極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

牡丹と諸葛孔明

2009年05月05日 | 近江歴史回廊


あれこれと手づける世界きみがいう 吾に足らぬは堂々牡丹


ファイル:Paeonia suffruticosa01 2048.jpg

春の大祭も無事終わり、目標の安全のための灯籠と提灯の電
飾化も達成でき一息ついている。悪のりではないが、今度の
会合でそれとなく、宮総代のメンバーに琵琶湖のボランタリ
ー(voluntary)を勧誘してみようと思うが、この行動の中で、
また新たなビジネスや問題解決の手がかりが得られるかも知
れないという気持が積極的な姿勢となっていることに気づい
た。と、余裕のあるようなことを書きつつも、母親が昨日も、
車椅子のブレーキをかけ忘れ部屋の中で転倒した。事なきを
えたものの緊張を強いる出来事が続いているので、その時の
事態も想定しておかねばならない。



さて、今日の昼からトウモロコシ、ネギ、キャベツ、ごぼう、
ミニ胡瓜、大菜などの第3次の種蒔きの準備作業を終えた。
問題はこれからだなぁ。トウモロコシの試験方法の詳細が具
体的ではないのだが芽が出るまでにはなんとかせにゃいかん。


とばり垂れて君いまださめず  紅の牡丹の花に朝日さすなり  正岡子規



 諸葛孔明

ところで、映画『レッドクリフ』の諸葛孔明役の金城武は、
テレビドラマ『ゴールデンボウル』(2002年制作)以来の夫
婦そろってのファン(ポールアンカの歌うテーマソングの
You Are My Destiny’ もお気に入り)だ。

 Takesi Kanesiro



諸葛孔明は、司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。
諡は忠武侯。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子
の劉禅の丞相として補佐し、伏龍、臥龍とも呼ばれる。今も
成都には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れる。
妻は黄夫人。子は蜀漢に仕え綿竹(成都付近)で戦死した諸
葛瞻。孫には同じく蜀漢に仕え父と共に綿竹で戦死した諸葛

諸葛八卦村

尚や、西晋の江州刺史になった諸葛京がいる。親族として従
父(叔父)の豫章太守諸葛玄、兄で呉に仕えた諸葛瑾とその
息子の諸葛恪、弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られ
る。一族には、魏に仕えた諸葛誕・諸葛緒・諸葛璋・諸葛虔・
諸葛原(景春)ら。なお、諸葛八卦村という村の住民は諸葛
亮の子孫と言われている。



 祁山悲秋の風更けて
 陣雲暗し五丈原<RB>
 零露の文は繁くして<RB>
 草枯れ馬は肥ゆれども<RB>
 蜀軍の旗光無く<RB>
 鼓角の音も今しづか。<RB>

           土井晩翠『星落秋風五丈原


  堺屋太一著『日本を創った12人』

このブログで取り上げたが(『辛夷と漣』)「天下三分の計
」の戦略を引っさげ漢王朝復興を願うの劉備を支え、劉備の
死後、義の旗印の下、北伐を繰り返すも志半ばでその夢は潰
える。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の五丈原の戦い
の後世に語り継がれる(実は30年前に観光している)。諸
葛孔明に匹敵する人物として、石田三成を挙げたのは、わた
しだけでなく、『諸葛孔明伝』(第四話 孔明と石田三成
2003年にネット掲載されている。



陝西省中の宝鶏市の位置宝鶏市



堺屋太一は石田三成を「関ヶ原の合戦は、五大老の筆頭家老
として、秀吉後の天下を掌中に治めようとしていた徳川家康
に対して、一奉行にすぎなかった石田三成が反徳川のビッグ・
プロジェクトを立ち上げ、挑んだ天下分け目の戦いであった。
石田三成は、大義名分を立て、スポンサーを冠にいただきム
ードを盛りあげ、実務者のネットワークで有力大名を味方に
引き入れ、さらに象徴的な人物を総大将に祭りあげた」とし、

宝鶏市役所

そして、「この『大いなる企て』は失敗に終わったが、権力
も地位も資金もない中堅官僚が企画・推進するプロジェクト
を立ち上げた元祖として歴史に残る偉業であった」「明治維
新、『満州国』の建設、新幹線の建設、愛知用水や八郎潟の
干拓、万国博覧会の開催においても、このプロジェクトの形
式が踏襲された」と評価する。



