【言葉が漂い過ぎる日々】
先日注文した盛岡冷麺を夕食に頂いていると、彼女が「いきものがかり」ってどういう意味なのよ
と尋ねるので、メンバーの水野良樹と山下穂尊(ほたか)が小学生時代に金魚に餌をあげる「生き
物係」であったからさと答えて、それがどいうしたのかと問い返すと、いまNHKのロンドンオリ
ンピックのテーマソングを歌っているじゃない。だから聴いてみたのよとの答えがかえってきた。
そんなことをいえば、最近の「いじめ」問題から「硝子の少年時代」というキンキ・キッズの歌を
連想するが、誰が詞を書いたのだろうかと疑問がわき、食事を了えネットで下調べし、なるほど、
山下達郎と松本隆のコンビかと感心する。そんな風に考えを連想し、書き綴るだけでブログテーマ
がなんとはなしにできあがるので、このようにクオリア(感覚質)をたよりに、テーマが浮かばな
いときはこういった方法もありかなと腑に落とすことに。
時代はいま 変わっていく僕たちには願いがある
この涙も その笑顔も すべてをつないでいく
風が次いでいる 僕はここで生きていく
晴れわたる空に 誰かが叫んだ ここに明日はある ここに希望はある
君と笑えたら 夢をつなぎあえたなら
信じあえるだろう 想いあえるだろう この時代を 僕らを この瞬間(とき)を
言葉にできないこと 涙が溢れること
ふるえる心で感じたすべてが 僕のいままでをつくってきたんだ
出会いとさよならとが 決意(おもい)を強くさせた
手を振り誓った あの日があるから 僕らはここにいるんだ
水野良樹 『風が吹いている』
雨が踊るバス・ストップ
君は誰かに抱かれ
立ちすくむぽくのこと見ない振りした
指に光る指環
そんな小さな宝石で
未来ごと売り渡す君が哀しい
ぽくの心はひび割れたビー玉さ
のぞき込めば君が
逆さまに映る
Stay with me
硝子の少年時代の
破片が胸へと突き刺さる
舗道の空き缶蹴とばし
バスの窓の君に
背を向ける
松本 隆 『硝子の少年』
【続・たまには熟っくりと本を読もう】
茂木-いま脳科学は「欲望」に注目する
いま脳科学では「幻想」とか「欲望」といったことが注目されていますので、ご意見をおうかがい
したいと思います。とくに欲望といった場合、貨幣とか食べ物、性といったことだけでなく、およそ
あらゆるものが欲望の対象になっています。しかも、脳のなかで欲望を司っている神経回路には
かなりの自由度があることが最近わかってきました。吉本さんはそのあたりのことについてずい
ぶんお考えになってきたと思いますが、欲望というのはそもそも幻想的なものである、といった問
題についてどうお考えでしょうか。
吉本-欲望の何が重要か
欲望というと、常識的に思い浮かべるのは性とか金銭の欲望で、あえてもうひとつぐらい付け加
えれば名誉や地位、ぼくらがたずさわっている文学の世界でいえば名声ということになります。常
識的にそのくらいしか考えたことかありませんけれども、とくに重要なのはどういうことでしょうか。
茂木-欲望一元論が主流になっている
いまおっしやったことをパラフレーズすることになりますが、たとえば人間関係における承認欲求
といいますか、母親に褒めてもらいたいといった子供の気持ち、あるいは社会に認めてもらいた
いという気持ちはかなり強いもので、欲望が人間の行動を導いていることがかなり具体的に脳の
活動として見えてきています。
そうした欲望には一面、ものすごく底なしのところがありまして、仕向ければどんなものにも向か
っていく。極端なことをいえば、快楽殺人のようなケースまであります。人を殺すことに快楽を感じ、
それが欲望になる。現代の脳科学の視点からいうと、われわれが正義とか理想と呼んでいるも
のもじつは欲望に駆り立てられた結果である、ということになります。自分では正義や理想に駆
