このワイングラスとデキャンは今まで入荷したものの中で最高です。
持ち主にどこで購入されましたかと聞くと、
ベニスの工房で、一つの個室に案内され100万円以上支払ったそうです。
確かにいい仕事してます。
金箔貼りも厚くて禿げにくいように見えるし小花のデコレーションも上々。
で、いくらなら売れるのか今思案中です。
ご関心おありの方は直接お問い合わせ下さい。
info@ozasa78.com
ベネチア・ヴェネツィア、英語読みでベニスは、
ベニスの商人や、ベニスに死す、旅情など映画でも有名なイタリアの観光都市です。
早う行かんと年々沈んで来てるらしいと聞き5年前に訪れました。
本島全体が小さな島々から出来ていて、あちこちを細い運河が流れ、運河には大小の無数の橋がかかっています。
地上には狭い道路が迷路のように巡り、乳母車、車椅子以外の車は通行禁止です。
島のひとつにムラノ島があり、そこがヴェネチアンガラスの本場です。
観光客はたいていここのガラス工房の一つに案内され、仕事ぶりをみせてもらった後ショッピングです。
この画像のワイングラスとデキャンタも、そこで100万円以上で購入されました。
確かにワイングラス1客で数万円以上するものは、ショーケースに納められていて、貧乏人は眺めただけ。
こうしたヴェネチアンガラスが出来上がった歴史をかいつまんで書きます。
・・・・・・・・・・・・
ヴェネツィアはアドリア海の最深部ヴェネツィア湾にできたラグーナ(潟)の上に築かれた水の都です。
歴史は、世界史の名高い4世紀ゲルマン民族大移動に発するようです。
6世紀頃、ゲルマン系諸族やフン族が侵入してきたため、もともとヴェネト地方に暮らす住民がこの湿地帯へ避難。
干潟に杭を打ち込んで住める島としたらしい。
9世紀になって、フランク王国と東ローマ帝国との狭間で貿易都市として栄えるようになった。
聖マルコの遺骸をエジプト・アレキサンドリアから運び、サンマルコを守護聖人とした。
その後地の利をいかし、イスラム諸国とも交易、十字軍遠征やアジアとの貿易などで勢力拡大するも、大航海時代が始まると、貿易の舞台はアドリア海から大西洋や太平洋へと移り衰退を始めます。
しかしこのヴェネツィアはガラスやレースなどの工芸品を作ることで生き残りました。
それがこのヴェネチアンガラスです。
13世紀東方諸国のすぐれた産物をヨーロッパ諸国に独自供給し東西貿易の中心地となる中で、
その中でも最も珍重されていたガラス製品を、自国で生産すれば多大な利益を得ることが出来るとガラス製造に乗り出したことに始まります。
元々原材料や燃料を自国で産出できない土地柄なので、
ヴェネチアンガラスの技術が原材料の豊富な国々に漏れコピー製品が作られることを恐れたため強力な保護政策を取りました。
1291年には全てのガラス工房をムラノ島へ強制移住させ、
島外不出の掟と手厚い保護政策を加えることによって本格的な発達を遂げ、ルネッサン期にはガラス市場をほぼ独占しました。
当時王侯貴族は、エナメル絵付けの施されたガラス製品を持つことがひとつの社会的ステータスでした。
またこの時代にソーダガラスに消色剤を加え透明度の高い無色透明のガラス(クリスタッロ)の製法が確立され、これは他国には無い技術であり、王侯貴族の間で高く取引されました。
ガラス文化をヨーロッパ全土に広め、一時はヨーロッパ市場の90%を独占するほどの発展を遂げました。
現在でもムラノ島では多くの工房が軒を連ね、豊かな伝統技術を親から子へと受け継いでいます。