ブログで記載したように、徳川家康の構想は鎌倉幕府の貴種
としての源氏武家体制の弱点を克服すべき観点から構築され
ているように見て取れるが、翻り三成構想の骨子がどうなっ
ていただろうか(「非鎖国」×「非幕藩体制」)。かくして、
いよいよ石田三成の再評価がなされるべき時代になったか。
もう少しいうと、現在的な石田三成に期待するものとはどん
なものかと想像するヒントになるかもしれない。




ボタン(牡丹、学名:Paeonia suffruticosa)は、ボタン科ボタ
ン属の落葉小低木。または、ボタン属(Paeonia)の総称。 別
名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花
中の王」「百花の王」「天香国色」 「深見草」「二十日草
(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」「ぼうたん」「ぼうたんぐ
さ」など多数。以前はキンポウゲ科に分類されていたが、お
しべ・花床の形状の違いから現在はシャクヤクとともにビワ
モドキ目に編入され、独立のボタン科とされている。


 牡丹紋 大割り牡丹 

確かに、気が多いのは特徴で褪めやすい性格だろう。しかし
いままで意識的にそうしてきた。決して世渡り上手といえな
いが、トータル、総体を捉えそれを逆照射。自分の取るべき
道を進んできた。それをとやかく言われたくない。王者の風
格など望むべきもないし、不可能なことは自明だと思ってい
る或意味で政治家タイプの人間かもしれない。焦点が絞れば
その豹変ぶりに彼女は驚くかもしれいないと歌う。中国原産
の「ボタン」。花言葉は「はじらい」「王者の風格」。




さて、不況とインフルエンザ・パンデミックなどで営利の仕
事が少なくなるように思えるが、実際、経営者は大変だと思
う(勿論、労働者も)。が、仕事はつくるもの、そして、バ
ンカーや自治体、政府などの関係機関を巻き込んで、つまり
は、出来そうな範囲で良いから、お金を出し合い、知恵を出
し、労力や技能を出し合えばなんとかできると考える。介護
タクシ、水辺清掃、リフォームなど挙げれば入間がないほど
だろう。ネット・ワークへの積極的な参加もその一つだろう。
「まず、隗よりはじめよ」ということである。

                     

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庭石菖とパンデミック

2009年05月03日 | 時事書評

ぽっつりとブログに向かいそとは晴れ きみがいなくて庭石菖


滋賀新型インフ’

‘パンデミック’のネットワークはどうなっているのだろう
と考え、滋賀県と彦根市の「発熱相談センター」をのぞいて
みる。

‘彦根市からの発信にゃん’

‘新型インフ’だけが‘パンデミック’でないが、感染経路
が人から豚の逆感染情報が新聞されているので「弱毒型」と
はいえ慎重な対応が一番。こう考えてみると、先進国社会で
の流行している事柄は全て‘パンデミック’に行き着くはず
だ。たとえば、「老々介護問題」は中国の急速な顕在化をみ
ればわかる。

 「ほんとうの考え」

糸井 最近、吉本さんは
何をいちばんに考えていらっしゃいますか。
吉本 いまは、なにはともあれ
いちばんの関心事は、からだのことです。
目も悪いし、足壊疽も悪いし、
もう、どうにもなんないです。

こうやればいいはずだ、ということを
やってくれるお医者さんは、
日本には少ないんですよ。
西欧の端っこのほうの
デンマークとかスウェーデンとか、
ああいう国では、そこがすごく発達しています。
それは、マルクス主義者が言うこととは
またちがう意味で、革命的です。
糸井 なるほど‥‥北欧ですね。
吉本 ええ。北欧の若い人は、
税金をいっぱい取られちゃいます。
その代わりに、ああいう国は
老人の病気の面倒をみたり、介護を完全にするし、
何かあれば、すぐに医者がかかわってきます。
若い人は、何とも文句は言わない。
そういうことが、できてるんですよ。
完璧に近いことをやっています。

それは、別な意味で革命です。
要するに、それができれば、
革命と同じことなんです。

社会を革命してから、
なんとかどうにかしてやっていって、
それからからだみたいなものについて考えて、
という、
従来のしかたとはぜんぜん別の意味の革命が、
あのあたりの国は、できてます。
糸井 北欧がそうなった、ということについては
何か理由があるんでしょうか。
吉本 やっぱり、貧乏国で、
いちばんには発達してなかったからでしょう。
いいところもいい治療法も、みんな、
資本主義と社会主義に取られちゃったから。
そして、「やることはないな」という
国だったからでしょう。
糸井 だから、
分けあわなきゃならなかったんでしょうか。
吉本 そうなんですよ、
分けて、なんとかしなきゃいけなかったんです。
このことは、ある日本の介護専門家の人が、
海外を視察してきたあとに、
対談の場でぼくに話してくれたことです。
その人の誇張は多少あるでしょうけども、
ぼくはそのとき、
ああ、革命っていうのは、ほとんど、
こういうもんでもできるんだ、
と思いました。

