあれ、『月の文化史/下』、第11章「月と太陽
の聖なる結婚」では「永遠」(太陽)と「時間」(
月)は、このようにめでたく融合するのである。
「太陽と月の結婚は-目に見える場合は、反対顔の
地平線上にある対等なものとして、見えない場合は、
暗い夜の闇のなかで結合するものとして、それ以上
に見えない場合は、人間が想像する調和のとれた関
係にある存在として-古代世界の多くの人々にとっ
て、永遠と時間の奇跡的な結合を意味した。月の光
の方が弱くなったとき、月は時間の役割を、太陽は
永遠の役割を担うことになった。この両者の結合、
あるいは再結合という概念のなかで、永遠の存在の
輝く光である太陽は、有限の時間の照らされる光で
ある月と一つになる。永遠の生命と時間的生命は、
これにより根本的に対立するものではなく、二重の
局面に現われるひとつの本質から成ることが明らか
にされる」と。
月光菩薩@薬師寺
ツクヨミは、月の神とされているが、その神格につ
いては、文献によって様々な相違がある。『古事記』
では伊邪那伎命が黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした
時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生
まれた天照大御神、鼻から生まれた建速須佐之男命
と共に重大な三神(三柱の貴子)を成す。一方『日
本書紀』ではイザナギとイザナミの間に生まれたと
いう話、『古事記』とは逆に左目から生まれたとい
う話、右手に持った白銅鏡から成り出でたとする話
もあり、支配領域も天や海など一定しない。
月讀、ツクヨミノミコト
日本神話において、ツクヨミはアマテラス・スサノ
オと並ぶ重要な神とされているにもかかわらず『古
事記』『日本書紀』の神話にはあまり登場せず、全
般的に活躍に乏しい。わずかに『日本書紀』第五段
第十一の一書で、穀物の起源が語られているぐらい
である。これはアマテラスとスサノオという対照的
な性格を持った神の間に何もしない神を置くことで
バランスをとっているとする説もある。同様の構造
は、タカミムスビとカミムスビに対する天之御中主
神、ホオリ(山幸彦)とホデリ(海幸彦)に対する
ホスセリなどにも見られる。これを日本神話の中空
構造と言う。さて、月の神話は太陽より先んじるこ
とは現代では常識とされる。月の属性を神話・伝説・
イメージ(図像及び詩)を駆使し多面的に網羅した
文化論。まとめて読み抜くには散漫に終わり悔いが
残った。
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【勇敢な鮎魚女】
姿がアユに似ている為、「鮎なみ」が転じてアイナ
メになったと言う説。鮎と見た目が似ているからで
はなく、鮎のように縄張りを持つ習性のため、「鮎
のような魚」と言う意味で「鮎なみ」転じてアイナ
メになったとも言われる。アイナメは北海道ではア
ブラコ、東北や関西ではアブラメなどとも呼ばれ愛
媛では「モミダネウシナイ」という面白い呼ばれ方
もする。アブラコ、アブラメは身に脂がのっている、
また、体表のヌメリが油の様だから。「モミダネウ
シナイ」は、この魚をおかずにすると、種モミまで
食べてしまうほど美味いからとか、むかし、ある百
姓がこの魚の美味さにひかれ、モミ種の金まで使い
果たしたから・・・。などの逸話が残されているほ
ど美味しい魚。
アイナメ(鮎魚女、鮎並、学名 Hexagrammos otakii)
は、魚類カサゴ目アイナメ科の1種。日本沿岸の比
較的塩分濃度の低い岩礁域に広く生息する底生魚で、
食用にもなる。全長30cm~40cmほどだが、60cmを超
えるものもいる。カサゴ、メバル、カジカなどと同
じカサゴ目に分類されるが、アイナメはひれの棘条
(とげ)が発達しないこと、背びれが1つに繋がっ
ていること、体高が高いこと、鱗が細かいことなど
が特徴である。これらの特徴はクジメやホッケなど
他のアイナメ科の魚にも共通する。冬から春にかけ
ての寒い時期が旬。学名の「otakii」はシーボルトの
愛妾、お滝に由来する。産卵期にはオスが縄張りを
持ち、メスに求愛運動をし、岩礁域の窪みなど潮通
しのよい場所(縄張り)に産卵させ、産卵後はオス
が卵を保護する。この縄張りを持つ産卵期にオスは
婚姻色の鮮やかな黄色になるがこの時期の雄は戦闘
的で侵入者に対し攻撃をしかけ、卵を守る習性があ
る(逆に卵を好んで食べる)といわれる。
防波堤や岩場からの釣り魚として親しまれる他、底
引き網、刺し網、籠漁等でも捕獲される。最盛期は
晩秋から冬。釣りの場合は「ブラクリ」という特殊
な動きをしながら落下する錘を使用する事が多い。
身は脂肪の多い白身であり、そのことから「あぶら
め」とも呼ばれる。季節により寄生虫がいることが
あるので刺身などの生食は注意した方が良い。刺身、
煮付け、唐揚げ、潮汁、焼き物、味噌汁、干物、み
りん漬け、粕漬けなどで食べられる。
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