り立てられて行動していると思っていても、じつはその背後に欲望があって、それに駆り立てられ
ている、という意味です。欲望一元論といってもいいと思いますけど、いまはそういう感じになって
きています。
第一章 「科学はどこまで思想するか」
『「すべてを引き受ける」という思想』
吉本隆明 茂木健一郎 著
吉本-安藤昌益の「天然自然観」
(前略)とにかく、聖人君子以前の人類の状態に言及して、天然自然と倫理・善悪とい
うことを考えた日本人はこの人だけだと思います。
こうした問題について別の言い方をすれば、人間でいえば、身体的な若さとか精神的な
活発さを象徴する色彩としては、ふつうなら「緑」という色を選び、だんだん老齢に近
づいていくと、衰退期の色として「褐色」とか「黒」という色を選びます。また、自然
を見ても、春の野山の若草は緑をしているし、秋や冬の落ち葉や枯れ枝は黒ずんでいる。
自然はそういうふうにしてちゃんと若さや衰退を象徴しています。
では、なぜそうなんだというと、どんなふうに科学的に説明しても、それはあくまでも
科学的であって、少しも思想的あるいは哲学的にならない。そこが、三木さんとい人が
言い掟んでいるところではないのかなと思います。
ゲーテは、若草の芽ばえはなぜ緑色を呈するのか、という問題をめぐってニュートンを
論難しています。若葉はなぜ緑かということについて、ニュートンは光の反射や光の吸
収で説明しています。たしかに科学的にはそれでいいのかもしれませんが、ゲーテが問
題にしているのはそういうことではないんです。天然自然において若草はなぜ「緑」で、
落ち葉や枯れ枝はなぜ「黒」ずんでいるのかという、その摂理の根拠を問うている。そ
してそれは、人間の生き方とか身体の変遷などとどういうふうに関わっているのかとい
うことを問うているのだと思います。
エンゲルスの自然弁証法もそうだし、安藤昌益の考え方もそうだし、あるいはゲーテの
色彩論もそうですが、直線的に科学には向かわないで、あくまでも哲学であり思想とし
て問題に立ち向かおうとしている。ではさて、そこのところをはっきりいえているかと
いうと、はっきりとはいえていないわけですが、三木さんが言い掟んでいるのもそうい
うことなのではないでしょうか。
茂木-「クオリア」とは何か
わたしが考えている「クオリア」という問題も、それと微妙に関わっているように思います。文学
でも絵画でも映画でも音楽でも、自分の最上の芸術体験を振り返ってみればわかりますが、そ
こに立ち上がってくるのは、どんな言語にも意味にも構造にも、ましてや機能にも置き換えられ
ないひとつの質感です。わたしはそれを「クオリア」と呼んでいるわけですが、クオリアは言語化
やシンボル化を拒絶してはいるものの、ほかのものとは明確に区別されるユニークな質感とし
て捉えられます。たとえ言葉にはできないとしても、ある作品にはそれ固有の印象があり、人格
のようなものがあり、質感があります。そういうことを知らない芸術家はひとりもいないし、それ
を体験したことのない芸術愛好家もひとりもいないと思いますが、ではさて、そのクオリアとはい
ったい何かというと、これを定義するのは至難の業です。
吉本―科学から哲学までつなげた全体の学
たしかにそれは大きな問題で、そうした大きな問題は言い尽くさないといけないという
意識はありますし、何かが重要なんだということはわかるけれども、ではその「何か」
というのがむずかしいわけです。こういった問題は、科学と哲学、あるいは社会学、人
類学……そういうようなものと全部つながっているように思います。
ぽくは、多田富雄さんという世界的な免疫学者に感心したことがあります。それはあの
人の専門分野に関したことではなくて、いまどき花粉症とかぜんそくが多くなったのは
