豪雪に 投票箱 持ち運ぶ ドアも凍てつき ライターで溶かす
クなどの草創期からいくつかのOSが競
争してきたにもかかわらず、最終的にす
べてマイクロソフトになってしまったの
か。最後に生まれたOSにあらゆるソフ
トを乗せてしまうようになったからです
ね。やっぱりそういうことを仏教や宗教
もやるべきなんです。おそらくこのまま
いくと、アイパッドに乗らないものは使
えなくなっていきますよ。だったら、早
くアイパッドの中にも両界曼陀羅を入れ
るべきです。そこを指でタップすれば仏
教の全歴史が見えるようにすればいいん
ですよ。ほとんどのアイコン(尊像)に
あれだけの名前がついていて、漢和辞典
みたいにもなっているわけですし、ムド
ラーも決まっているし、色も全部付いて
いる。「アイパッド曼陀羅」を早くつく
ってしまえばいいんです。
トークフォーラム
「東アジアのなかの空海」
松岡正剛×長澤弘隆
古代中国の山岳信仰が日本にも入ってきた。
白山の秦澄上人や日光二荒山の勝道上人など
の人々が聖地として次々と開山していく。日
本の民俗学で非常に謎とされている海に囲ま
れて山の神や川の神や田の神の数に比べて、
海の神が著しく少ないのは、おそらく、日本
の山岳信仰に中国的な信仰が加わり、海の信
仰を圧倒していったと考えられる。
もう一つは、日本には「他界観念」が縄文時
代からあり、古代に亀棺がつくられ屈葬や火
葬や水葬や土葬といった死者の弔い方が連綿
と続くが、それは中国のように儒教、道教、
仏教という括りではなく習合的におこなわれ
ていた。この他界観念と山の信仰が結びつき
「山中他界」という観念(山岳は浄土と穢土、
此岸と彼岸の中間とみなされた)は、山だけ
ではなく海にも「海上他界」というモデルが
あり「補陀洛信仰」ともつながるが、最初は
山だった。
北九州から海洋民族が、また中国や朝鮮半島
の民族も稲とともに入ってきて、日本列島を
北上し、瀬戸内海や山陽を通って大和に入り
大和の前に、難波、すなわち大阪のあたりに
最初の「河内王朝」がつくられた。河内王朝
が短命に終わり、竹内街道を越えて大和へ入
り奈良に大都をつくる。奈良盆地を地理上で
見ると、笠置、生駒、二上、葛城、金剛とい
う山々がめぐり、吉野、高野、熊野へとつな
がる。その熊野から海上他界に入るのだが、
その中間が日本のミステリーゾーンの高野山。
若き真魚こと空海は、南都で遊んでいたころ
に、これらの山々に何かを感じた。吉野には
大海皇子がしょっちゅう入り、持統天皇も行
幸し、後醍醐や後白河も吉野に入る。空海は
「この吉野の奥には何があるのか」と考え、
日本の水銀などの鉱脈に関心を持ち、また、
イオン信仰(=水のイオン信仰)が加わり、
この中央構造線に沿って、高野あたりの丹生
川を含めたあの界隈を七里結界とした。
中央構造線は紀伊半島で北上し瀧原宮を通り
伊勢神宮を、そして美濃・三河に出て、豊川
稲荷を通過し、諏訪湖畔の岡谷を、諏訪大社
を通り旧岩槻市の南を通り千葉県に抜ける空
間に日本のパワースポットがずらっと並んで
いる。空海も早くに水銀のレアメタル性とい
うか、レアバリューに気づき、希少価値に非
常に敏感で、少数のものをもって多数を制す
る今日でいうレバリッジ志向を持ち南都六大
寺を否定し一人で入山しドロップアウトする。
密教はイスラムに侵略され終わる。その間、
小乗のアビダルマから、大乗の般若経・法華
経・浄土経あるいは護国経典系、中観・唯識
の二大思想、華厳経系、密教系仏教と、中国
に伝わり中国から日本に伝わる。その意味に
おいて、空海はインド仏教を中国仏教をわき
まえた唯一で、高野山は全仏教史、仏教正史
の終着点というとになる。
【恵果和尚の密教(=密教インター
ナショナリズム)とはなにか】
仏教がインドに生まれた根拠はデュアルスタ
ンダードにある。ユダヤ教やキリスト教やイ
スラム教などの一神教の世界観は、唯一絶対
神であり、熱砂の砂漠で生まれた。生か死か
の二者択一を司るものが神の思し召しである
という宗教。この砂漠の宗教にユダヤ・キリ
スト教の上に、今日のアングロサクソン的な
契約社会や資本主義的社会が顕れるが、仏教
や東アジアの多神教は森の宗教。魑魅魍魎に
囲まれたところで育ったものが瞑想の宗教が
曼陀羅の宗教という。
熟慮や保留が大切とされる。衆議や座の履歴
をインターフェース上に並べおくと重視する。
そこには二つの仕組み「胎蔵界」と「金剛界」
が顕在する空海の仏教は、インド的なデュア
リズムに、さらに中国的なデュアリズムが加
わったものだが、日本にも神仏習合とか和御
霊と荒御霊とか、漢字と仮名とか「あはれ」
と「あっぱれ」、荒事と和事というようにあ
った。密教、とりわけ空海は、多様性を表現
し統合化していく方法論をもっていた。
これは、不動明王と大日如来と同じで、キャ
ラクタリゼーションの変換でアバター。大日
如来のアバターが不動明王という風に密教は
徹底する。そのアバターやアルターエゴ、或
いはオルタネイティブだが、密教はそれをも
っていた。マンダラをインターフェースとす
れば、仏の絵一つ一つはアイコンで、そこに
カーソルをもっていってクリックすると次の
情報空間に飛躍しリンクする。密教の真言は、
いわばコンピュータのコマンドであり、パス
ワードとも言える。真言は言ってみれば、異
次元の仏の世界と交信できる言語だとすると、
それを唱えることで異次元の情報世界にポー
ンとワープするという速さに通じる。
リケーションと規路があり、イメージとして
は、空海密教は日本の文化の母、つまりさま
ざまな日本の文化を起動させる基本ソフトを
意味する。奈良時代の南都六宗(倶舎・成実・
律・三論・法相・華厳宗)に平安時代の天台
宗・真言宗を加えた八宗を空海は組み込んだ。
以上は このブログのために「東アジアのなか
の空海」を引用したものだが、時代考察とし
て感覚的に曼荼羅図を連想し『デジタルな空
海』として言い表そうと思い、ネットで下調
べしていたら偶然ヒットしたわけで、それも
大変分厚い重層な知識をバックグランドとし
たものであり、わたしがイメージしていたこ
とと大凡合致していたが、ただ、統合体乃至
は人類の叡智としての『真言』は、構成する
個別大衆の「生活思想」の深耕によるクラス
ターの連携よりなるため、各個のクラスタの
「アイコン」は自在変化する‘ダイナミック
・アイコン’として顕れるという差異がある。
つまりは「自立的な民主制」を形成する個々
の孤独な<生活思想>の深化が織りなす有機的
な世界ということになると思いつつ、今夜は
ここまで。
■