日本の医者なんか
ぜんぜん問題にならないくらいのことをしつつ、
知識も蓄積しています。
それは、ほとんど、
「人間って何なんだ」ということだと思います。
「自分たちは何なんだ」ということについて
ひとつの方法として、
すでに確立して進んでいるのです。
糸井 病を研究することじゃなくて、
生きることを研究するのが
お医者さんなんですよね。
吉本 そう、ぼくなんかは、
そっちのほうが大切だと思います。

ぼくは、好きな猫をよく見て、
結局、人間という動物は
何がどうなれば幸福になるんだろう、と
思うんです。
猫やほかの動物とちがうところは、ときどき
──ぼくらみたいな者はしょっちゅうに近い、
共産党なんかはそれを
専門にしてるわけですけど──
自然成長に反対のことを故意に意識して主張して、
そういうことを、
まぁ、いちばん進んでると錯覚してたんですよ。
だけど、そんなことして、冗談じゃない。

人間という動物は
ときどき、そういう変なことで
自然にそむくことを勝手にあみ出します。
糸井 (笑)
吉本 人間の特徴をいかすようにすればいいんだ、
おんなじじゃねぇか。
自由と平等っていうのは、
そういうふうにもできるじゃねぇか。
北欧の国は、とにかくひとつ、
完成してるという意味ではないけど、
やってるんだということになります。
これは、そうとう重要なことだと思ってます。

     糸井重里 vs 吉本隆明「002革命」



滝に打たれるようにして吉本の言葉を貪った経験をもってい
るが、いまもその思いは変わらない。超高齢社会の最前線に
にいるにしては「医者」も「官僚」も「政治」も怠慢ではな
いかと指弾されているようで、居心地が悪いような良いよう
な気分だ  ^^;。男性の介護者人口が3割に逓増している。
略称「男性介護ネット」が立ち上がったが、こういった動き
が燎原の火のように拡がり現在的な医療・社会保障制度の改
革に繋がっていくものと期待するが、会員加入は当面見合わ
せようと思う。
 男性介護ネット「結成宣言」



‘パンデミック’は「高学歴社会」という領域問題も世界的
に感染流行させるだろう。ネガティブな波及は精神の虚弱化
であり‘ポスドク問題’やいま流行の‘婚活’(月九の‘婚
カツ’は商店街の豚カツ屋が舞台だけれど)もある。要は「
暖衣飽食時代」の社会現象だけれどいずれ世界の途上国に波
及する。これは現代の『じゃじゃ馬馴らし』でパドヴァの商
人バプティスタ・ミノーラの長女カタリーナ・ミノーラなら
ぬ現在の‘あくなき欲望’の制御は如何にということに他な
らない。

パドヴァ

 シェイクスピア家の紋章



 polenta

いま、ヴィンチェンツォ・ブオナッシージ著『イタリア人の
イタリア料理』(柴田書店)を見ている。懐かしい。一時は
13名のカウンタ席だけで、一日39~53名の集客で湖国風イタ
リア料理専門店を開業しようと計画したこともあった。ポテ
ンツァ風パスタ(Pasta alla potentina
)、ポレンタ・パスティッ
チャータ(Polenta pasticciata
)などの見事な写真入りの料理本で
ある。また、これでチャレンジする目標(百%マスタできる
のはいつか?)が決まった。
 

Eastern Blue-eyed Grass (Sisyrinchium angustifolium)

ニワゼキショウ(庭石菖 Sisyrinchium rosulatum)はアヤメ科ニ
ワゼキショウ属の一年草。日本では S. atlanticum の学名があて
られることも多いが、誤りである。北米に生息する本来の
S. atlanticum は多年生で、雌しべが花被より長いなど、日本の
ニワゼキショウとは異なる特徴をもっている。日本に普通み
られるものは、テキサス州を中心に分布する多型的な種であ
る。



明治時代に観賞用として北アメリカから輸入されたものが野
生化したのではなく、本来雑草的な種が帰化植物となったも
の。芝生や草地などに群生している。花期は5~6月で、花色
は白、赤紫で、青味がかったものはオオニワゼキショウとの
雑種。花は、受精すると、一日でしぼんでしまう。