どうしてなのかというエッセイを読んだときのことです。
五十年前の子供は二本銕を垂らして平気で遊びまわっていた。鼻水が垂れてくると袖で
拭ったりこすったりするから、袖口がぴかぴか光っていた。それでも親のほうは構わな
い。そんなことはさほど重要なことではないと思うのか、あまり文句をいわなかった。
ところがいまの親は、そういうのを見るとすぐ「洟をかめ」といって子供をしつける。
それが要するに花粉症やぜんそくが多くなった理由だ、と書いていました。
それを読んだときぼくは、ああ、この人がいっていることはごもっともだと感じたわけ
です。ぼくらも子供時代、放り出されっぱなしでいましたから実感が湧く。やっぱり学
校の制服の袖口は洟でぴかぴか光っていて、それでも平気で遊んでいましたから、とて
もよくわかる。そういう二本洟の話と免疫学が関係があるのかどうか、詳しいことはわ
かりませんが、この人は専門のことと関連させながらいろいろなことを考えているんだ
なと、すぐわかりました。この人はきっと専門のことをよくやっているに違いない、だ
から科学から思想のほうへ触手を伸ばして発言できるのだなと感心しました。
第一章 「科学はどこまで思想するか」
『「すべてを引き受ける」という思想』
吉本隆明 茂木健一郎 著
【木質食器革命の行方】
未来のバイオマス産業の俯瞰をしばらくつづけていくうちに(『バイオマスと食器』)、「手作り
木工辞典」(婦人生活社)とであうこととなりしばらくあれこれと考え、山中漆器の「浅田木工」
を訪れ(『山中漆器の旅』)、やはり産業として考えるなら、サブトラック法(削り出し法)の限
界やバイオマス産業トータルとして考えた場合やはり、大量生産・大量消費性向は捨てきれないと
結論することに。勿論、故秋岡芳夫の 70年代、画一化し行き過ぎた工業社会への危機感から"消費
者"から"愛用者"転向運動やデザイン産業の在り方の批判活動を否定する立場ではない。寧ろ、木質
バイオの自然特性の短所、ゆがみ、ソリなどの変形の克服や加工度のさらなる拡大、あるいは、木
工仕上げの耐候・耐久性、演色・色彩の自在性を考慮すると、アディティブ(積層)法や金型加工
が用いられる木質バイオに流動性を持たせた成形体技術を取り入れた方が良いと考えた。
【符号の説明】
1 材料搬送装置 2 粉砕装置 3 浸漬槽 31 撹拌羽根 4 スラリーポンプ 5 叩解装置 6 ドラム式固液
分離装置 61 処理槽 62 固液分離ドラム 63 転写ローラ 64 スクレーパ 7 ポンプ 8 回収手段 9 金
型 10 射出スクリュ 11 射出成形金型 12 スクリュコンベア 13 乾燥装置 14 ローラ 100 木質系材
料 101 木質系粉粒体 102 水(溶媒) 102a 給水源 103 混合液 104 懸濁液 105 木質系微細繊
維材料 106 木質成形体 PC プレコート層 S1 前処理工程 S2 微細繊維化工程 S3 固液分離工程
S4 乾燥工程 S5 熱圧縮成形工程 S6 射出成形工程 S7 熱間圧延あるいは押出成形する工程
大きくは、ネグロマスでも、バイオマスでも木質マスを粉砕することを大前提とし、(1)燃料化する方向と(2)
プラスチック化を行う産業であることが特徴。勿論、上記のようなグリーンバイオケミストリー領域などとのク
ロスオーバーも含めての話だがここに総括することにする。まとめながら、「選択と集中」の段階、つまり、各
地に散らばっている公的関連研究機関を全国7箇所程度に集約し、跡地を民営・民間化促進センタとして展
開し、持続可能社会構築の未来型バイオマス領域促進できる段階にあることを確信した次第。ソシアルデザ
インされた白磁様態のランチプレートやパスタプレートが世界中に普及していくことを夢見てこのテーマーに
ひと区切りをつけたい。