Strict Blue-eyed Grass

朝から、義姉の家に行き彼女はいない。なんとも静かな日だ
ろう。要介護の母がいるものの久しぶりに落ち着いた気分で
ブログが終りそうだ。GWの最後は熊野古道までツーリング
の予定だし、イタリアの風はまだ微妙だけれど準備が進む。
北米原産で白紫の「ニワゼキショウ」。花言葉は「豊富」。

                     

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鈴蘭とジェノバ

2009年05月01日 | 時事書評


旭射し ルッコラ手折りモーニング 僅かなそよぎと君影草




昨日もブログできなかった。忙しくなればなるほど今使ってい
るパソコンのちんたらとした動きがしゃくに障る。パソコンが
欠陥品ではないかとの思いは、25年前から比べれば免罪され
るかもしれないし、インテルなどのCPUメーカのハードウェ
アの進展進捗からみればこれが限界なのかとも多少なりとも同
情を引く。が、しかしOSなどという公的電子構文メーカ、い
っておくが、『漢検』の不当利益着服問題とはかけ離れた先端
的で同時代的で汎用性に優れた公的な商品を扱う業界の私企業
が利益を独占するだけでなくアプリケーションソフトという川
下まで支配し、あるいは、寵愛するワードプロセッサーソフト
(具体例として『一太郎』)の使用を意識的に(?)妨げる行
為は『超違法行為』だと思っている。




例えばいま使っているOSを某競合メーカのものに載せ替える
ことも可能だがそれでOSの販売を‘公的事業’と捉え問題解
決するベクトルにはなく同じ穴のムジナのような感は歪めず、
91年の日米経済協議の対象として坂村健の‘Bトロン’が二
国間で政治的に葬去られた経緯からすると世界一のビルゲイツ
の数兆円の資産というものがいかに市場根本主義(≠市場教条
主義)を歪めてきたことかと思う。これは農業問題のように政
治介入の不可避性として現れている。




脱線した。というより眠くて中断してしまった。今朝の連ドラ
『つばさ』に「青春っていいな」^^;。「ひでき感激!」と胸
に落としモーニングシャワータイム。白山神社の神官に昨夜の
春祭りの反省会の疑問を電話で尋ね、これから、家方克巳の実
母の告別式に列席するのでまた中断だ。




さて、‘現在的な剰余価値’とはなんだろうか、また、‘現在
的な剰余価値’はどうすればつくりだすことができるのかを問
おうしていたのだ。その源泉である‘労働’を(1)突破(=
開発・調査)、(2)調整、(3)維持の3つの重層的形態に
分けてみて照らせば、ビルゲーツ的な営利活動は(1)と(3)
においては充分だろが(2)においてその成果物が公的な電子
構文つまり、日本語を喋ると‘上がり’がはいる仕組みという
ものが営利企業として如何に成功しようともいかがわしさが付
きまとうのは明白であり、その営利行動の規範づくり(=調整)
に失敗しているように思える。


 

そこで(3)において、折角生み出された剰余価値(P→W→
P’、但し、P<P’)は、現在においては驚異的な空間的広
がり及遅延時間の短縮の進展により企業間或いは共同体間の格
差の維持が極端に困難である(逆説的にいえば、暴利が上がる
仕組みは反社会的行動で、その意味において本来、(2)が仕
事の公務員が(3)の形態で民間人の給与所得を上回ることが
許されないのは道理である)。



冗長的となった。結論を急げば(1)がいま一番求められてい
る。反発と誤解を恐れずにいうと、『贈与経済』の実現に向け
(=)金融工学や金融派生商品の開発それ自体は(1)の範疇
にあり、性急な国家政策と営利行動により破綻したが、翻って
労働価値(W→P→W'、但し、W<W’)に転倒し考えると、
中野剛志が(『働くとはどういうことか』/「表現者」23号)
指摘する「最初に労働ありき」「自分のことは自分が一番知り
つくしている」という前提の新自由主義の労働観の軽薄さの克
服の此岸に想定される。そして同じく、杉原志啓は
ヒルテイ



アランの「幸福論」を引用しつつ、「この人生おいて仕事のな
い休息には耐えられない」(『仕事とは人生のことである』)
と述べ、また、前田雅之は「職業に貴賤なしというが、それは
はたらくという行為がどのような職業であれ、人間をともかく
まじめにさせるから(中略)そこには、はたらくことが他者に
よって作られる公に向かってなされるという前提と意味づけが
あったはずである。」(『はたらくとは自己を「公」に組み入
れること』)として働く意味の再考を促す。




「紐帯」「連帯」もよく似たものだけれどそういったものを喪
失する背景を是正する主体形成が、過剰な商品社会の労働の意
味が問われ、同時にその財貨・サービスの消費者の質が問われ
ているのだが、科学技術進歩の影響は否定しきれないのは今回
の豚インフルエンザをみれば明らかで、前職でもそうで、写真
印刷プロセスの『デジタル革命』の影響で「市場」が忽然と消
滅するかの事態や真空管がダイオードに置き換わるように、ブ
ラウン管が固体素子デバイス(あるいはパネル)に置き換わる
経営危機を経験している。また、70年代の10年間、労働組
合設立運動に加わった経験から労働組合のない労働者がいかに
惨めな生涯を送らなければならないことも、経営手腕がいかに
大切かも熟知いている。




そして、職場の市場開拓力乃至は獲得力に翳りを感じ、付加価
値の高い事業開発の‘突破’の労働に定年退職する10年間従
事してきた。こういえば聞こえ良いが、滑稽で惨めな体験の連
続でこれに耐え抜く精神力と知力が必要なことも熟知している。
だからこそ、西部邁らの「発言者塾」周辺の主張は、‘日暮れ
て道遠し’の足下を照らす灯りには違いないが、それ以上のも
のでもない。残された時間も少ないが、地頭力と実践でひとつ
ひとつ‘突破’していくしか手はないと思っている。





幼子は蝉も花火も怖がりて君影草の花のようです     藤井玉子


ルッコラが育ち玄関先であさひを浴びながら自然のサラダを口
にする習慣が出来つつある。朝の慌ただしい仕事をこなす彼女
と鈴蘭を重ね、日々こなす仕事は決しておきまりではなくその
日その日の微妙な感情の違いを微風に揺れる様として
歌う。
蘭とはユリ科(APG植物分類体系ではスズラン科)スズラン属
に属する多年草の総称。君影草、谷間の姫百合の別名もある。
小型の多年草。地下茎は横に這い、地上に茎を伸ばす。葉鞘の
筒が直立し、その先端から楕円形の葉が2枚くらい展開する。
葉は緑色で柔らかく、わずかに粉を吹く。春から初夏にかけて
芳香のある鈴のような白い花を複数個、葉の下側に隠れるよう
につける。「鈴蘭」という和名はこのベルを下げたような花形
に由来する。学名の「Convallaria」はラテン語の「convallis(谷)
」「leirion (ユリ)」が語源で、英語でも「lily of  the valley(谷間
の百合)」と呼ばれる。フランスでは5月1日をスズランの日
とも呼び、好きな人やお世話になっている人へスズランを贈り、
スズランを贈られた人は幸せになるといわれる。ユリ科の多年
草「スズラン」。花言葉は「希望」「純愛」。



この間食べたピッツアジェノベーゼの感触が忘れられず、家で
つくってみようと調べる。イタリア料理への思い入れは20年
前からで転職のアイテムとして考えていた時期があったことを
3冊のクッキングブックを見ながら思い出した。これから季節
は夏に向かいアウトドア・クッキングのアイテムとしてのイタ
リアンも魅力的だ。毎年、職域仲間と小鮎釣りとバーベキュー
を近くの水辺で楽しんでいるが、今年は趣向凝らして、バーベ

 オレガノ

キューとエキストラバージンオリーブオイルとバジル、チーズ、
松の実を使用したジェノバ風バジルソースにサラミ、アンチョ
ビィ、トマト、黒オリーブ等を加えた「夏パスタ」を一品加え
ようかと思っている。勿論、バジルは自家試験菜園のものを使
う予定だし、ハーブとスパイスも多数収穫できるので参加者に
喜んでもらえれば最高の気分だろう。

メイン画像

ところで、今回初めてジェノヴァをネット上で検索してみて、
かのコロンブスの生家があることも知った。今回の旅行のコー
スから外れており死ぬまでに訪れることはないだろうと思った。

 フェッラーリ広場


Kiyoshiro Imawano - 雨上がりの夜空に

ロックバンド、RCサクセションのボーカルとして「雨上がり
の夜空に」などのヒット曲を生んだ忌野清志郎が亡くなった。
ザ・スターリンの遠藤ミチロウらと並ぶ時代のロック・バンド
でストレートで桑田佳祐と同じく日本語の歌詞韻律を曲に乗せ
ること(三連符の多用)に成功したJーPOPの草分けだった。
 
井上陽水  忌野清志郎  高中正義  細野晴臣 チト河内UNIT  (7/10)                    合掌                
             




 

 

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